第三部 呉越同舟

第12話 

 ミカヅキは、雑用を押し付けることができるという暗い喜びでいっぱいの内心を悟られないように、顔が緩むのを必死で抑えた。代わりにツンケンした態度で店内をシグレに案内する。

「いい?ここがお店の顔となるところね。一番奥のカウンターは先生の書斎机も兼ねてる。書斎机の前のソファとテーブルは来客者用。誰もいない時は使っていいよ。ただし汚さないこと。壁の本棚は自由に読んでオッケー。先生の私物だけど既にボロボロだから、気を使わず読んでよし。あと、その辺の棚に置かれてる木箱は絶対に触らないこと、剥き出しで置かれてるのは触ってもオッケー」

「質問」

 シグレが小さく挙手した。

「なんで木箱は触ったらダメなの。てかこれ売り物じゃねーの?ここ一応店なんだろ」

「木箱に入ってるのは売り物じゃないよ。貸すことはあるけどね。つまり、妖物ってこと。素人が触って、封印が緩んだり、解かれでもしたら、うちがお化け屋敷になっちゃうから。それ以外の剥き出しで置かれてるのはただの仏具とか骨董品とかアンティーク。妖物の貸し借りとか怪異の解決だけじゃ、顧客が少なすぎて商売にならない。だから、表向きは仏具と骨董品も売ってるの。一応看板に仏具店って入れてあるから、メインで売るのは仏具だけどね」

 赤い組紐をかけられた木箱の集合体を、シグレはじっと眺めている。

「妖物と普通の売り物を一緒くたに置いてるのか。危機管理的にどうなんだそれ」

 シグレの言うことは最もである。

「それなんだけどね、昔は妖物だけはお客さんの目に触れない倉庫とかに置いて、必要な時だけ持ち出してたんだけど、溢れすぎて入らなくなって、仕方なくここに置くようになったらしいの」

「やばい気しかしない」

「うん、それな。時々監査入るけど、この状態どうにかしろ!って天野さんに何回か言われてるんだよね。ああ、天野さんは妖異管理委員会ってとこの人。でも、先生なんにも対策しないんだよ。そのうち整理しますーとか言ってぬらりくらりとしてさ」

 ミカヅキはアマフサに代わり、木箱の山を物置部屋や蔵に移動させようとしたのだが、既に混雑率200%の物置部屋と蔵に太刀打ちすることはできず、やむなく撤退した。

「俺、あの人に従業員になるかって聞かれて、安直に頷いたけど、もっと考えるべきだったか?」

 後悔の滲んだ表情でそんなことを言い出したシグレに、ミカヅキは危機感を覚える。まずい、このままでは雑用を押し付ける新人がすぐに辞めてしまうではないか!ここはとにかく外堀を埋めて辞めづらくさせるしかない。

「あー、そうだ。うちで働くならまず、雇用契約書を書いてもらうべきだったね」

 わざとらしく話題を変えて、ミカヅキはアマフサの書斎机の役割も果たしているカウンターの裏へ回る。

「えっと、どこかにあったはず」

 カウンターの裏側にたくさんついている引き出しを、ミカヅキは片っ端から開けてゆく。引き出しの中は、よりどりみどり。使い古した灰皿に、ガムに、全く整理されていない文房具、ファイリングすらされていない書類の束。全てが恐ろしく雑然としており、アマフサの頭の中でものぞいている気分だ。

 やがて、ミカヅキは目当てのものを見つける。

 引き出しの底から引っ張り出してきた黄ばんだ紙の束。これが胡堂屋の雇用契約書である。ちなみにいつ作成されたのかは誰も知らない。胡堂屋は基本、バイトなど雇う必要がないほど暇だからである。

「さ、そこのソファに座って、そんでこれにサインして」

 半ば強引にシグレをソファに座らせて、目の前に雇用契約書を突きつける。ミカヅキは契約書など読んでもわからないから、読まずにサインするという、危うい性質の持ち主だが、シグレはそうではないらしい。

「これ、一旦家に持って帰っていい?検討するわ」

 まずい、怪しみまくっている。ミカヅキの頭の中で警報が鳴り響く。これほどまでに先生の帰宅を待ち望んだことはない。早く帰ってきて、それっぽいことを言って、シグレを思いとどまらせてくれ。

 その時、カタンと何か小さな物が落ちるような音が店の奥で聞こえて、2人は反射的に音のした方へ振り返った。

 ミカヅキはすぐに音の聞こえた方へ向かう。

 アマフサの書斎机の方から聞こえたように思ったが、何かが落ちていたり、倒れたりはしていない。

 いや、と、ミカヅキは目を凝らして床を見た。床の色と同系統の色だったため見落としかけたが、根付けが一つ落ちている。ミカヅキはそれを摘み上げた。

 いつの間にか、シグレも様子を見にこちらに来ている。

「なにそれ」

「うーん、牛、かな?」

 2人は首を捻って根付を眺める。紫色の紐に吊り下げられているのは木彫りの牛のようだ。しかし牛と言っても妙なポーズをとっている。平面に牛を立体的に彫っているようだが、その牛はお尻をこちらに向けて大股を開いている。開かれた股の間だけ木がくり抜かれており、向こうを見通すことができた。

 ざわ、とミカヅキの中で何かが警鐘を鳴らす。

「あ、やばい。見たらダメ!」

 ミカヅキは声をあげたが、もう遅かった。

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