第41話  地下の王

暁橋管理塔の地下十階。

 長く湿った通路が、まるで冷たい息を吐くように暗闇へと続いていた。

 軍服のような制服を着た刑務官が無言で先導し、重厚な扉の前で立ち止まる。

 管理技官が黒いカードを読み取り機に押し当てた。

 その指先は、わずかに震えている。

「二次承認を要求」

 無機質な声が天井のスピーカーから響く。

 奥のブースで別の技官が立ち上がり、端末をタップした。

 虹彩スキャナーが光り、低いクリック。

 重く、油圧音を伴って扉が開く。

 ――その瞬間、暁人は息を呑んだ。

 そこは、さっきまでの暗闇とは正反対の光景だった。

 金の装飾。深紅の絨毯。壁には花の香を閉じ込めたような灯りが揺れている。

「……ここ、本当に留置所か?」

 暁人のぼやきに、芽依が肘で突いた。

「言わないでください。誰が聞いてるかわからないんですから」

 中央のソファに腰かけていたのは、白髪混じりの男――シグマ=209。

 囚人番号のプレートは見当たらず、拘束具もない。

 その隣には、黒と紅のチャイナ服をまとった女が立っていた。

 細身の身体に沿う布が灯りを受け、波のように光る。

 髪を高く結い、無表情のままワインを注いでいる。

 グラスを受け取ったシグマは、口元にかすかな笑みを浮かべた。

「驚いたか? 地下十階の“牢”は、見た目ほど退屈じゃない」

 その言葉に、暁人は背筋を伸ばす。

 女がこちらに一礼した。

「お客様、ワインは?」

 声は柔らかいが、どこか温度が欠けていた。

 その横を、もう一人の影が通り過ぎる。

 ユニス・コードのハリソン・レイジ。

 彼は淡々と挨拶した。

「お久しぶりです、シグマ・209」

「……グレッグは元気か?」

「父は相変わらずでございます」

 まるで旧友の再会のような響き。

 暁人は口を開きかけ、芽依が袖を引いた。

「ここに入る許可を取るだけで、ローレンスとみつはがどれだけ苦労したか、わかってますよね?」

 暁人は苦笑して首をかしげる。

「……そりゃそうだ。こんな牢、俺も入りたくなる」

 チャイナ服の女が、ふと微笑んだ。

 その笑みには、囚人の主と同じ静かな威圧があった。

 シグマはグラスを傾け、視線だけを彼らに向ける。

「我々も裏で食い止めようとした。だが、もう遅い」

「何を、だ?」暁人が問う。

 シグマは目を細めた。

「ヴェルム人――三百年前、空から堕ちた民。

 彼らを“神”と崇めた人間が、世界を壊した。

 その系譜はいまも生きている」

 部屋の空気が重くなる。

 芽依が低く息をのむ。

「……それが、“マーク”を?」

「違う。あれは誘導された狂信者にすぎない」

「じゃあ、“ヴェルム人”ってやつらが犯人なのか?」

 暁人の言葉に、シグマの視線が鋭く光った。

「その名を、ここ以外で口にするな。

 耳を持つのは人だけではない」

 静かな一喝に、空気がひび割れる。

 暁人は唇を噛んだ。

 シグマは答えず、ワインを一口含む。

 リィ・ファがすぐに注ぎ足す。

 その動作は完璧で、この場全体が一つの儀式のようだった。

「マーク・バーロウ。彼が“鍵”を持つ。

 だがその鍵は、開くためのものではない」

 暁人は苦笑する。

「どこに行ってもマーク・バーロウは人気者だな」

 その軽口を皮切りに、緊張がわずかに解ける。

 だがすぐ、別の火花が散った。

「あなたの管理が甘いんだよ。こんなおっさん、連れてきやがって」

 サミラが芽依を横目で見て言う。

「その口で言う? 若い男にしか興味ないくせに。黙ってなさい、年増が」

 芽依が笑いを返す。

「はいはい、両方ストップ」

 トムがため息をついた。

 シグマが吹き出した。笑いではない。

「人間は、争っている時が一番、誠実だ」

 その声音に、誰も反論できなかった。

「面会終了です」

 SPの一人が機械的に告げる。

 暁人たちは立ち上がり、扉へ向かう。

 背後でリィ・ファが静かにシグマのグラスを回収した。

 シャンデリアの光が、その瞳を金に染める。

 扉が閉まる直前、シグマの声が届く。

「観測は続く――封印は、すでにほどけ始めている」

 重い鉄の音が響き、光が消えた。

 長い廊下を歩きながら、暁人はぼそりとつぶやく。

「……本当にここが留置所なのか。俺も入りたいぜ」

「やめてください。冗談に聞こえません」芽依が睨む。

 遠ざかる足音だけが、静かな地下に反響していた。


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