18.賄い

 時刻は昼の十一時。

 午前中の集客具合は、芳しいとはあまり言えない状況だ。開店してすぐ五組くらいのお客様が来店されたものの、ここ三十分は一人のお客様も来店してこない。

 とはいえ、ウチの繁忙時期はお昼下がりから夕方にかけて。勝負はまだ、この先の時間になる。


「二人とも」


 少し暇だと思い始めた頃、日経平均株価を見てくるとか意味不明なことを言っていた父さんの声がした。


「父さん、どうしたの?」

「少し早いけど、お昼ご飯にしよう」

 

 カウンター奥からいい匂いが漂ってきて、父が運んできたのはオムライス。


「わあ、オムライス!」

「白石さん、オムライス好きなの?」

「はい、大好きです」

「そりゃあ良かった。父さんの鉄板料理なんだ、オムライス」

「え、そうなんですか?」

「うん。一時期、トロトロふわふわオムライスの開発に注力していた。全神経を注いでいたんだ」


 父は何故か得意げに語った。

 ただ個人的には……そこまでオムライスに熱い思いをかけたのであれば、喫茶店ではなくオムライス屋を開業すればよかったのに、と少しばかり思う。


「白石さん、ケチャップ使う?」

「あ、ありがとうございます」


 父さんが白石さんにケチャップを渡すと、白石さんはオムライスに少量のケチャップをかけた。


「あんまり使わないんだ」

「はい。あたし、素材の味を楽しむタイプなので」

「へえ」


 白石さんはこれで結構こだわりが強いタイプだ。

 ……あんまり意外ではないな。うん。


「白石さん、俺にもケチャップを貸してもらえる?」


 俺は白石さんに手を差し伸べた。


「……」


 しかし白石さんは、無言で手を引っ込めた。


「え……ケチャップ、貸してくれる?」

「……」

「……」

「……ヤです」

「なんでなんでなんで」


 意味不明でさすがの俺も動揺した。


「……え、なんで? 新手のいじめ? 父さんのオムライスなんて食べ飽きて、ケチャップでも使わないと食べられないんだけど」

「うわあ、急に飛び火してきた」

「……ヤです」

「……えっ」

「……あたしがケチャップかけてもいいですか?」


 ……どうやら怒っていたわけではないらしい。

 父さんは、感嘆の声をあげていた。

 ……恥ずかしいからあっち行っていてもらえる? と、父さんに顔で伝えた。


 父さんは渋々、日経平均株価を見る作業へ戻っていった。


「いいよ。自分で書くよ」


 俺は頑なな態度を示した。


「いいですよ。あたしが書きます」

「……そんな甘い行為、まるで俺達がカップルみたいじゃないか」

「カップルですからね」


 確かに。

 父さんの前だったこともあり、動揺していたらしい。


「……わかった。じゃあ任せるよ」

「はいっ!」


 白石さんは俺のオムライスを手元へ持っていき、ケチャップを構えた。

 それから白石さんは……ケチャップで何かの文字……文字? 呪文……。絵……? とにかく何かをオムライスに描いていった。


「ありがとう……」

「はい! 我ながら上手く書けました」


 マ?

 これが上手く書けたって……マ?


 俺、白石さんが何を書いてくれたのかイマイチピンと来てないんだけど。


 これは……本当、何?


「はい。槇原君、どうぞ」

「うん。ありがとう」

「……気持ち、伝わりましたかね?」


 白石さんは照れた様子で尋ねてきた。


 ……気持ち?


 気持ちが伝わったかだって……?


 ……ふっ。


 そんなの当然、伝わってない。


 だって読めないんだもん。

 なんて書いてあるかわからないだもん。


「ごめん。俺、象形文字には疎くて……」

「象形文字っ!?」


 俺の恋人は、狡猾で勉強が得意で、仕事もてきぱきとこなすことが出来る。


「……これ、ハートマークです」


 ……ただ、実は結構不器用な人だったらしい。

 白石さんは半泣きだった。


「……ハートマークかぁ」


 ……てっきり魚の象形文字でも書いたのかと思った。


 ただ、言われてみると……そう読めるかも?

 いやでも……ハートにしては左右の突起が歪だし、なんなら左側はエッジが効いているし。

 下側のエッジは二重顎みたいになっているし……。


 ……うん。


「ごめん。気持ち、伝わったよ」


 とりあえず適当に同意しておこう。

 白石さんの顔は途端、パーっと晴れた。

 

 それでいいんだ。

 俺は苦笑した。

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