第18話
―――GYYYYYAAAAAAAO!
天を切り裂くような、怒りに満ちた咆哮。
親ワイバーンの巨大な影が、猛烈な速度で俺たちに迫ってくる。その口からは、岩をも溶かすと言われる灼熱のブレスの予兆、赤い光が明滅していた。
「ユ、ユウキさんっ!」
フィーナが悲鳴に近い声を上げる。無理もない。Aランク冒険者ですら震え上がる、空の覇者の怒りを真正面から受けているのだから。
だが、俺は冷静だった。むしろ、この瞬間を待っていた。
「フィーナさん、今です! お願いします!」
「……はいっ!」
フィーナは恐怖を振り払うように一度強く目を閉じると、意を決して、澄んだ声で歌い始めた。
それは、エルフの里に古くから伝わる『精霊の歌』。だが、俺が彼女にお願いしたのは、ただ歌うことではなかった。
(【鑑定眼】で見抜いた、雛が親に助けを求め、甘える時に発する特殊な周波数の鳴き声……。ワイバーンの親は、この声を聞くと闘争本能よりも保護本能が最優先されるようにプログラムされているんだ! それを、エルフ族特有の精霊魔法で、この歌に乗せて再現してくれ!)
無茶な頼みだとは分かっていた。だが、フィーナは完璧に応えてくれた。
彼女の歌声は、ただ美しいだけではない。その音の波は、精霊の力を借りて、親ワイバーンの耳には「おかあさん、こわいよ、助けて」と鳴く我が子の声そのものとして届いていた。荒れ狂う闘争本能が、我が子を守るための強い母性へと、瞬時に切り替わっていく。
―――Gu……ru……?
急降下してきていた親ワイバーンの動きが、明らかに鈍った。その赤い瞳から、殺意の光が薄れていくのが分かる。
だが、まだだ。これだけでは足りない。
「仕上げと、いきますか!」
俺は荷車から、バルガス氏から預かった『巣の藁くず』を鷲掴みにすると、それを風上に向かって放り投げた。
藁くずは風に乗り、親ワイバーンの元へと運ばれていく。そこに含まれていたのは、雛の、そして親自身の、紛れもない『家族の匂い』。
その匂いを嗅いだ瞬間、親ワイバーンの動きが、完全に止まった。
そして、その視線は、檻の中で鳴き続ける我が子へと、まっすぐに注がれた。
―――Kyuun……
親ワイバーンの喉から、先程までの怒りが嘘のような、寂しげで、愛情に満ちた鳴き声が漏れた。
檻の中の雛も、その声に応えるように、ピタリと暴れるのをやめる。
《な……なんだと……!?》
《歌で……ワイバーンを鎮めた……だと……?》
《馬鹿な! あんな芸当、聞いたことがないぞ!》
《アルテミラ様、ご覧ください! あれこそが、真の母性愛ですわ!》
ウィンドウの向こうの視聴者が、信じられないものを見た、というように騒然となっている。
俺は、ゆっくりと檻の扉を開けた。
雛は一直線に、地面に降り立った親鳥の元へと駆け寄っていく。親鳥は、その小さな体を巨大な翼で優しく包み込み、何度も、何度も、愛情を込めてその首筋を舐めていた。
まるで、人間と何ら変わらない、親子の再会だ。
「……よかった」
フィーナが、涙ぐみながら安堵の息を漏らす。
俺も、その光景に胸が熱くなった。
やがて、親ワイバーンは雛を優しく口にくわえると、俺たちの方を一度だけ振り返った。その赤い瞳には、もう敵意はなく、ただ静かな感謝の色が浮かんでいるように見えた。
そして、巨大な翼を広げ、本来いるべき山の巣へと、親子は仲良く帰っていった。
誰も傷つけず、誰も死なせず、依頼は完璧に遂行された。
これが、俺の戦い方だ。
*
彼女は、その一部始終を、遠くの岩陰から見つめていた。
「……信じられない。まさか、歌と匂いだけで、あのワイバーンを完全に手懐けるなんて……」
力ずくで魔物をねじ伏せる冒険者なら、掃いて捨てるほど見てきた。だが、こんな解決方法を見たのは初めてだった。
「ユウキ……だったかしら。あなた、一体何者なの……?」
その瞳は、驚きと、そして強い興味の光に満ちていた。
*
俺たちがギルドに戻ると、そこは祭りのような騒ぎになっていた。
ギルドマスターが、俺の手を握ってぶんぶんと振り回す。
「素晴らしい! 実に素晴らしい! ギルドの歴史に残る、見事な依頼達成です! まさか、一滴の血も流さずにワイバーンを退けるとは!」
「いえ、俺だけの力じゃありません。彼女の協力があったからです」
俺がフィーナに視線を送ると、彼女ははにかんで頬を赤らめた。
依頼主のバルガス氏も駆けつけ、涙ながらに何度も俺たちに頭を下げた。約束の報酬、金貨五十枚と、そして『リンドブルム大図書館 特別利用許可証』が、確かに俺の手に渡された。
「さて、と」
俺は、冒険の第一目標であった許可証を手に、にやりと笑う。
邪神の封印の手がかりが、この街のどこかに眠っている。
「フィーナさん。行きましょうか、俺たちの本当の目的地へ」
「はい!」
騒がしいギルドを後にして、俺たちは街で最も古く、そして最も多くの知識が眠るという、巨大な知の殿堂へと、歩き出した。
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