第2話(こいつら……本当に、本当に行く気がないんだ……!)
小説「勇者はつらいよ」
第2話
酒場の扉に手をかけたまま、ケンは石のように固まっていた。
背後からは、相も変わらず呑気な空気が流れてくる。ボルガが骨付き肉を追加注文する声、アリアが金貨を磨く軽やかな音、リズベットが静かに本のページをめくる音。
誰も彼を気にかけていない。まるで、そこに存在しないかのように。
(こいつら……本当に、本当に行く気がないんだ……!)
ふつふつと、怒りとも諦めともつかない感情が腹の底から湧き上がってくる。
だが、ここで泣きついても無駄なことは、これまでの付き合いで嫌というほどわかっている。奴らは理屈と契約で武装した鉄壁の要塞だ。
(待てよ……そうだ、こいつらの手口はわかってるんだ)
ケンは、ある種の「賭け」に出ることにした。
どうせ彼らが言いそうなことは決まっている。それなら、こちらから先に言ってやる。彼らの常套句を封じ、その偽善を暴いてやるのだ。
ケンは勢いよく振り返った。その瞳には、悲壮な決意が宿っている。
「わかってるよ!お前たちの言いたいことなんて、全部お見通しなんだ!」
突然の大声に、三人の視線がようやくケンに向けられる。
「どうせ、こう言うつもりだったんだろ!『これは勇者様お一人で乗り越えるべき試練です』とか!『我々が手を貸しては、勇者様の偉業に傷がつきます』とか!そんな綺麗事を並べて、結局は安全な場所から高みの見物する気だったんだろ!」
ケンの声が、酒場に響き渡る。これぞ核心を突いた一撃。さあ、どうだ。慌てふためき、取り繕うがいい!
「だから俺が『お前たちは手を出すな!俺一人でやる!』って言うのを待ってたんだろ!? そうなんだろ!?」
ケンはぜえぜえと肩で息をしながら、三人の反応を待った。
すると、まずリズベットが、ぱたん、と本を閉じた。そして、心底感心したように頷いた。
「……その通りです。よくお分かりで」
「え?」
次に、ボルガが巨大な肉塊をゴクリと飲み込み、深く頷いた。
「うむ。そうだな。それが勇者の務めというものだ」
「ええっ!?」
そして最後に、アリアが両手を胸の前で合わせ、満面の笑みで言った。
「まあ、さすがは勇者様!私たちのことまで、そこまで深くご理解くださっていたのですね!私たち、どうやって勇者様のお邪魔にならないようにしようか、ずっと悩んでいたんです!」
「「「そのとおり!」」」
三人の声が、完璧なハーモニーとなってケンの心を打ち砕いた。
「な……なんでだよ!?」
ケンの叫びは悲鳴に近かった。
「なんでそんな嬉しそうなんだよ!? 普通そこは『そんなことありません!我々も共に戦います!』って言う場面だろ!物語的に!」
「物語と現実は違います」
リズベットが冷静に返す。
「それに、ご自身で『俺一人でやる』と宣言されたのですから、私たちはその高潔なご意志を尊重するまでです」
「そうだぞ、ケン。男が一度口にした言葉を覆すのは見苦しい」
ボルガが、説教じみた口調で言う。
「そうですわ!勇者様の勇気あるご決断、感動いたしました!さあ、皆様、ご一緒に!フレー、フレー、勇者様!フレッシュ、フレッシュ、勇者様!」
アリアが、どこから取り出したのかポンポンを振りながら、場違いな応援を始めた。
「応援歌まで歌うなああぁぁっ!」
ケンのツッコミは、もはや誰の心にも届かない。
皮肉を言ってやり込めてやろうとしたら、逆に全力で肯定され、退路を完全に断たれてしまった。自分で自分の首を絞めるという、完璧な自滅だった。
「ちくしょう……ちくしょう……」
ケンはうなだれ、再びよろよろと扉に向き直る。
背後から聞こえるのは、アリアの心のこもっていない応援歌と、ボルガの咀嚼音、そしてリズベットが追加料金の計算を始める皮算用の音。
勇者の前途は、大魔王城よりも遥かに険しく、暗い。
(第二話 了)
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