第33話
アマネとシグレの姿が消えた居間で、ミカヅキは力が抜けたようにその場に座り込み、アマフサは苦虫を噛み潰したように2人がたった今消えた場所を睨みつけている。
もち丸も不安なのか、部屋中うろうろした後で、ミカヅキの膝へ擦り寄ってきた。
ミカヅキは半ば無意識にもち丸の首筋を撫でてやりながら、「先生」と呼びかけた。
聞きたいことは山ほどあった。シグレはどこへ行ってしまったのか、アマネとかいう少女に「父様」と呼ばれていたのはどういうことなのか、そもそもアマネは何者なのか、結界を張っていたなんて話聞いてないだとか、シグレが何故か女の子になってたとか、言いたいことも聞きたいことも山ほどあるのに、思考が絡まって何も出てこない。
ようよう声に出せたのは、「シグレは、どう、なっちゃったの」という弱々しい質問だけだった。
「先生は、何か知ってた?シグレが、その、女の子だって」
「知らん」
アマフサは苦悶するように右手で前髪を掻き上げる。
「氷海家の怪異は、性別を反転させるようなそんな突拍子もない怪異じゃない。だが、今はそんなことに気を回している場合じゃないだろう。このままじゃ、シグレが危ない。いや、それどころか」
アマフサが顔を上げて、ミカヅキを見た。いつものヘラヘラした余裕さが抜け落ち、焦燥感に覆われてしまっている。
「……クソ、あいつ、まさか」
「あいつっての、さっきのアマネって子のこと?」
漏らしたアマフサの言葉に被せるようにミカヅキは声を上げる。
「お前には関係ない」
「関係あるよ!」
ミカヅキは大きな声をあげた。もち丸がびくりと体を震わす。
撥ねのけるようなアマフサの拒絶に、今まで堪えてきたことが、感情と共に堰を切って流れ出した。
「先生っていっつもなんにも説明しないよね。全部自分で抱えて、説明するのは全部が終わったあと。そんなに私が頼りにならないの。そんなに私が信用できないの。今だってそうじゃん。アマネとかいう子のことなんて知らない、聞いたことない、父様ってなんなの、娘がいたの。それすらも知らない。だって先生、なんにも説明しないもん!仕事のことだってそうだし、自分のことも全然話さないよね。それで、今回はなに?」
ミカヅキは鼻で笑った
「お前には関係ない?なんでこの後に及んでそんなこと言うの。あんなもん見ちゃって、関係ないわけないじゃん。もう私、巻き込まれたんだよ、シグレが、攫われたんだよ!」
息継ぎもろくにせずに話し続けたので、言いたいことを全部出し切った頃には息が上がっていた。
息を整えるまで何も話せなくなったミカヅキに、呆気に取られた様子だったアマフサは、「すまん」とこぼす。
「だが、この件には、お前を関わらせたくない」
ミカヅキはアマフサを無言で睨みつける。
それから、広がった枕元に置かれたシグレのスマホが目に入って、反射的に拾い上げた。
「おい、何してんだ」
「ナギサさんに電話する。あの人なら、シグレの体のこととか知ってるかも」
明かりのついたスマホのディスプレイにパスコードを要求するパネルが浮かび上がり、ミカヅキはイラついてため息をこぼす。
「ナギサさん?この間店に来てたっていう、お姉さんのことか。今、あいつの体のことなんか聞いてどうするんだ」
「先生には関係ないでしょ」
「ちょ、お前」
自分の言った言葉をそのまま投げ返され、アマフサは言葉に詰まる。
「ねえ、シグレの誕生日教えて」
「は?」
「雇用してるんだから、それくらいの情報あるでしょ!」
アマフサは「わかったわかった」と投げやりに返事をして、どこかへ姿を暗ます。しばらくして、雇用契約書を持ってきた。
ミカヅキはそこに記入された生年月日の数字列をそのままパスコードに打ち込んだが、やはり間違っているのか、スマホのロックはかかったままだ。
それから、「1234」だとか、生年月日を逆から打ち込んだのやらを試したが、まるでダメだ。それからダメもとでシグレの名前の発音を数字に置き換えた「490」を下限字数に達するまで繰り返し打ち込んだら、なんなく解除できた。
ミカヅキは無遠慮に電話帳のアイコンをタップして、勝手にシグレの交友関係を覗く。近頃は、電話帳の登録なんて文化も廃れかけているとはいえ、それにしたって連絡相手が少なすぎる。その中で「姉ちゃん」と書かれた電話番号をタップして、今が深夜であることも忘れて電話をかけた。
意外にも、数コール鳴ったのちに、応答があった。
「ふぁい、姉ちゃんです、よぉ」
明らかに寝起き間満載の間延びした声が聞こえてきた。
「ナギサさん、私です、ミカヅキです!」
ナギサは電話の向こうで何やらむにゃむにゃ言っていたが、「ひゃあああ」と何故か小さな悲鳴をあげた。
「ミカヅキさん!?どうしたんですか。あら、シグレは?これ、シグレの携帯番号から……」
「シグレって、女の子なんですか!?」
単刀直入すぎる問いに寝起きの頭では理解が追いつかないのか、ナギサは「え、え、え?」と困惑した声を発す。隣ではアマフサが「お前、遠慮ってもんを忘れたのか」とぼやいている。
「えっと、待って、待ってね。あの、状況がよく」
「シグレが女になってたんです!ナギサさんなら何か知ってると思って」
「え、それは、大変」
こんな時、ナギサのおっとりした性格に、せっかちなミカヅキはイライラしてしまう。イライラしたって、こんな真夜中に非常識な電話をかけているこっちに非があるのは間違いないが。
電話の向こうで、ナギサは黙考しているのかしばし口を閉ざし、ややあってため息まじりの声が聞こえてきた。
「知ってしまったんですね」
「ってことは、ナギサさんは、シグレの体のこと知ってるんですね」
「……ええ。知ってるわ。ごめんなさい。これはあまりにもセンシティブだから、お店に来た時、ここまでは説明しなかったの。でも、女の子の格好をさせられのは本当のことよ。昼間の間はね」
「昼間……」
ミカヅキは呟き、先を促すように黙り込む。ナギサは話を続ける気はあるようで、言葉を選んでいるようではあったがポツポツ詳細を語ってくれた。
「昔、からなの。あの子は。昼は男性の体だけれど、夜になると髪が伸びて、女性の体になる。そういう体質なの。ええ、体質と言い切るにはおかしいってことはわかってるわ。だから、あえていうなら、あれはあの子の抱えたもう一つの怪異なのかもしれないわね。……普段は、髪を妖異封じの赤い組紐で縛ることで、夜に女性になってしまうのを防いでいるもの。それで封じられるってことは、本質は怪異なのね」
ナギサの声は少し震えていた。こういうことを赤の他人に話すのは、ひょっとすると初めてなのだろうか。シグレの抱えた秘密に、ミカヅキは言葉を失う。それから電話の向こうのナギサは、「バニシングツインって知ってるかしら」と尋ねてきた。
その言葉は知らなかったし、なぜ突然話題を変えるのかとミカヅキは訝る。
「知らないです。なんですか、それ」
「簡単に言うとね、お母さんのお腹の中で育っていた双子のうちの片方が、消えてしまうという現象のことよ。実際は、消えたわけじゃなくて、母体に吸収されてしまうことで起こるものなの」
「へえ、そんなことが」
などと感心しかけたが、「なんでそんな話をいきなり?」とミカヅキは問い直す。
「両親が、妖異について詳しいお医者さんに、シグレの体質のことを調べてもらってた時期があったの。その時、お母さんがシグレを妊娠した時にバニシングツインが起きたことを話すと、お医者さんが、原因はそれじゃないのかって言われたそうなの。つまり、どういうことかと言うとね」
やや間を置いて、ナギサは続ける。
「おそらく、シグレの双子のお姉さんか妹になるはずだった胎児が、本来は怪異を宿して生まれてくるはずだったのよ。けれどその子は、バニシングツインが起こって、ちゃんと成長しきる前に、母体に吸収されてしまった。それも、妊娠初期段階ではなくて、妊娠中期くらいに起こったそうなのね。その場合、残された方に影響が出ることもあるらしくて。もしかしたらそれが、シグレの体質に現れたのかもって。事実、シグレは男性なのに、氷海家の女性にしか顕れないはずの、雪女の怪異を宿して生まれてきた」
「つまり、消えたはずの双子の片割れの力を、代わりに持って生まれたってことですか」
自分なりに要約すると、ナギサが「そうよ」と相槌を打つ。
「本当に稀なことらしいけど、残った方の双子の体内から、母体に吸収されたはずのもう1人の双子の子の体の一部が出てきた、なんて話もあるそうだし。シグレの場合、怪異と絡んだことで、バニシングツインの影響が、怪異に近い形で現れたのかもしれないわ」
疑問はかなり解けたが、それでも驚愕は隠せない。そもそも双子の1人が成長する過程で母体に吸収されるとか怖すぎる。ミカヅキには刺激が強すぎた。
だが、これで一つ納得のいく説明は受けた。
「ナギサさん、ありがとう」
そう言って電話を切ろうとしたミカヅキの耳元で「待って」と焦ったナギサの声が耳朶を震わせた。
「あの、シグレは?」
ミカヅキの無言の返答に、ナギサは何か察したらしい。
「あの子は、どこへ行ってしまったの」
「大丈夫です」
ミカヅキは声に力を込める。
「シグレは絶対に、無事に連れ戻します」
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