犯人は小泉さんです

キングスマン

主役視点

 無限と見紛みまがう、などと言い切ってしまうには心許こころもとない数かもしれないけれど、高い天井から降ってくるゆうに千を越える剣や槍は、今だけ無限と表現することを許してほしい。

 この狭い空間に逃げ道はなく、隙間なくこちらに接近してくる数多あまたの刃物たちの姿は、頭上から巨大な剣山が落ちてくるのと変わらない。

 押しつぶされたりはしないだろう。串刺しになるだけだろう。その結果、ウニかサボテンかヤマアラシのような見てくれとなり、そこに命の保障はないだろう。

「どうしてこんなことに」

 小泉こいずみさんは憔悴しょうすいした顔で天を仰いでいる。

 僕も彼を見習って、逃れられない死を前にうつろな瞳にでもなってみようか。

 ぐっと強く、誰かに肩を掴まれた。

 必然的に、相手に目を向ける。

「あきらめてんじゃねえよ!」

 それは声というより、音に近かった。

 耳ではなく体内に直接響き、生きるための鼓動を呼び覚ます。

 僕は思わず吹き出してしまった。

 人生なんて適当に生きて適当に死ねたらいいとか言ってたくせに。

 ずいぶんと生に執着しているじゃないか。

 それとも今のこの状況は、適当とはいえないから抗いたいのか。

 こいつのことはよくわからない。

 事実、数日前まで苗字しか知らないただのクラスメイトだったのだからしかたない。

 この数日で、友人──と呼べるくらいの距離にまでは近づけたような気がするけど。

 どうだろう。こいつは僕をどう思っているんだろう。

「何がおかしい?」と相手は顔をしかめている。

 どうやら僕はおかしな顔をしているらしい。

 まあそうだろう。

 僕はきみをともだちと思っているけど、きみは僕をどう思っている? なんて悩みは思春期の定番だとしても、死の間際で最優先に掲げていいものではない。

 この悩みはもう少し、先延ばししよう。

 そのためには生きながらえる必要がある。

 どうにもならないけど、どうにかしないと。

 唯一の希望は、僕の肩を掴んでいるこいつの存在だ。

 思えばこの島にきて事件が起きてからも、こいつのふとした言動が閃きとなり危機を回避してこられたじゃないか。

 今回もきっと何か転機が訪れるはず。

 頭上に迫る刃との距離は一メートル未満。

 常識的、物理的、どちらで考えても、あと一度のまばたきで僕たちはなんらかの凶器に体を貫かれ、生命活動を強制的に停止させられる。

 絶対あきらめないからな──口ではなく、目で宣言してくる。

 しかたないから、同じ目をして付き合ってやることにする。

 無意識のまばたき。

 一瞬だけ閉じるまぶた

 その暗転が僕を回想に導いた。


 五日前。

「明後日からの連休、暇なやつは島に行ってみないか?」

 昼休みの教室。担任の先生が教壇に立ち、そんな提案をしてきた。

 大半の生徒が頭上に疑問符を浮かべながらも注目する。

 怪しいセールスマンか胡散臭い政治家のような教師の熱弁を要約すると次のようになる。

 先生の知人が、とあるリゾート地で立場のある地位にいるらしい。

 昨日、そのリゾート地で大量のキャンセルが発生したという。

 キャンセル料は支払われているので金銭的な損失は出ていないのだが、このままではその日のために用意された大量の食材などはどうしても破棄せざるを得なくなるそうで。

 それは、もったいない。

 だったらいっそのこと、振る舞えばいいのでは?

 というわけで連休に予定のない腹ペコの高校生たちを無料でご招待と相成あいなったとのこと。

 降って湧いたできごとに、教室は活気づく。

 僕はどうしよう。

 連休に予定はないけど、人の多い場所は苦手だ。

 とはいえ、食べものを粗末にするのはよくない。


 二日前。

 約束の時間まであと二十分。

 集合場所であるフェリー乗り場まで小走りで十七分。

 だけど僕は、フェリー乗り場とは反対方向に歩いていた。

 すぐそばにいる三十代前半の男女と一緒に。

 三人そろって、一人の男の子の名前を大声で呼んでいる。

 男性と女性はその子の両親だ。

 数分前に、はぐれてしまったらしい。

 本当に一瞬目を離した隙にいなくなって……本当に消えたみたいで……どうしよう、誘拐とかされてたら……。

 母親はありとあらゆる不安を想像の中で肥大させていた。

 そんなことないから、絶対すぐ見つかるから──と、父親はその肩を抱く。ただ、その手は震えていた。

 九月の中旬。秋の存在を忘れてしまっているかのような暑い日がつづく。

 強い日射しの下で、今だけは居心地の悪い肌寒さを覚えていた。

「あ! パパ! ママ!」

 季節外れの桜が舞うような少年の声。

 僕は声のするほうを見る。両親は既に少年に向かって駆け出していた。

 一瞬で距離を詰め、膝をつき、抱きしめる。

 ごめんね、こわかったね、ごめんね──よかった!

 母親は感極まっている。父親は言葉なく両眼をぎゅっとつぶっていた。神に感謝しているのかもしれない。

「このお兄ちゃんがね、一緒にパパとママを探してくれてたんだよ」

 少年は笑顔で、隣にいる男を指さした。

 両親は何度も何度も彼に感謝を伝えた。

「見つかってよかったです」と彼は言う。

 本人が望めば今すぐモデルか声優になれそうなくらい、顔と声とスタイルがいい。

 僕は彼を知っていた。

 同じクラスの恋角こいずみだ。

 ばいばーい、と大きく手を振る男の子に小さく手首を動かすことで応じながら、彼は僕に近づいて、こう言った。

「行くぞ」

「え?」高校一年生になって半年が経過した現在、これが僕と恋角とのはじめての会話だった。「えっと、どこに?」

「フェリー乗り場」

 吐き捨てるようなつぶやきなのに、独特の美声のせいで、そこがどこか特別な場所のように思えてしまう。

「もう間にあわないよ」

「だったら走ればいいだろ」

「え? ──うわ!」

 パンがないならケーキを食べればいいというセリフは実際は言われていないそうだけど、歩いて間にあわないなら走ればいい、と恋角は言った。

 僕の手を掴んで走り出す。すごい力だ。

「わっ──そんなに引っ張らないでよ」

 恋角は僕の手を離す。僕は彼と並走する。こっちはほとんど全力疾走なのに、隣の男からは朝のジョギング程度といった余裕を感じる。

「ちょっと意外だよ」無理をして話しかける。「恋角君って、こういうの興味ないと思ってたから」

「──気持ち悪い」

「え?」

「君付けとか気持ち悪い。ガキじゃあるまいし」

 子供扱いされるのは僕も好きではないものの、十五、六歳はまだ未成年だろう。

「じゃあ──恋角って呼べばいい」

「ああ」走りながら恋角は小さくうなずいた。「俺もお前を比街このまちって呼ぶから」

「恋角く──恋角って僕のこと知ってたんだ」

 あきれたように恋角はこう返す。

「同じクラスなのに、なに言ってんだ。そうじゃなくても、うちの学校でお前を知らないやつを見つけるほうが難しいと思うぞ、比街詩夜このまちうたや

 ときどき僕は変な目立ち方をしてしまう。だから無駄に名前が知れ渡っていた。

「……えっと、恋角って旅行とか好きなの?」

 強引に話題をそらす僕に彼は「嫌いだよ」と答えた。

「え? じゃあどうして──」

「旅行は嫌いだけど──」僕の言葉をさえぎって恋角は「──食べものを粗末にするのはもっと嫌いなんだ」とこぼした。


 昨日。

 夢幻島むげんとう

 フェリーで一泊したのちに到着した小さな島には、その豊な自然よりも目を奪われる謎が存在していた。

 島の中心に広い和風の邸宅があり、その敷地内に白く高い、塔のような建造物がそびえ立っていた。

 一見それは灯台に思えたけれど、違和感がある。

 灯台だとするなら、上部にあるはずの光源や灯室が見当たらない。

 天をくような白く長い円錐えんすいは、地面から牙が生えているみたいだ。

 島に降り立ち、その足で宿泊先である大型旅館、夢幻館むげんかんの門をくぐる。

 この島の領主が建てた邸宅の持ち味を活かして改築をつづけ、予約の取れない人気宿泊施設として繁盛しているらしい。

 そんなことより。

 僕は敷地内の白い塔に近づいて、その陶器のような表面を手のひらで撫でてみる。

 すべすべとしているけど、金槌かなづちで叩いてもひびを入れられそうにない硬度を感じる。人工物なのは間違いないけど、これはどういう素材だろうか。

 それより。

 僕の目前にはラグビーボールを半分にしたような楕円形だえんけいの扉がある。いうまでもなく、塔の内部につながる扉だ。

 中を見てみたいけど、無断で開けるほど無作法者ではない。それによく見ると、扉には鍵穴があった。

「よろしければご案内、致しましょうか?」

 ふいに、隣から声をかけられた。

 黒を基調とした上品な執事服を着こなした、大学生くらいの男性が僕に笑顔を向けていた。

 きっとこの旅館のスタッフさんだろう。

「いいんですか?」この人、いつからいたんだろう。

「もちろんです」気持ちのいい笑顔だ。

 彼は手品のように古風な和鍵わじょうを取り出すと、鍵穴に挿し、くるりと回す。

 がちゃり、と大きな音が鳴る。僕の胸に宿る期待の大きさに比例しているみたいだ。

「俺もいいか?」

 背後から声。

 振り返ると、恋角がいた。

 僕と同じように二本足で直立してるだけなのに、どうしてこんなに絵になるんだろう。

「もちろんです、さあどうぞ!」

 扉を開けてくれた男性は内部に手を向け、先に入るよううながした。

 足を踏み入れると、まぶしさに迎えられた。

 思わず手のひらで目をおおう。

 屋内とはいえ、まだ昼なのに過剰すぎないか、この光の強さは。

「申し訳ございません。少し眩しいですよね」申し訳なさそうに笑いながら男性も塔の中に入って、扉を閉めた。「でもここからが本番です。夢と幻の世界にようこそ!」

 そう言うと、彼は何かをさわって、どこかで仕掛けの動く音がした。

 電灯のスイッチをきったのか、明るさが徐々に失われて、今度は闇が辺りを支配する。

 そして光が生まれる。あちらこちらから。

 ライムイエロー、ミルキーホワイト、エメラルドグリーン──。

 小さく優しい光たちに包まれる。まるで星空の中を泳いでいるみたいだ。

「これはこの島特有の蓄光性の鉱石です。綺麗でしょう? 島には洞窟もあって、そこにはここと違う色の鉱石も楽しめますので、よろしかったら今夜、ご案内しますよ?」

 その提案を僕は聞き逃していた。

 この空間に目も心も奪われていたから。

「なんか、こういうの見てたら、自分の人生なんか、ちっぽけだなって思えてくるよ」

「元々、人生なんかどうでもいいだろ。適当に生きて適当に死ねたらそれでいい」

 せっかくいい声を持ってるんだから、もっと気の利いたことを言えばいいのに。

 だけど、なんだかこいつっぽいなと思ってしまった。

 こいつのことは、まだよくわからないけど、間違ってない気がする。

 鉱石が蓄えていた光が弱まりだしたところで、電灯がつけられた。目に痛いほどのものではなく、良識的なあかりだ。

 ここの広さは十畳ほどだろうか。外観から想像していたよりも狭い。

 全体を鉱石で覆われているので、洞窟の中にいるみたいでもある。

「なあ」すぐそばで恋角が声をかけてきた。「あれは、何だ?」

 彼は天井を見上げている。

 僕も顔を上げた。「……あれは……」

 初見でそれは、天井に宝石でも飾っているのかと思った。

 きらきらと、輝いている。

 だが、すぐにそうではないと気づく。

 それは、それらは、刃物だった。

 ナイフや包丁ではない。

 刀や槍、そういうたぐいのものだ。

 なぜ天井あそこに?

 説明を求めるように、僕は執事服の男性に目を向ける。

 彼は困ったように微笑んでいた。笑顔で何かをごまかしている。

「ここは『贖罪しょくざいの塔』と呼ばれています。ただ、この塔が建てられた理由はわかっていません。文献が破られていたんです。とはいえ、しっかり固定されていますし、落ちてきたりはしないので安心してください。さあ、そろそろ出ましょうか」

 僕たちの肩を押しながら、半ば強引に塔から追い出す。

 心なしか、その手は震えているように感じた。

恋角こいずみはこの後、どうするんだ?」

「え? 仕事ですが?」

 恋角に話しかけたのに、なぜか執事服の男性が返答する。

「え?」

「え?」

 僕と彼が同時に首をかしげる。数秒後、何かを察したように彼は、ぽんと手を叩く。

「あ、私、小泉こいずみと申します」

「あ、そうなんですか」

 まあ、珍しい苗字じゃないしな。恋角こいずみの場合、漢字がちょっと変わってるけど。

「ああ! 見つけた!」

 男の人の叫び声。

 ぎくり、と肩を震わせる小泉さん。

 執事服を着た二十代の男性が小泉さんに近づいて、目の前で仁王立ちになる。

「また仕事着になってる! 連休中は休んでくださいってみんなと約束しましたよね?」

「しかし、学生さんたちがたくさんいらしていますし、私もお手伝いしたいなって……」

「小泉さんは働きすぎなんですよ! まだ二十歳なのに、本当に過労死しますよ?」

「私、働いてないとダメなんです。このままでは不労死してしまいそうで……」

 なにやらユニークなやりとりがはじまる。

 全く興味がないといった様子で、恋角は旅館に向かって歩きだす。

 僕も彼についていくことにした。

「この島には二人のコイズミがいるみたいだな」と話しかける。

「面倒だから名前で呼んでくれ」

「わかった。えっと──」

 恋角の名前って何だっけ? 頭をひねっても思い出せない。そもそも名前を知らない。

「──ちかい」ぼそっとこぼす。

「え?」

恋角誓こいずみちかい──だ。まあ、別に覚えなくていいぞ」

 なぜだか僕は笑った。

「もう忘れないよ、ちかい

 たったそれだけのことで、目には見えない距離が縮まった気がした。


「本日はようこそおいでくださいました」

「この夢幻館むげんかん一時ひととき夢幻ゆめまぼろしをご堪能ください」

 館内に足を踏み入れるやいなや、二人の執事に迎えられた。

 身にまとう執事服は小泉さんが着ていたものより少々簡素なつくりになっていて、そこに階級の差を感じた。

 二人とも僕と歳は変わらないように見える。

 アルバイトの執事バトラーだろうか。

 和風の館に洋風の執事の姿は、ハンバーグの天麩羅てんぷらみたいな違和感がある。

 どちらも美少年といえる顔立ちで、片方の髪が極端に長く、もう片方はずいぶんと短髪だった。二人の髪を足して二で割れば、ちょうどいい長さになるのでは、などと考える。

わたくし毬音まりおと申します」髪の長い少年が名乗る。

わたくし涙治るいじと申します」髪の短い少年が名乗る。

「……ご兄弟なんですか?」

 顔はまったく似ていないけれど、条件反射のようにそんな疑問が口からこぼれた。

 毬音まりお涙治るいじは頭上にハテナマークを浮かべる。叩けばそこからコインかキノコが出てくるかもしれない。

「お客様から、示しあわせたかのように同じ質問をされるのですが」毬音が口火をきって。

「──私たち、えんゆかりもない正真正銘、全くの赤の他人でございます」涙治がめくくる。

「……そうなんですか」

 とても失礼なことだけど、勝手にがっかりしてしまう。

 暴れ牛にまたがって、テンガロンハットを被り、投げ縄を振り回している人に、もしかしてカウボーイなんですか? と訊ねてみると、いいえ私は歯医者です、と返されたような。

 そんな気持ち。

「御用の際は、名前を呼んでくださいませ。飛んで参りますので」

 人形のように静謐せいひつな表情と声で淡泊たんぱくに告げられる。

「お食事の準備が整いましたらお呼びしますので、館内でおくつろぎ下さい。露天風呂もございますので、ご希望でしたら御申しつけくださいませ」

 他にもいくつかの説明を受けたあとで、僕は案内された部屋で一休みすることにした。

 ドッジボールくらいなら難なくできるくらい広い室内は、誰もが心に思い描く古き良き日本の美しさに彩られていた。

 壁には大型で薄型のテレビ、布団ではなく熊が寝返りをうっても落ちそうにない幅のあるベッドが設置されているにも関わらず、和のおもむきは崩れていない。開放的な窓の向こうには絵画のような景色。

 無粋とわかっていてもスマホを取り出して、この旅館の本来の価格を検索してしまう。

 一泊、十八万円。

「…………」

 ここに招待してくれた先生に何かお土産を買って帰ることを決意。

 それから数時間が経過して、窓の外の空は深い藍色あいいろから黒へと移り変わっていた。

 夜の二十時。

 さすがに夕食の準備ができていてもおかしくない気がするけれど、まだ呼ばれないのは何か問題がおきているのか、この島ならではの風習なのかわからない。

 何かあったら名前を呼べという執事の言葉を思い出す。

毬音まりおさん、涙治るいじさん」自分にしか聞こえない程度の小声でつぶやく。

 とうぜん返事などない。と、思っていた。

 突然の悲鳴。

 僕は部屋から飛び出す。離れた部屋から恋角も顔を出していた。

 僕たちはうなずきあって、悲鳴のした一階まで駆け降りる。

 そこは調理場だった。

 十数名いる料理人の他に割烹着かっぽうぎ姿の男性が数名、それに毬音まりお涙治るいじ、二人の執事が床に仰向けに倒れていた。瞳から光を失い、口から赤い液──血を吐いて。

「何だよこれ……どういうことだ?」思いがそのまま口からこぼれる。

 近くで悲鳴。

 見ると、小泉さんが口に手を当てて激しく動揺している。

 そこでまた悲鳴。

 今度は玄関から。

 うちのクラスの男子数名が、全裸でこっちに駆けてくる。

「どうしたの?」と訊ねる。

「た、たすけ、てくれ……温泉が急に熱くなって、それで、それで……熊が出て……!」

 肌を露出していることなど気にも留めない様子で錯乱するクラスメイトの言葉を要約すると以下のようになる。

 今から三十分ほど前、旅館の近くにある露天風呂でくつろいでいると、ふいにそこが耐えられないほどの熱さにグツグツ煮えてきたのだという。

 慌てて飛び出したが、何人かは湯船からの脱出に失敗して、そのまま悲鳴を上げ、やがて悲鳴すら上げなくなった。

 島に逃げると悲劇は加速した。

 そこに熊や狼が現れたのだという。

 人間こちらを確認するやいなや、野生の生き物たちは牙をむけてきた。悲鳴に気づいた他の男子生徒たちが助けに駆けつけてくれたのもむなしく、獣たちの餌食となった──らしい。

「…………」

 信じろ、というほうが無理な話だけど、信じるほかない。

 なぜなら、旅館のガラスを突き破って、熊や狼や獰猛どうもうな野鳥が飛び込んできたのだから。

 とにかく僕たちはその場から逃げ出し、走って、走って──

 気づけば日付は変わっていた。


 今日。

 目の前のできごとに現実味がない。

 夢幻島むげんとうの名の如く、夢か幻ではないかと思い、生まれてはじめて頬をつねってみる。

 痛い。

 それから数時間、あちらこちらを走り回った結果、良いニュースと悪いニュースができた。

 まず、幸運にも生き延びることができている。これが良いニュース。

 とはいえその全てが恋角のおかげだ。

 過去に似たような困難と対峙たいじしたことでもあるのか、彼の適切な判断によって、紙一重で生きながらえている。

 あとは全てが悪いニュース。

 どういうわけか携帯がつながらない。島で不審な人影を見たという情報があり、おそらくそいつがこの惨劇の首謀者である可能性が高いけれど、当然誰かはわからない。

 そうして逃げつづけた結果、終着点として白い塔、贖罪の塔にいる。

 僕と恋角と小泉さんと、生き延びたクラスメイトが三人の、計六名。

 扉の向こうでは猛獣たちがタチの悪い借金取りみたいに全身で塔に突進してくる。

 揺れる塔内。

 天井から落ちてきた数本の刃が三人のクラスメイトを容赦なく貫いた。

 断末魔だんまつますら上げることなく、静かに逝ってしまった。

 そしてついに、全ての剣や槍が一斉に舞い降りてきた。


 現在。

 ぐさり。

 実際に剣で突き刺されても、そんな音はしない。

 幼い子がおふざけで針山に針を刺しつづけるように、僕たちは剣と槍に貫かれつづけた。

 痛いというより、ああ、体に穴がいくつも空いているなあという、達観があった。

 意識が薄れていく。ずいぶんとあっけない人生の幕切れだった。

 ただ最期さいごに、妙な気配を感じた。

 僕のすぐそばで、誰かが微笑んだ気がした。

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