第8話 サンドイッチ
「本当に行っちゃうの? うちにならいくら居てくれたっていいのに」
パルアさんは私の髪を撫でながらとっても嬉しいことを言ってくれるけど、我慢して首を縦には振らない。
ポロクルさんはベッドで横になりながらも、私がララビアに行きたいという話を頷いて聞いてくれた。
「ララビアへ行くには、とっても遠い旅路になるだに。あきしの怪我が治ってからだと、少し時間が心もとないがね。きっと、途中であるはずのいろんな出会いを蔑ろにしてしまうね」
それは、ポロクルさんとはここでお別れと言う事だった。
お母さん、おばあちゃん、シドレラ。
村にいるみんなの顔が重なった。
せっかく素敵な出会いをして、仲良くなれたのに。
大きな灰色の掌が、私の頭を撫でた。
「そんな顔で行っちゃあ、寂しいがよ。安心するだに。あきしは、足も速いけん。お嬢の後を追って、必ず追いつくき」
私の心の世界が、広がった気がした。
村の皆は、村の中でしか会えない。
だから世界が全部、そうなんじゃないかと思っていた。
でも本当は、そうじゃない。
世界は広くって、みんなその中でいろんなところに行ったり、来たりして生きている。
そのたくさんの人の中で、奇跡みたいに出会って別れて。
離れ離れになっても、そのつながりは絶対に消えない。
アルさんが最後に言った言葉を思い出した。
またどこかで、会いましょう。
一度起こった奇跡が、二度は起こらないなんて決まっていない。
必ずまた巡り合えるのだ。
「坊ちゃん、お嬢を頼むがね」
静かに話を聞いていたケフラは、ゆっくりと頷いた。
それを見るとポロクルさんは安心したように、表情を緩ませた。
「坊ちゃんが居れば百人力だに、あきしよりもずっとずっと、頼りになるき」
「……っ、安心して。任せて」
きっと、そんなことないと口にしようとして、言葉を引っ込めたのだろう。
ケフラは自信がなさそうに、右手をぎゅっと握った。
がば、っと不安そうな顔を赤い腕が抱き寄せる。
「お願いね~! あんたがたよりなの~!」
がしがし頭を触られて、頭の蛇たちが眠そうに首をもたげる。
その主は今度こそ、確かに頷いた。
**************
がたごとがたごと。
歩いたら平坦な道も、馬車に乗ってみると揺れを身近に感じる。
初めて乗った馬車は最初こそお尻が痛かったけど、御者さんが気を利かせて布を敷いてくれたからもう大丈夫。
ケフラは馬車に慣れているのか、乗ったらあっという間にすうすう寝息を立ててしまった。
ポロクルさんが紹介してくれた御者さんは、笑う時に白い歯をニカッと見せて笑う人。
たまに振り返って、私が退屈しないように話しかけてくれる。
「嬢ちゃん、具合はどうだい? 生憎うちのは荷車だから、乗り心地は簡便な」
「ううん、もうお尻は全然痛くないよ。馬車ってすごい、歩くよりもずっと速い! 景色がぐんぐん流れてくね」
「はは、そうだろうな! 走るのはこいつの十八番、もっと褒めてやってくれ」
車を引く馬の足取りが心なしか軽くなった。
風を顔に感じて、手を伸ばしてみるとひゅるりと音が抜ける。
木々がみるみるうちに流れて行って、緑ばかりの景色が切れた。
大きな大きな水たまりが一面に広がっている。
こんなにたくさんの水を見たのは初めてだった。
村の川はもっともっと小さくて、さらさら一方項に流れている。
でもこれは、ずっと遠くまで青い。
向こうに小さな岸が見えるが、村の川みたいに石を飛んでいくのは出来ないだろう。
「わあ! おっきい……川?」
「だっは! 川っちゅーよりも湖だな、ありゃ。ヴォルガフ湖ってな、今から行くナハトムジーク領もここに繋がってるんだぜ」
「湖……! すごい、見たことない! きらきらだ!」
日の光が反射してまぶしい。
流れが落ち着いた水は、あんなに表面がゆらゆらして輝いているんだ。
すごいすごい、とはしゃぎすぎてケフラが起きていないか横目で見るが、目を覚ます気配はないみたい。
「その兄ちゃん、かなり疲れてんのか? 無理もねえ、蛇人って言ったらあの……不幸な話だ。こうして生き残りがいるなんて信じられん」
「生き残り? それって、どういうこと?」
御者さんはもう一度ケフラを見て、それから近くに来るよう手招きする。
それから念入りにケフラへと聞こえないような小声で、私に教えてくれた。
「蛇人の村はな、少し前に滅んだんだ。理由は誰にもわからん」
私はもう一度ケフラの顔を見た。
片膝を抱えるように立てて、槍を肩に乗せている。
顔をのぞき込んでみるが、うつむいていてよく分からなかった。
ケフラはきっと、いろんな悲しいことを抱えながらここまで来たんだ。
それでも私を助けてくれて、こうして隣にいてくれる。
ありがとう、という気持ちを込めて、髪の蛇の頭を撫でた。
ひんやりしていて表面はさらさら。
見た目よりも弾力があって、つい触りすぎてしまう。
いつの間にか蛇は目を開いていて、私の手に身を任せているだけだった。
ピクッと指先が動いて主が目を覚ます気配を感じる。
急いで私が手を離すのと、ケフラが起き上がるのは同時だった。
「……ん? どうしたの?」
眠そうな目を擦る様子を見ると、触ってることはバレてなさそう。
ほっとしつつ、さっきまで撫でていた蛇に黙っておいてねと目配せした。
蛇は首をかしげて、伝わっているのかはわからないけど。
「んーん、なんでもないよ」
不思議そうな顔をしても、くあっとあくびをした後はどうでもよくなってしまった様だ。
ぽりぽりと首の後ろを掻いて、寝ぼけ眼の代わりに蛇たちが辺りを見回していた。
「すごい、それって全部見えてるの?」
ケフラは首を傾げた後に頷いた。
確かに一度、私はいっぱいの目で見つめる景色を見たことがある。
思い返して見ても、きっと私には真似できない。
どの目がどれで、その全部を頭の中で整理するなんて目が回りそうだ。
「私だったらこんがらがって、髪が絡まっちゃうかも」
「はじめはみんなそうなるよ。僕もそう。危ないものだけ見ようとすれば、大丈夫」
私はよくわからなくって、それ以上話を深堀するのは止めた。
ケフラの口数が少ないのはもともとなのか、今は続きを話さない。
自分の頭に生えている蛇とぼうっと見つめ合っていた。
丁度馬車が道からそれて、湖のほとりに下りていく。
「そろそろ休憩にしようや、馬たちもへばっちまう」
馬車が止まるのに合わせて地面に飛び降りる。
両足をそろえて、おばあちゃんがくれた靴がしっかりと地面を踏みしめてくれた。
ケフラが心配そうに私を見ていたが、大丈夫だよと歯を見せて笑った。
湖の水面は静かに揺れていて、空と木々がきれいに映りこんでいる。
覗き込んでみると私の影の下は透き通っていて、底にある石の模様も見えた。
水の中の私の頬をつついてみると、ゆっくりと丸い波がほわほわとどこまでも広がっていった。
ふっと吹くと波の模様はぐちゃぐちゃになって消えた。
歪になった水面を大きい波が呑み込んでいく。
隣に視線を移すと、馬さんが湖に口をつけて飲んでいた。
「ここまでありがとう、もうちょっとだけがんばってね」
「おうい、飯にしようや!」
御者さんが手を振る隣で、ケフラが手編みの籠を抱えていた。
これはパルアさんが出発する前にくれたもので、中身はお楽しみなんだって。
途中で中身が見たくって、ずっと我慢してた。
わくわくしながらチェック柄の布を一枚めくって……まだ中身は見えない。
もう一枚二枚とめくっていくと、白くてふわふわなパンが顔を出す。
間に色とりどりの具材が挟まっていた。
「おお、こりゃまたうまそうなサンドイッチだ」
ひょいと御者さんが覗き込む。
本当にその通りで、見ただけでお腹が空いた。
途中で開けていたら、絶対に我慢できなかっただろう。
引っ張り出すと、たっぷりの具材が零れ落ちそうで慌てて口で受け止めた。
いただきますって言ってないと後から気付いて、でもそれがどうでもよくなってしまうほどおいしいでいっぱいだった。
みずみずしいレタスにトマトがじゅわっと広がって、その後にハムとチーズが追いかけてきて食べ応えも抜群。
噛り付いた跡まで色鮮やかだった。
次に次にと口が進んで。
急いで食べるものだから、途中でハムだけがぺろんと全部ついてきてしまって。
それも一緒に食べて。
最後にハムだけがいなくなっても、美味しかった。
「ふうー!」
二つ目に手を伸ばそうとして、難しい顔をしたケフラの顔が見える。
彼はずっとサンドイッチの中の、きらきら輝くトマトを見つめていた。
「トマト嫌いなの?」
「嫌いじゃない……苦手」
視界の端で御者さんが同じじゃねえか、と軽く噴き出したのが見えた。
あ、と口を開けてケフラを見つめると、トマトだけがつままれて持ち上げられる。
一口で迎え入れると、喉がすっきり潤っていった。
パルアさんが作ってくれたからなのか、普通のトマトがよりおいしく思える。
安心したようにケフラは、赤色がなくなったサンドイッチにかぶりついた。
「ごちそうさまでした」
ケフラと私で二つずつ、私はトマトを計四切れ食べてお腹いっぱい。
御者さんは自分で持ってきたお弁当を食べてお腹をさすっていた。
「か~! いいなぁ、おれもサンドイッチがよかったぜ」
「いいでしょ、パルアさんはカンパーナっていうお店をやっててね、カンパーナライスがおすすめなんだよ」
カンパーナね、と御者さんは繰り返す。
これで少しはパルアさんへのお返しになるだろうか。
パルアさんにポロクルさん、ドレスベルで出会った素敵な人たちに、もう一度心の中でお礼を言う。
また会えるかな、会いたいな。
湖面をすべるように泳ぐ鳥を見つめて一息つく。
ふとインスピレーションが沸いて、軽く一説吹いてみた。
湖のほとりでゆったりしながら、こうして音楽に心を躍らせるのも気持ちがいい。
隣ではケフラが籠を片付けて、自分の荷物を整理していた。
ケフラの荷物の中にふと、不思議なものが見える。
私の中の音楽魂が言っている。
これは楽器だと。
思えば、山で見た赤いお花の人の景色。
そこに、これと似た楽器を持った人がいたのを覚えている。
雫のような形の果物を半分に切って、先に長い柄をくっつけたような形。
前見たのよりも少し小さくて形は違うけど、よく見ると細い糸が数本ピンと張ってあるのは一緒。
「これは何?」
「これはナギラって言って、僕たちの楽器なんだ」
私が期待を込めた目で見つめていると、ケフラは首を横に振る。
「ごめん、僕不器用で、弾けないんだ」
唇を尖らせて、それでもじっと見つめていると、観念してケフラは腰を下ろす。
胡坐をかいて、そこに果物のような形を抱えるようにしてナギラを持った。
細い柄を肩に置いて、右手を果物にぽっかり空いた穴の上へ。
糸を指ではじくと、ぺいん、ぺん、ぷいんと音が鳴る。
いくつも張ってある糸ごとに違う音が出て、更に左手で柄の糸を抑えても音が変わる。
初めて間近で見る楽器に私はくぎ付けだった。
ぴよん!
バシ、と楽器の腹を叩いてケフラが立ち上がる。
「はい、終わり! ね、下手なんだよ」
髪の蛇がくしゅっとまとまって顔を隠した。
じっと見ていたのがよくなかったのかも。
下手だとかうまいとかはよくわからないけど、もっと好きに弾けたら楽しいのにな。
彼の背中を見つめながら、なんていえばいいか迷う。
「よし、そろそろ行くか!」
太ももを叩いて御者さんが立ち上がった。
ケフラも楽器を片付けて馬車に戻る。
結局言葉が出てこなくて、私もそれに続いた。
「ララビアまであとどれくらいなのかな?」
「だっはは! そりゃこの国の反対側みたいなもんだからな、長くなるだろうよ」
私が一人で登ろうとするのを、先に乗っていたケフラが手に負担のかからないよう引っ張り上げてくれる。
お礼を言うと、彼はなんてことないように軽く頷いた。
二人そろって座ると、同じように道の先を見る。
「じゃあ出すぞ。ララビアはまだまだ先だが、旅の一歩目楽しんでくれや。最初に乗ったのが俺の馬車でよかったって思わせてやっからよ」
再び馬車が動き始めた。
馬たちの足取りも、休憩を挟んで心なしか軽く感じる。
道の先、ずっとずっと向こうに建物の影が見えた。
ララビアへの道のりの、最初の一歩。
ナハトムジーク領へ。
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