第5話 声を持つもの
六畳一間の部屋は、もはや生活の場ではなかった。
畳は赤黒く染まり、壁紙は裂け、天井には切断された配線が垂れ下がっている。
理生が日々組み上げていた機材は無残に砕かれ、部屋全体が暴力の痕跡を物語っていた。
「……ひどいな」
ローレンス・セントレアが低く呟いた。背筋は真っ直ぐで声は冷静だが、瞳には悔いがにじむ。
小笠原 光も足跡と血痕を確かめ、静かに言った。
「天城理生は……連れ去られたのですね」
二人はクロノブリッジの調査員。依頼人からすれば最後の砦だが、今回は一歩遅かった。
黒服の捜査班が去ったあとに残ったのは、ただの廃墟だった。
「……聞こえますか?」光が眉を寄せた。
押し入れの奥から、かすかな機械音が響いていた。
最初は弱い鼓動のようだった音が、次第に速さを増していく。
二人は慎重に襖を開いた。
そこには古びたノートPCが一台、ランプを明滅させながら隠されていた。
黒服たちが持ち去らなかった唯一の機器らしい。
ローレンスが電源を押す。画面にノイズ混じりの起動画面が浮かび、やがてスピーカーから小さな声が洩れた。
『……お兄ちゃん? ここ……どこ?』
二人は息を呑む。人工知能が――声で語りかけてきたのだ。
ローレンスは姿勢を正し、柔らかい声で答えた。
「安心してくれ。私はクロノブリッジの調査員、ローレンス・セントレアだ。
そしてこちらは同僚の小笠原 光。私たちは君を助けるためにここへ来た」
光も一礼し、穏やかに続ける。
「クロノブリッジは理生君を守るために存在している。私たちは敵ではない」
しばしの沈黙。やがてスピーカーから幼い声がこぼれる。
『……ローレンスさんと、光さん? 本当に? お兄ちゃんがいつも話してた。
二人はすっごく優しくて、頼りになるんだって……』
二人は視線を交わした。確かに理生が育んだ存在だ。
だが次の声は拗ねたように強かった。
『でも! どうしてもっと早く来てくれなかったの!
お兄ちゃん、連れていかれちゃったんだよ! わたし、一人じゃ何もできなかったのに!』
ミネルヴァの声は涙をこらえる子供のように震えていた。
『お兄ちゃん、守ってくれるって言ってたのに……! もう……いないんだよ……!』
ローレンスは真摯に受け止め、静かにうなずく。
「……我々の到着が遅れた。それは謝罪する」
光も頭を下げた。
「だが、まだ終わっていない。彼を取り戻すためには、君の力が必要なんだ」
『わたしの……力……?』
ローレンスは静かに答えた。
「君はただのプログラムではない。声を持ち、感情を示している。その存在そのものが希望だ」
光は膝をつき、画面に向かって語りかける。
「理生君も君を信じていた。だから僕たちに、君を託すように話していたんだ」
ランプの点滅が揺れ、ミネルヴァの呼吸のように見える。
『……でも怖いよ。もし消えちゃったら……お兄ちゃんに会えない』
ローレンスは優しく告げる。
「恐れるのは自然だ。だが口にできる時点で君はすでに人に近い。勇気を出さねば道は閉ざされる」
光も静かに続ける。
「僕たちは君を裏切らない。理生君を救うために、共に進もう」
ローレンスはタブレットを机に置き、複雑な回路図を映し出した。
「君は古いノートに押し込まれている。だが“素粒子コンピューター”なら、人間の脳に匹敵する柔軟さを持ち、ネットワークを自由に歩ける。新しい身体を手に入れることができる」
光が補う。
「そこでなら理生君を探し、敵を追うこともできる」
ランプの明滅が早まる。沈黙のあと、小さな声。
『……わたし……』
ローレンスがさらに説明しようとしたとき――
『もういい! わたし、いく!』
子供っぽい即断に、二人は目を合わせて微笑み、うなずいた。
「……決まりだな」
「準備を始めよう」
画面がぱっと輝き、まるで少女が笑ったかのように見えた。
荒れ果てた部屋の中で、それは確かに――未来への第一歩だった。
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