第14話

「これが全部、あの胡散臭い店主の仕業って言いたいのか?」

「そうとしか考えられないもん。うちの店の危機管理がいくらガバガバだからって、こんなダイレクトに怪異が起こったことなんてこれまで一度もない。絶対に、先生が意図的に仕込んでる」

「なんのために?お前は何も知らないのか。まさかグルじゃないだろうな」

 最初に会ったときのような、警戒心剥き出しので目で睨まれたが、怯むミカヅキではない。腕組みをして自分より上背があり、年上でもあるシグレの前で偉そうに仁王立ちした。

「そんなわけないでしょ。誰が好き好んで怪異に巻き込まれに行くわけ。それに、私と先生の情報共有を舐めんな。先生が私にまともに情報共有してくれたことなんて、記憶にある限り、晩御飯のメニューくらいしかない!」

 その発言に、シグレはいささか毒気を抜かれたようだ。こめかみに向かって綺麗に吊り上がっていた眉が平行に戻り、真顔で尋ねてきた。

「それは笑うべきところなのか」

「いや、嘆くべきところでしょう」

 ミカヅキは拳を握った。

「先生は信じられないくらい説明しないし、情報も共有してくれない!仕事終わりに先生がラーメン屋に連れて行ってくれたと思ったら、実はそれも仕事だったり、あんたを雇うつもりだったのも今さっき知ったし、そもそも、最初にあんたのところに行かされた時も、ろくな説明もなしに、とりあえず行けと言われただけだったし!本当に、あの人は、肝心なことは、なんにも言わないの!」

 ミカヅキが凄まじい剣幕で捲し立てたので、シグレは、ミカヅキがグルだと疑うことが馬鹿馬鹿しくなってきたようだ。

「お前の上司がどんだけ酷い奴なのかは、十分伝わった」としみじみと言った。

「分かってくれたのならいいよ。さ、あの人がなんでこんな怪異を仕込んだのかについては、考えても時間の無駄。とっととここから出る方法を考えないと」

「だから、牛の股を」

 ミカヅキは「またそれ」とうんざりした。

「あんたは牛の股にこだわりすぎ」

「変な言い方すんな。牛の股の間は異界への入り口だってお前が言ったんだろ」

「そうは言ったけど、出口だとは言ってないでしょ」

 ミカヅキは小さい子にいい聞かせるように、身を乗り出して、人差し指をシグレへ突きつける。

「これは先生の受け売りだけどよく聞いといて。来た道を戻れば元の場所に戻れる。怪異はそんな単純なものばかりじゃないよ。ほら、有名な童謡にもあるでしょ、行きはよいよい、帰りは怖い」

 シグレは堪えているようだが、無意識に身が引けている。それをバカにするミカヅキではない。怪異は本来、怖いものなのだから。

「じゃあ、どうしろっていうんだよ。どうやって元の世界に戻るんだ」

 その時、シグレが固まったように口をつぐみ、喉がひりついたような掠れ声で告げた。

「何か聞こえる」

 ミカヅキは耳を澄ました。聞こえるのは遠くでモウモウ鳴いている牛の鳴き声と、カリカリと何かを引っ掻く音。

 ミカヅキは廊下を見渡したが、音の出どころらしきものは掴めなかった。仕方なく、手近の引き戸を開けてみると、やはり見慣れた胡堂屋の店内が広がっている。廊下側のドアから開けたためか、その先は正面玄関から入った時に見える角度ではなく、背面から店を覗く形になる。だが、何かを引っ掻く音は、その店の中から聞こえているようだ。

 躊躇せず、ズカズカと部屋へ踏み込んだミカヅキを、シグレは唖然として目で追った。この少女は、恐怖感を感じる心のメーターか何かが振り切れすぎて壊れているのではないのかと、彼が思ったのも無理はない。怖いのだか怖くないのだか、常軌を逸しすぎてそれすらも理解できないこの状況で、正体不明の音の出所を躊躇なく探りにいくなんて、余程の胆力がいるだろう。

 シグレはしばらく廊下で固まっていたが、廊下に1人でいるのも恐ろしく感じたのか、ミカヅキに続いて部屋へ入った。

 シグレよりも先に部屋へ入っていたミカヅキは、音の正体を既に見極めたところだった。彼女は今、本来であれば中庭に通じているはずのガラス戸を開けようとしていた。なぜなら、向こう側からガラス戸を引っ掻くまんまるな獣の姿を確認したからだ。

 ミカヅキがガラリと引き戸を開けると、鞠のような毛玉がミカヅキの足元へ突っ込んできた。ミカヅキはしゃがみこんで、「よしよし」と毛玉を撫でてやる。

 後ろで恐る恐る様子を眺めていたシグレが、「え、狸?」と困惑した声をあげた。

「いや、違う違う。犬だよ」

 ミカヅキによしよしされた赤胡麻色の毛玉は、鳴く代わりにふんふん鼻を鳴らして、ツヤツヤした鼻腔をシグレの方へ向ける。なるほど、そのもちもちボディは体毛の色も相まって狸のように見えなくはない。ただし、彼は立派な四国犬である。

「うちで飼ってるの。名前はもち丸」

 ミカヅキの紹介に預かったもち丸は、無垢な目でシグレを見上げた。初対面の人間相手なのに吠えることもしない。シグレの方はツチノコでも目撃したような顔でまじまじともち丸を観察するや、「デブじゃん」と失礼な発言を漏らした。



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