第36話 同学年にもそりゃおりますけど……
「へーすごいじゃん松寺が盛り付けたんだ。信じらんない」
満足そうに洗面所から出てきた姪由良さんは、首に巻いたタオルで頭を拭きながら言う。
「おーい?とんでもなく失礼なことを言ってる自覚はあるかいー?」
先に紙コップを片手に持つ宏樹が睨みを返したが、その奥にはちょっとした喜びも感じられた。
まぁ、理由なんてシンプルなものだ。
どうせお目当ての女性のお風呂上がりが見れたからまんざらでもないのだろう。
ちょっとした気持ち悪さもあるが、なんの警戒もせず出てきた姪由良さんにも比があるので特に気にすることなくオレンジジュースを一口。
「んで、一緒に風呂はいってたやつはどした?」
「あー澄香のこと?」
「他に誰が居るんだよ」
姪由良さんの後ろを見ても石宮さんの面影のひとつもなし。
洗面所からは音もしないし、まだ湯船に浸かっているのだろうか?
(でもあいつ長風呂はしない派だしな……?)
首を傾げる僕が面白かったのか、微笑を浮かべる姪由良さんは洗面所を眺めながら悟るように紡いだ。
「湯船で色々してたら髪とか洗う機会がなくなっちゃった」
「はい?姪由良さん洗えてるじゃん」
「私は先に洗ったからね。後から洗う澄香を邪魔しまくってたら追い出されちゃった」
「なにしてんだよおまえ……。あんまいじめてやんな……」
「私の親友だから仕方ないじゃん?」
「んなことねぇよ」
一体どんなことをしていたのやら。
この一瞬考えるだけでもきりがない候補が上がってくる中、ふと姪由良さんと宏樹の視線が交差した。
「……あんた髪染めてるのにドライヤーかけてないの?」
先程までの満足気な笑みはどこへ飛ばしたのだろう。
あっという間に顰めっ面に変貌した姪由良さんの顔面は、左手に持つドライヤーと一緒に宏樹の下へと歩み寄った。
「陸斗にも似たようなこと言われたわ。なんだ?そんなに俺の髪が心配か?」
「心配もなにも、髪が痛みまくってハゲるよ?染めてるならなおさら」
「凜音ちゃんが言うならそう……なのか?」
「おいそれだとまるで僕が嘘を付いてるみたいな物言いになるぞ」
「いやだって陸斗はペテン師みたいじゃん。声に抑揚ないし、そもそも感情あるのか……?」
「あるわ舐めんなよ」
くしゃくしゃと未だに濡れた己の髪から水分を払いのける宏樹は、僕含めて二方から睨みが飛ばされている。
かと言って誰かが暴れ狂うわけでもなく、大きなため息を吐き出した姪由良さんがベッドに腰掛けながら口を切った。
「乾かしてあげるからそっち向きな」
「えまじで!?」
「……こっち向くならしないけど」
「いえ!お願いします!!」
口角をとんでもない角度に吊り上げる宏樹は、目にも止まらぬスピードで姪由良さんに背中を向けた。
そうしてスイッチが入れられた温風は、ほぼ乾きかけの金髪を撫でた。
「(未練は?)」
そんな耳打ちをしたのは僕だ。
あっという間にドライヤーから発せられる爆音によって掻き消されたが、伝えたかった人物の耳にはしっかりと届いたらしい。
「shut up」
「目の前の叶いそうな恋に夢中か?」
「……shut up」
「まぁべつに僕がどうこう言う話じゃないけどさ」
どこまでも口を割るつもりはないらしい。
睨みすら浮かばない姪由良さんは、声色を低くするだけで顔色ひとつ変えずに金髪を手ぐしで梳く。
そんなこんなしていれば、やっと洗面所から姿を表した石宮さん。
長湯したからか、火照った頬は赤く、なにかを隠すようにブカブカの白いTシャツをキュッと握っていた。
バチッと目が会い、小さく手招きをしてやればニヘラと笑みを浮かべた石宮さんは子犬のようにこちらへとやってくる。
「一応聞くけどさ?それ、下履いてる?」
僕の隣に腰を下ろすや否や、間髪を容れずに指差すのは顕になっている真っ白な太もも。
太いから太ももと言われているはずなのに、今目の前にあるのはこれといって太くもなく、かと言って細すぎない太もも。
まぁつまりはえっち――というか僕が太ももフェチ――というわけなのだが、一応彼氏として他の男に見せたくない品物ではある。
「履いてるよ?」
火照った顔はそのままに、首を傾げながらペラっとTシャツを捲れば、そこにあるのは黒色のショートパンツ。
だが、もう今となったらそんなことはどうでもいい。
相手を誘うようにTシャツを捲った石宮さんは、正直言って全人類の男を欲情させると思う。そう思ってしまうほどにエッチだったし、宏樹が僕目線なら絶対に鼻息を荒くしていた。
だが、残念なことに相手は僕だ。
欲情……はまぁ、男子大学生だから一応するとして、『したくなったか?』と言われれば『そこまで』と答えるだろう。
好きとか好きじゃないとか以前に、目の前の女の子を大切にしたいという思いが勝って全く持ってしたくないんだよな。
「陸斗くん?太もも見過ぎじゃない?もしかして太ももフェチ?」
「え?あ、すまん。履いてるなら良いんだ」
ドンピシャで僕のフェチを当てた石宮さんは、何もかもを理解したようにはにかみながらトントンッと優しく太ももを叩いた。
「膝枕してあげようか?」
上ずった言葉は笑いを堪えているから。
先程までの赤くなった頬などどこかへ消し去った今、石宮さんが抱く感情は『陸斗くんをからかいたい』というものなのだろう。
残念ながら僕はそんな安易な人間じゃ――
「――よろしくお願いします。もしかしたら好きが分かるかもです」
完璧な土下座とともに言葉を口にした僕は、イモムシのように這いつくばりながらすべすべ真っ白の太ももへと近づき――
「人前で変なことをするんじゃないよ」
突然後頭部に降り注ぐのは……多分加減してないであろう姪由良さんの強烈チョップ。
とてつもない衝撃に絨毯に野垂れる僕は、傍から見れば塩をかけられたミミズのように見えるのだろう。
四方八方から突き刺さる視線に苦笑を浮かべながらも、頭を抑えながら顔を上げた。
「すみません……。つい出来心で……」
「出来心で彼女の太ももを狙うんじゃない。私だってまだなのに」
「まだってなんだよ。僕のだぞ」
「人に所有権なんてありませーん」
「くそっ……!この世に法律なんてなければ僕の勝ちなのに……!!」
僕の嘆きなんてドライヤーが消えた今、部屋中に響くだけ。
乾ききった金髪からは『擁護できない』と言わんばかりの細目が向けられ、未だにチョップの構えをする姪由良さんからは「結構キモいね」と隠しもせず吐き出され、膝枕を提案した僕の彼女は……
「(後でする?)」
しないという選択肢は彼女にないらしく、風鈴のように優しく微笑み石宮さんの耳打ちが背筋を奮い立たせる。
「はいさせていただきます」
再度の土下座を披露する僕に、またもや喰らわされるのはチョップ。
正直かなり痛いが、高揚感が勝る僕にミジンコのような痛覚なんてないようなものだ。
ニヒルと笑った僕は、頭を上げると同時にパチンと手をたたき、
「よし食べるか!髪乾かす人はとりあえず乾杯してからということで!」
「テンション上がるのもなんかだけど……まぁいいや」
終始不服気な姪由良さんだったが、乾杯自体には賛成らしい。
「松寺は澄香の飲み物入れてあげて」
そんな言葉を残した姪由良さんは、腰を上げて冷蔵庫へ直行。
他にもなんかあったっけ?という疑問が浮かぶが、今日買った飲み物はすべてこっちに持ってきたはずだ。
まだ冷蔵庫に残っている飲み物と言えば――
「まさか……」
「あったあった。やっぱ最初はこれでしょ」
満面の笑みで冷蔵庫から取り出したのは、銀色が目立つ缶だった。
呆然とする僕達なんて他所に、タオルを首にかけたままの姪由良さんは慣れた手つきでプシュッと音を立てながらプルタブを開けた。
「それじゃあ、かんぱーい!!」
音頭をとった少女がグビグビっと喉を鳴らすその光景を見るに、なんともまぁ至福のひと時なのだろう。
だが、残念なことに今現在、姪由良さんは浮きまくりだ。
一応真面目キャラとして認識していた僕達は、乾杯の音頭についていくこともできずに髪の毛一本停止中。
「カハーッ!」なんて息を漏らす姪由良さんは、幸せそうに頬を緩ませながらこちらに戻ってくる。
「えーっと……え?凜音ちゃん?それって……」
「ん?ビールだよー?」
勇気を出して口にした石宮さんの言葉なんてあっという間に薙ぎ払われ、何事もなかったかのようにベッドに腰を落とした姪由良さんは、口と右手で割り箸を割り……左手にあるビールを口に含んだ。
酒飲みと大差ないその姿はこう言っちゃなんだけど、本当に様になっていた。
「いやそうじゃなくて、姪由良さん?まだ未成年だろ?」
ブンブンと首を横に振った僕は慌ててビールを取り上げたが、姪由良さんから買ってくるのは傾げられた首だけだった。
「あれ言ってなかったっけ?私めちゃくちゃ20歳だよ?」
「「「え?」」」
3人の声が重なるのは、いわば必然とも言えよう。
呆気にとられる僕を横目に、ビールを取り返した姪由良さんは喉を鳴らす。
「私は2年浪人して、今年21のバチバチの大人なんだよねぇ。羨ましいでしょ?」
零れ落ちるはにかみ顔からはなにひとつの嘘が伺えることはなく、もうすでに酔いが回っているのか、ほんのり赤くなった頬はどことなく開き直って居るようにも見えた。
「本当はね?卒業まで隠すつもりだったんだけどね?なんかしんないけど、目の前でイチャツカれたらお酒飲みたくなっちゃったんだよね〜」
いつものあのプライドが高い姪由良さんはどこに行ったのやら。
僕どころか、石宮さんまでもが見たことのない表情で紡ぐ姪由良さんは、割った割り箸で唐揚げを齧った。
「いや……まぁ、大学にもなれば同学年の年上は居るだろうけど……2年もあったら元カレのとこに行けたんじゃねぇのか……?」
「あいつのことあんま掘り返されたくないんだけど……まぁいいや。実際この2年間でめちゃくちゃ勉強したし、あいつも大学院行くから私が大学卒業と被って良い感じに過ごせるんじゃないか?なんて思ったけどさ、現実が訪れたんだよ。普通に受験に落ちるっていう」
「なるほどな……?」
元カレとの卒業が重なるというなんともまぁ、凄まじいロマンティック展開。
加えて姪由良さんの努力で掴み取った2人の大学生活……と言いたいところだったが、場所が場所。
せめてあの日本一の大学じゃなければチャンスはあったんだろうが、案の定の結果にうちの大学に来た。
べつにうちもレベルの低い大学じゃないんだけどな?元カレが強すぎるだけであって。
「ぷはぁ〜!」なんて言葉を漏らす姪由良さんを睨んでいたのが悪かったのだろう。
途端に顰めっ面を顕にした石宮さんは、勢い良く僕の肩を掴んだ……と思えば、勢い良く落とされるたわわの果実の中。
「……なんすか。誘ってるんすか……」
「他の女子を見過ぎ警報がなったから制止しただけ」
「もっとやり方というものがあっただろ」
なんて言葉を吐き捨てる僕だが、スッと目を閉じてマシュマロよりも圧倒的に柔らかいこの肌に頭をあずけた。
「なーーんで私の前でイチャつくかな?まだまだビールを飲めってこと?別にいいけどさ!」
「い、いや凜音ちゃん……?そういうことじゃないと思うけど……?」
人知れず恋に落ちてた宏樹はどことなく頬を引きつりながらも、机の上に叩きつけられた缶ビールを取り上げる。
「ちょっとー!?私の娯楽を取り上げないでくれる!?」
僕はもとより注意していた。
『こいつは元カレに未練たらたらだぞ?』って。
それでも狙い続けたのは脳筋というべきか、なにかに夢中になれる宏樹の長所というべきか。
どちらにせよ、酷な話だ。
やはり恋愛というものは砕けるものが主流。たまたま僕は変な流れで付き合うことになったが、この宏樹の恋愛体験が”普通”というものなのだろう。
「返して!温くなる!」
加えてこのボディータッチ。
天高くにビールを逃がす宏樹の太ももに手のひらを置き、グッと伸ばす胸部は肩に伸し掛かっている。
若干の酔いが回っているとはいえ、男を勘違いさせるのには十分なほどの行動に、当たり前のように鼻の下が伸びる宏樹。
本人は意識してないつもりなんだろうが、数秒に一度だけ視線が肩にある果実を見ている。
「……てか、あいつ酔うの早くね?」
「えだよね?私もそれ思った」
いつの間にか僕の頭を撫でてくれている石宮さんは、コテンと首を傾げながら紡ぐ。
「私も飲んでみようかな?もしかしたらとんでもなく陸斗くんのことが好きになるかもしれないし」
「未成年だろ。そもそも今も好きだろ頭撫でやがって」
「べつに好きじゃないですけど?ただ頭がそこにあるから撫でてるだけですけど?逆に逃げずに撫でられてる陸斗くんはどうなのよ?」
「疑問符付け過ぎじゃ分かりやすいな」
「違うものは違うの!」
僕を窒息死させるつもりなのだろうか。
グイーっと胸に押し付けられる顔面は、僕の意識に反してほんのり甘い香りを堪能する。
バシバシっと太ももを叩いて『タンマ』と知らせる僕なんて見向きもしれくれない。
「凜音ちゃん!ちょっとお酒頂戴!!」
僕を押さえつける右手はそのままに、お酒を取り返したであろう姪由良さんに手を伸ばす石宮さんは己の年齢を知っての行動なのだろうか?
そんな疑問を頭に浮かべながらも、遠くなる意識に身を委ねる。
「未成年にはあげませーん。私まだ捕まりたくないので〜」
『まだ』という言葉が少々引っかかるが、賑やかな我が家で唯一の家主である僕の意識は、人知れず消え失せた。
当たり前だが、それからの記憶は微塵もなく、僕が目を覚ましたのは姪由良さんが完璧に出来上がった2時間後のこと。
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