第4話:午後二時の五分間ルール



LIFE GOES ON

第四話:午後二時の五分間ルール


デルフィニウム事件から数日。篠田湊は、ある自主的なルールを己に課していた。


『フラワーショップ・エトワールへの滞在は、五分以内とする』


それが、めんどくさい自分と、かったるい彼女との間に設けた、唯一の安全策だった。

あの日、メッセージカードの意味を問い質すという大暴走の末、返ってきたのは50円玉だった。あれが彼女なりの「身体、大事にね(意訳)」だったのか、それとも本当にただのお釣りの返し忘れだったのか。真実は闇の中だ。

考えれば考えるほど、頭が混乱する。だから、考えない。用事を済ませたら、さっさと退散する。それが一番だった。


「こんにちはー」

カラン、とドアベルを鳴らし、湊は努めて明るく挨拶した。タイマースタート。


「……どうも」

カウンターの奥で、伝票整理をしていた咲が、気だるげに顔を上げる。その「いらっしゃいませ」すら省略するかったるい感じ。通常運転だ。


「今日は、事務所の打ち合わせスペースに置くやつを。なんか、こう、華やかで、パッと明るくなるような感じで」

「……華やか」


咲は、面倒くさそうに呟くと、重い腰を上げた。そして、店の中をぐるりと見回し、大輪の黄色いガーベラを数本、掴み取った。


「これで、いいですか」

「え、もう?」

「華やかで、明るい、ですよね」


間違ってはいない。黄色いガーベラは、確かに華やかで明るい。でも、あまりにも即決すぎる。滞在時間、現在一分半。


「まあ……はい。それでお願いします」

湊が頷くと、咲は黙々と花を包み始めた。その間、会話は一切ない。静寂。五分ルールどころか、三分で終わってしまいそうだ。


このままではいけない。何か、何か話のきっかけを……。

湊の目が、店内の小さな黒板に留まった。そこには『今週のブーケ:雨上がりの散歩道』と書かれている。


「あ、あの、『雨上がりの散歩道』って、どういう……」

「見ての通りです」

咲は、湊の言葉を遮るように、ぴしゃりと言った。黒板の下に置かれた、紫陽花やカスミソウを使った、しっとりとした雰囲気のブーケを顎で指し示す。


会話終了。

湊の心は、ポキリと折れた。


会計を済ませ、ブーケを受け取る。滞在時間、三分四十五秒。我ながら見事なタイムだ。

「ありがとうございました」

そう言って店を出ようとした、その時。


「あの」


背後から、咲の声がした。

振り返ると、彼女はカウンターに頬杖をつき、かったるそうな目で湊を見ていた。


「黄色いガーベラの花言葉、知ってますか?」

「え?」

また花言葉。湊の心臓が、ドクンと跳ねる。


「『究極の愛』とか『親しみやすい』とか」

彼女は、スマホの画面でも見ているかのように、すらすらと続ける。


「でも、ネガティブな意味もあって」

「……ネガティブな意味?」

「『わずかな光』」


わずかな光。

その言葉が、湊の胸に突き刺さった。

まるで、今の自分のようだと思った。遥への失恋で真っ暗闇の中にいる自分にとって、彼女とのこの奇妙なやりとりは、まさに「わずかな光」そのものだったからだ。


「……だから、何だって言うんですか」

強がるように、湊は言った。

「別に。ただの豆知識です」


咲はそう言うと、ふい、と顔を背け、再び伝票整理に戻ってしまった。

まただ。また、このパターンだ。

核心に触れそうで、触れない。突き放しているようで、何かを投げかけてくる。


(ああ、もう! かったるい女だな!)


湊は心の中で叫んだ。

でも、その「かったるさ」が、ひどく気になってしまう自分もいる。


店を出ると、外は急な雨が降り出していた。

湊は、ガーベラのブーケを濡らさないように、そっと胸に抱えた。

「わずかな光」、か。


雨に濡れるアスファルトを眺めながら、湊は思う。

俺の五分間ルールは、彼女のめんどくささから自分を守るためじゃなかったのかもしれない。

ほんのわずかな光に、これ以上、心を奪われないようにするための、必死の防衛策だったのかもしれない。


その日の夜。

事務所で一人残業をしていた湊のスマホに、一通のLINEが届いた。

海斗からだった。


『おう、湊。今度の日曜、空いてるか?』

続いて、一枚の写真が送られてきた。

それは、遥と海斗のツーショットだった。お洒落なカフェで、二人は楽しそうに笑っている。遥の笑顔は、湊が今まで見たことがないくらい、自然で、柔らかかった。


『遥さんも一緒に、四人でどっか行かねえ?』

『お前が最近よく行ってる、あの花屋の姉ちゃんも誘ってさ』


雨音が一層、強くなった。

湊は、スマホの画面を睨みつけながら、膝の上で固く、拳を握りしめていた。


(第四話・了)

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