第29話 取られる心配と取られた屈辱

「へぇ?凜音ちゃんって首席だったんや」


 僕の華麗なバック駐車を披露し、拍手喝采が訪れると思った今、車を降りれば聞こえてくる宏樹の言葉。

 どこか誇らしげに胸を張り上げる姪由良さんだが、同時に不服気に眉間にシワを寄せた。


「……距離感近すぎ。あんたに下の名前で呼ばれる筋合いはないよ」

「なんで!?石宮ちゃんと同じじゃん!」

「なんで澄香だけ苗字なの。てかちゃん付けなんかやだわ」

「そりゃ彼氏がいるからでしょ?あとなんか距離置かれてるし……」


 宏樹が横目に見るのは、僕の後ろに隠れる石宮さんの顔色。

 僕でも分かってしまうほどに警戒心マックスの石宮さんは、ガルルッ!と狂犬が喉を鳴らしているようにも見える。


 まぁ、車の中であんなバチバチだったんだからこれだけの警戒心を抱くのも分からないでもないが、一応僕の親友と彼女なんだから仲良くしてほしいところではある。


「言っとくけど、澄香にアタックしようとしたって無駄だから。あの子、岩永くん一筋だから」

「余計なこと言わなくていいから!ほらさっさと行くよ!!」


 真っ赤にした頬とともに僕の背中を押し始める石宮さん。

 踏ん張ろうと思えば踏ん張れるような力だが、灼熱の太陽の下で立ち尽くす理由もないので、素直に背中の手に従った。


「……というか、陸斗くんって運転できたんだ」

「まぁな。最近カーシェアという存在知ったから使ってみたかったんだよね」

「便利な世の中になったね?私が若い頃は……」

「まだ18だろ。なに言ってんだ」

「え?」


 ピタリと足を止めた石宮さんの手はスルスルと背中から落ちていき、振り向いてみればそこにあるのは傾げられた首。


「ん?」

「え?」

「ん?」


 全く持ってその意図がわからない僕も首を傾げたが、返ってきたのは疑問符を残した言葉だった。


「え?私19だよ?」

「19かい。あんま変わらんやないか」

「いや私のほうがお姉さんだよ?今更だけど」

「06だろ?」

「06だね」

「大差ねぇ……」

「大差しかないけど!?」

「どこがだよ……」


 胸を張り上げる石宮さんだが、身長的にも精神年齢的にも言葉的にも僕のほうが上。

 ……まぁ、この張り上げられた果実だけは僕より年上だとは思うけど、それだけだ。


「ちょっと?どこ見てるの?」

「いやなんもないっす。てか誕生日来てるなら言ってくれよ」


 話を逸らす僕は、誰からも押されずに1人でマーケット内へと足を踏み入れた。


「だって私の誕生日は4月2日なんだよ?ほぼ入学式と同じ日に知り合ってないのに言えるわけないでしょ」

「いやもしかしたら入学式のときに会ってたかもしれんぞ?」

「ないない。私の隣の人は金髪の男だったから」

「ならちゃうな」


 残念ながら僕が金髪に染めた記憶は微塵もない。

 石宮さんとは学部も違うからほんとに知らない人の話なのだろう。


『そこに僕が居たら誕生日祝えたのに……』なんて後悔もあるが、結果論僕達が出会ったのはつい最近。


 後ろでワイワイ騒ぐ親友と彼女の親友に横目を向けながらも、目当てのスポーツショップに向かう。


「手でも繋ぐ?私の誕生日プレゼントってことで」

「……2人っきりじゃねぇぞ?」

「いいじゃんいいじゃん。ほらっ」


 そうして差し出された左手は、これまた小さな指たち。

 どうしても年上とは思えないそんな手のひらに失笑を零しながらも、逆らうこともなく素直に右手を重ねてやった。


「おーい前の人ー?私の前でイチャつかないでくれますー?」

「じゃあおまえも元カレ連れてこい」

「……なに?喧嘩でもする?いいけど買うけど」

「分かったんじゃ宏樹相手頼んだ。その自前の筋肉でボコボコにしてやってやれ」

「俺の筋肉は人様を傷つけるために備え付けていない!人を守るために――」

「――岩永くんに似て結構めんどくさいね?あんたも」

「おーい僕はめんどくさくないぞー?」


 最初はどうなるかと思った遊びだが、なんやかんやで後方2人の相性は良さそうだ。

 残りは石宮さんと宏樹なのだが……まぁ、宏樹の筋肉があったらなんとかなるだろ。


(石宮さん自体もそこまでコミュ障ってわけでもないし、知らぬ間に仲良くなるはずだ)


 なんてことを考えていれば、ふと隣に現れた巨漢の男が肩を握った。


「んで、今どこ行ってるんだ?」

「ここ」


 さすがの筋肉でも力の制御はできるらしい。

 あんまり痛くない握力を払いのけることもなく、冷淡に指さしたのは青色と黄色が目立つスポーツショップ。


「なんでスポーツショップ……――はっ!まさか陸斗おまえ!やっと筋トレする気になったか!」

「いや筋トレはしないけど、ランニングは始めようかと」

「有酸素運動?べつに太ってないだろ?」

「体力づくりするだけだな」


(……ネットで調べたところ、『持続力は筋力と体力によりけり』って書いてあったし)


 苦笑交じりに心のなかで呟く僕は、横目に石宮さんを見下ろし――すぐ逸らした。


「え、なに?私の顔になにかついてる?」

「いやなんもない。ほんと、なんもない」


 若干熱い顔を隠しながらも、悠然を保つ僕はメンズもののウェットスーツを探す。

 そんな中、後ろからポンッと手を叩く音が聞こえるのは姪由良さんの方から。


「あんた、ほんと男だね?めちゃくちゃ気にしてんじゃん」

「うっせアホ。男舐めんなよ」

「まぁ純粋でいいと思うけどね」


 真の純粋さは石宮さんと宏樹なのだろう。

 コテンと首を傾げた様子を見るに、微塵も意味を把握しておらず、石宮さんに至っては早朝に一緒にランニングができることでも想像しているのだろう。

 薄っすらと輝かせた瞳をこちらに向けていた。


「明日から行こ!」

「……まぁ、うん。起きれたらね……」

「大丈夫起こすから」

「そりゃどーも……」


 どうやら心底一緒に走りに行きたいようだが、残念なことに僕は朝が超弱い。

 本当は一緒に走りに行きたい。本当は朝日のランウェイを2人で走ってみたい。が、それ以前に問題があるんだ……!


 逃げるように輝かせた瞳から目を逸らした僕は、ボソッと紡いだ。


「夕方とかも良さそうじゃない?」

「えー夕方?大学の後にランニングかぁ……」

「いやでもさ?ランニングでめっちゃお腹すいたらさ?晩飯めっちゃ美味しいよね?料理の最強の調味料は空腹って言うしさ?」

「……たしかに?」


 もしかしたら僕の彼女は案外チョロいのかもしれない。

 言葉1つで顎に手を添え始めるその姿は長考する名探偵のようだが……内容が内容なだけに全く様になっていない。


 そんな中、やっとの思いで見つけたウェットスーツに目を向けた。


「宏樹?ちょっと選んでくれねー?」


 僕に頼られるのが嬉しかったのか、それとも僕が筋肉に興味があると思ったのか、瞳を輝かせた宏樹は子犬のように尻尾を振って僕の隣に立った。


「……ムゥ。ウェットスーツとか全部一緒でしょ……」


 僕が宏樹に取られたからだろう。ムスッと頬をふくらませる石宮さんがそう紡ぐが、これもまた筋肉だるまの地雷を踏んでしまったようで、


「ウェットスーツにも色々と種類があるけどな?ドライスーツ、セミドライ、フルスーツ、シーガル、ロンスプ、ロングジョン、スプリング、ショートジョン、タッパーとか。ウェットスーツにもな?色々種類があんねん!それぞれ外の気温とかによって種類を変える方が良いし、雨ならではのウェットスーツもあるし!舐めるんじゃない!!」

「……こんな筋肉よりも私と選んだほうが楽しいよ?陸斗くん」

「おーいなにを言ってるんだい君は。知識のある俺と選んだほうが将来のためだぞ?」


 ……どうやら僕の選択は間違いを犯してしまったようだ。

 できれば仲良くなるように事を運ぼうとしていた結果、訪れたのはバチバチと散る火花。


 左腕は宏樹に引っ張られ、右手は石宮さんに引っ張られる。

 痛いと言えばどちらも痛いが、高校時代までの陰キャではこんなにも誰かに求められることは今までになかった。


 だからちょっと嬉しい僕がいたのだが、そんな僕の嬉しさを知ってか知らずか、ため息を吐き出した姪由良さんがグイーっと石宮さんの肩を引っ張った。


「ほら澄香?あっち見に行こ?」

「私は陸斗くんの服を決めます!」

「母親みたいなこと言って……。じゃあ2人で仲良く決めて?」

「…………この人次第です」


 石宮さんがジロッと見上げる先にいるのは、なにを言おうか筋肉ダルマ。

 そんな石宮さんにやり返すようにジロッと細めた目で見下ろす宏樹は鼻を鳴らしながら紡いだ。


「しゃーねぇから見た目だけ決めさせてやるよ」

「うわっ、松寺のほうが大人だ。なんかやだわ」

「なんでだよ」


 姪由良さんに細めた目を向ける宏樹だが、実際大人だったのは宏樹。

 そんな姿に更に嫉妬したのだろう。ムスッと頬をふくらませる石宮さんは、手を握る握力を強くして紡いだ。


「言われずともそうします!」


 どこまでも子供な彼女に苦笑を浮かべてしまう僕だが、すぐに平然を保って一緒に良い感じの見た目のウェットスーツを探しに行った。

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