第28話

 ナギサは麦茶を一口飲んで、少し落ち着いたようだ。「ありがとうございます。おいしいです」と微笑む。

 シグレはナギサが帰らないことが気に食わない様子だったが、再びハタキを持って店内の掃除を再開した。それしか他にやることがないのだろう。

 ミカヅキは、適当な白磁の皿にクッキーを並べて出した。出してから、クッキーに合うのは麦茶ではなく紅茶では、と気づいたが既に遅い。

 氷海家はなんとなくお金持ちそうだし、ご令嬢然としたナギサにギョッとされたりしないだろうか、とヒヤヒヤしながらナギサを眺めると、彼女は「うわぁ!クッキー。しかも猫型。素敵ですね」とものすごく嬉しそうにしていたので、ミカヅキは胸を撫で下ろす。

 ミカヅキも自分の分の麦茶を出して、お茶会に参加することにした。ナギサの向かいのソファに腰を下ろし、シグレへ「あんたはクッキーいらない?」と尋ねる。「いらん」と冷たい反応が返ってきた。

「ほんっとに可愛くない」

 思わず目の前にシグレの姉がいることを忘れて毒付いてしまい、ミカヅキはあっと口を抑えた。 

 ナギサはクッキーに伸ばしかけていた手を止める。

「あの、胡堂さん」

 言いづらそうに、ナギサは伸ばした手を引っ込めて、おずおずと切り出した。

「あの子は、可愛いとか、可愛くないとか、どちらにしても、可愛いという言葉が嫌いなんです......。どうか、あんまりその言葉を使わないでいただけると」

「え、地雷ってこと」

「地雷?」

 意味が伝わらなかったようだ。ミカヅキはひそひそと言い直す。

「禁句ってことですね」

「そうです。その通りです。可愛いとも、可愛くないとも、言ってはいけません」

 今度は伝わったようだ。しかし、静かな店内だ。潜めていた声はシグレに筒抜けだったらしい。

「姉ちゃん、マジで何しに来たんだよ!そいつに変なこと教えるな!」

 ツーンとしていたシグレの顔に初めて感情らしい感情が乗った。恥ずかしがっているのか少し顔が赤い。肌が白いせいでよく目立つ。

「ご、ごめんなさい」

 ナギサは縮こまった。

 シグレがいるところで話を試みたのは失敗だったかもしれない。だがもうヤケクソだ。ミカヅキは空気をあえて読まずにストレートにシグレに尋ねた。

「なんで可愛いとか、可愛くないとかが禁句なの?」

「可愛いと言われて、喜ぶ男はいないだろ!」

 納得する答えが返ってきた。重ねて尋ねる。

「可愛くないも、同じ理由?」

「当たり前だろ!可愛いのが前提にあって、でも、可愛くないって言ってるってことだろうが!」

 シグレはハタキをぶんぶん振り回した。まるで威嚇してるみたいだ。ミカヅキは少し面白くなってくる。

「ふうん、ま、そういうことなら、わたしもその表現は極力使わないであげる」

「なんで上から目線なんだよ」

 さらに噛みついてくるシグレをいなし、ミカヅキはナギサに話しかける。

「あの、シグレに席外してもらっててもいいですな。女子トークしたいので」

「え、女子トーク?」

 ぽかんとするナギサから拒否感は見られなかった。ミカヅキは、ゴソゴソと書斎机の引き出しから何やら縄のようなものを引っ張り出してシグレの手に押し付けた。代わりにハタキをぶんどる。

「はい、あんたは今からもち丸の散歩してきて」

「は?なんで」

「これも仕事のうちだよ!」

 バンバン背中を叩きながら、無理やり中庭へ押し出し、へそ天でひっくり返っていたもち丸をシグレに押し付けた。

 シグレは文句を言いながらも、ミカヅキの押しに負けたらしい。

「絶対変なこと喋るなよ!!」という捨て台詞を姉に残して、シグレは炎天下の中、もち丸と共に放り出された。

「さっきのわんちゃん、ちょっと触りたかったな......」

ナギサが名残惜しそうに、シグレともち丸の去った外を眺めた。ていよくシグレを追い出すことに成功したミカヅキは、「それで、教えてくださいよ」とにじりよった。

「あんなありきたりな理由だけじゃ、「かわいい」が禁句とかまでにならないですよね」

「うーん、あの子はプライドが高いから、十分あり得る理由とは思いますけど。でも、そうですね。多分、それだけが理由ってわけではないと思います。そもそも、きっとわたしが原因だし」

「え、ナギサさんが?」

 意外な発言にミカヅキは目を丸くする。ナギサは視線を膝に落とした。膝の上では、桃色のネイルが施されたほっこりした指を、手持ち無沙汰にいじっている。

「うちのしきたり、というか。しきたりではないのだけど、ちょっと特殊な家でね。シグレは、子供の頃、女の子の格好をさせられてたの。私、それを見て、かわいいって言っちゃったの。本当の女の子みたいでかわいいって。あの子、すっごく怒った目をしてた。きっと、それのせいなの」

「女の子の、、、え、なんでですか?」

 もしかして、祖父の変態趣味だろうか。ミカヅキの中で、会ったこともない氷海家の当主のイメージがますます悪化してゆく。

「あのね、あの、ここ、妖異商さんの店よね。だから、あなたも知ってると思うけど、うちは」

 少し言い出しにくそうだったので、ミカヅキがフォローする。

「知ってます知ってます。憑き物筋ですよね」

「ええ、そうなの。話が早くて助かるわ。うちは、一世代に1人怪異を宿して生まれてくるんだけど、それまではずっと女の子だったの。でも、シグレは違った。あの子だけ、初めて男の子なのに怪異を宿して生まれてきたの」

 そんなことをアマフサも言っていた気がする。

「それで女の子の格好を?いや、まだ意味がわからない」

「うーん、とね。それは怪異のせいかな。その怪異ってのは、いわゆる雪女ですからね。雪女の怪異を宿して生まれてきた女の子は、祭りで人前に出ることもあって、それが男の子だと伝統に障るとかなにかで、祭りの間とか、無理やり女の子の格好をさせられてたの」

 ミカヅキはあまり馴染みのない話に閉口した。なんというか、それって、子供に対して酷じゃないだろうか。その子が本当に女の子の格好をしたがってるなら、構わないが、そうではないのに異性の格好をさせるのは、多感な時期であれば、かなり不快ではないのか。

 ミカヅキは、何気ない話から、いきなり氷海家の深い部分を覗くはめになり、これは、かなり闇が深そうだぞと腹を括ることにした。

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