小さな英雄譚

くーねるでぶる(戒め)

第1話 オレたちの日常

 それは遠い昔の記憶。


「――――そして、英雄はお姫さまと幸せに暮らしましたとさ」


 今思えば、何の変哲もない悪いモンスターを倒して人々を救った英雄のおとぎ話。


 もしかしたら、イザベルがオレたちを楽しませるために即興で創ってくれた物語なのかもしれない。


「うおー! すげー! 幸せってことは、肉いっぱい食べられるのか?」


 目を輝かせたゲッツの質問に語り部であったイザベルは頷いて答える。


「そうよ。お肉もお魚も食べ放題よ」

「食べ放題……!」


 食べ放題の言葉に目を輝かせていたのは、ちょっと太っちょなデニスだ。


「ねえイザベル、そのえいゆーって女の子でもなれるの?」


 ワクワクした顔でそう問いかけるのは活発そうな少女。ザシャだ。


「女には無理だろー」


 ゲッツが意地悪なことを言う。


 でも、英雄譚を語ってくれたイザベルは首を横に振った。


「女の子でもなれるわよ」

「やったー! あたしもえいゆーになる!」


 ザシャは大喜びで立ち上がって、その場で綺麗にくるりと回る。


「クルトはどうするの?」

「うーん……」


 イザベルに問われたオレは、あの時何て返しただろう。



 ◇



 オレたちは英雄じゃない。力もないし、お金もない、コネもなければ装備だってボロボロだ。


 でも、英雄を目指してもいいじゃないか。


「クルト、そっち行ったよ!」

「ああ!」


 浅い森の中。デニスに名を呼ばれてハッとする。気が付けば、目の前に棍棒を振り上げた小鬼がいた。


 額に生えた一本の小さなツノ。オレの胸より小さい人間の子どものような体躯。その金色の目はヤギの目のように瞳孔が横長だった。


 ゴブリンだ。


 オレはゴブリンの棍棒を左手に持った家庭用の包丁で受け止めると、なけなしのお金で買ったダガーでゴブリンの喉を掬い上げるように貫く。


 買ったばかりのダガーが汚れるのは嫌だなぁ。


 ふとそう思いながら、オレは右手をひねってゴブリンの喉の刺し傷を抉った。ゴブリンの青い血が右手にまで垂れてきて気持ち悪い。


「一匹殺った!」

「カバーくれ!」


 ゴブリンの始末が終われば、即次だ。今度は一人で二匹のゴブリンと対峙している赤髪の少年、ゲッツのカバーに回る。


 と言っても、すぐにゲッツに駆け寄るわけじゃない。ゲッツを攻撃することに夢中になっているゴブリンたちの後ろに回り込む。


 その時、オレの目の前を高速で通り過ぎる物があった。


 ビーンッと音を立てて木に生えていたのは、一本の粗末な矢だった。


 声をあげるわけにはいかないので無言で射手のザシャを睨むと、ごめんなさいとばかりに手を合わせていた。その横には杖を持って辺りを警戒しているくすんだ金髪の少女、イザベルがいた。


「接近戦の時は飛び道具なしで!」


 デニスの注意の声が飛ぶ。


 オレはその間にもそろりそろりと忍び足で近づき、ゴブリンの首をダガーで掻っ切った。


「ナイスだ、クルト!」


 ゴブリンの持っている物より三倍は大きい棍棒を振るうゲッツ。棍棒は見事にゴブリンの頭をかぼちゃのように粉砕した。


 あとはデニスが相手にしているゴブリン二体だけだ。


 デニスが相手にしているゴブリンは、どちらも浅く斬られたような跡があった。たぶんデニスが反撃したのだろうが、傷が浅すぎる。


「どらあああああああああ!」


 棍棒を振り上げたゲッツがゴブリンに襲いかかる。


 オレはゲッツから離れて遠回りしてゴブリンの後ろを狙う。


 ゲッツがまたかぼちゃのようにゴブリンの頭を潰し、オレがゴブリンの首を後ろから掻っ切る。


 これで終わりだ。


「うっし、終わったな」


 ゲッツが得意げに胸を張る。その手足には赤い痣があったが、痛みは無視できる程度らしい。


「デニスは大丈夫か?」

「うん。ちょっと右腕にいいのをもらっちゃったけど、まだ大丈夫」


 デニスが着ている厚手のボロ着を捲ってみせると、その右腕は紫色に腫れていた。痛そうだ。


「みんな、大丈夫ー?」

「怪我はないかしら?」


 ザシャ、イザベルも集まってきた。どうやら後続のゴブリンはいないらしい。


「オレは怪我はないよ」

「俺はまだ大丈夫だ」

「僕もポーションを飲むほどじゃないかな」


 ポーションはオレたちにとって高価だ。治癒魔法を使える者がいないから皆でお金を出し合って一つ買ったが、気安く使えない状況にある。


 オレは双剣使い。ゲッツは今は棍棒を使っているが、お金が貯まったら大剣使いになる予定だ。デニスはショートソードと補強した鍋の蓋を盾にしている。


 オレも双剣とは名ばかりで片方は包丁だし、前衛陣はお金がなくて装備もまともに揃えられていない。


 では後衛陣はどうかというと、イザベルは魔術師だがまだ一つの魔術しか使えないし、ザシャは弓使いだが肝心の矢は三本しか持ってない。


 オレたちは総じてお金がない。


 服もみんなボロ着だし、装備も中途半端。そんなパーティには貴重な治癒魔法使いは来てくれない。


 そうなると、怪我を恐れて冒険なんてできないし、安定した狩場では大した儲けは期待できない。


 完全に負のスパイラルだ。


 そこから抜け出すためにも、やっぱり装備くらいはちゃんとしたい。そのためにはお金が必要だ。


 必要なんだが……。


「さて! お待ちかねのゴブリン袋の時間だな!」


 ゲッツが無理やり明るい声を出してゴブリンの死体に近づいていく。


 だいたいのゴブリンは小さな袋を持っていることが多い。オレたちはそれをゴブリン袋と呼んでいる。その中身はほとんどゴミだが、たまに銅貨、運がいいと銀貨が入っていることもある。オレたちの貴重な収入源だ。


「あー、こりゃゴミだな。次! お! 銅貨が三枚も入ってやがる! こりゃ当たりだ!」

「やったー!」

「いいね!」


 ゲッツの声にザシャとデニスも一緒になって喜ぶ。オレたちにとっては銅貨三枚でも大きな収入である。


「ゴブリンが五体で討伐報酬が銅貨二十五枚、ゴブリン袋から銅貨七枚。合計、銅貨三十二枚ね」


 頭の良いイザベルが今日の稼ぎを瞬時に弾き出す。


「宿屋は二部屋で銅貨四十枚。夕ご飯はいつものパン粥にするとして、銅貨十八枚の赤字ね」

「またパン粥かよ! たまには肉が食いてえ!」


 オレたちの食事は一日二回のパン粥だ。こんな食事じゃ腹の溜まりも悪いし、痩せていく一方だよ。ゲッツじゃないが、たまには大きな肉でも食べたいな。


 今思えば、決して恵まれてるとは思えなかった孤児院だが、たまに肉の欠片は食べられたし、食事に関しては今より恵まれている方だったんだなぁ。嫌な事実だ。


 ちなみに、ゲッツの夢は肉を腹いっぱい食べることだと言っていた。そのために冒険者になると言ってオレとデニスも巻き込まれた。いつの間にかザシャとイザベルも加わって孤児院を卒業するとすぐに冒険者ギルドの門を叩いた。


 それが一か月前の話だ。ゲッツの夢はまだ叶っていない。


 オレも夢半ばだ。冒険者は華々しい活躍の裏に暗い影がある。それでもまぁ、とりあえずのところは別々の道を歩むことがなかったのはよかったかな。


 そんなことを思いながらイザベルを見ていると、ゲッツが叫ぶように言う。


「ザシャ! ゴブリンを探すぞ!」

「らじゃっ!」


 まだ昼だ。あと何回かゴブリンを狩れるだろう。怪我はしたくないけど、少しでもお金が欲しい。オレも早く包丁を卒業して、立派なダガーが欲しいし、防具や替えのパンツも欲しい。まだ破れることはないが、だいぶ生地が薄くなってきたからね。


「どこだ金ー!」


 ゲッツとザシャが森の中へと駆けて行く。元気だなぁ。


「まったく、元気ね」


 イザベルが呆れるように零した。


 その間に、オレは包丁でゴブリンの右耳を切り取っていく。最初は気持ち悪くて吐きそうになったものだが、慣れるものだね。


 包丁の切れ味が落ちてきたな。今夜あたりにでも研ぎ直さないと。


「デニスは腕、大丈夫?」

「まあ、なんとか?」

「そうか……。無理はしないでね?」

「うん。ありがとう」


 デニスの笑顔はまるで大型犬が笑っているような愛嬌がある。


 でも、デニスは真面目で我慢強いところがあるからなぁ。あまり打ち身がひどいようなら、今日は早めに上がるのもありだろう。


「治癒魔法使いがいればいいんだけど……」


 そしたら、デニスの怪我なんてすぐに治してもらえるのに。


 そんなことを呟くと、森の中から何か聞こえた気がした。たぶん、ゲッツがゴブリンを見つけたのだろう。


「ゴブリン! 五匹だ!」


 森から飛び出てきたゲッツがそう言って大きな棍棒を構える。


「一匹殺したー! あと四匹!」


 ゲッツに続くように森から出てきたザシャが弓を構えて放つ。


 ビュンッと風を切る音が聞こえた。


「ちぇっ」


 あの様子だと外したのだろう。だが、一匹減らしてくれただけでも大きい。


「僕が三匹受け持つよ。クルトはこっちの援護を頼んでもいいかな?」

「わかった」


 オレはデニスの言葉に頷くと、素早く木の裏に隠れた。オレは敵と真正面から戦わない。デニスが敵の注意を引き付けてくれている間に後ろに回り込んで仕留める。


 冒険者はチームで戦う。オレのような戦い方はアサシンと呼ばれているものだ。まさに暗殺者のようだね。


 森の中からゴブリンが飛び出してくる。


 先手を取ったのはザシャだった。いつの間にかイザベルと同じ所まで下がっており、狙いを付けて矢を放つ。


 矢は見事ゴブリンの胸に突き刺さり、矢を受けたゴブリンはよろよろと後退って倒れた。これで残りのゴブリンは三匹。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 デニスがその穏やかな性格には不釣り合いな大声を出してゴブリンを威嚇する。こうすることでゴブリンの注意を自分に引き付けているんだ。


 潜れた。


 今のオレは誰にも注目されていない。その状態をオレは潜ると表現している。こうなったら後はゴブリンをいかに早く仕留めるかだ。


 デニスが鍋の蓋で作った盾でゴブリンの攻撃を受け止めている。その右腕に持つショートソードでゴブリンに反撃しないのは、やはり痣が痛むからかもしれない。


 音を立てず、ゆっくりと、しかし確実にゴブリンに忍び寄る。


 そして、オレはゴブリンの首を背後から搔っ切った。


「GEGYA!?」


 突然、隣の味方が首から青い血を噴いて倒れるのを見て、ゴブリンが驚いたような声を出した。


 その隙に、オレは掬い上げるようにして驚いているゴブリンの首にダガーを突き立てる。


 つぷりとゴブリンの皮膚を破る感覚。そして筋肉や気管を無理やり引き裂いていく。


 右手をぐるりと回せば、ゴブリンはビクリと震えて動かなくなった。


 これであと一匹。


「おらあああああああ!」


 ゲッツの方を見れば、ちょうどゴブリンの頭を叩き潰すところだった。これで殲滅完了だ。


「今回はスムーズに倒せたわね。この調子で次もがんばりましょう」


 全体を俯瞰して見ていたイザベルがオレたちの動きをそう評した。魔術師のイザベルはパーティの最大火力だが、その攻撃回数には限りがある。いざという時のために温存しているのだ。


「やっぱりザシャが二匹も倒してくれたのがデカいんじゃないかな?」

「えへへ、やっぱりそう?」


 最初は弓を引くことすらできなかったのに、ザシャも成長してるんだな。


「クルトも二匹倒したじゃないか。助かったよ」

「デニスがゴブリンの注意を引き付けてくれたおかげだよ。それに、やっぱり武器の違いも大きいかな」


 オレはそう言って自分の新しい相棒になった無骨なダガーに付いた血を振り落とす。包丁ではこうも上手くはいかなかっただろう。


「おい見ろよ! こいつ、銀貨を二枚も持ってやがる!」

「えっ!?」


 さっさとゴブリン袋を漁っていたのだろう。ゲッツがそれはそれはいい笑みで銀色の硬貨を二枚見せつけるように持っていた。


「やった!」

「すごいね!」

「銀貨は銅貨十枚分だから、これでノルマはクリアしたわね」


 赤字じゃなくなった。今日も出費より稼ぎの方が上回った。ちょっとだけだけど、やっぱり嬉しい。


「デニス、怪我の具合はどうかしら?」

「まだ大丈夫だよ」

「本当に?」


 イザベルに詰められて動揺したように目を逸らすデニス。これはもう決まったな。


「今日は帰りましょう」

「えー、俺はまだまだいけるぜ?」

「明日もあるんだからいいでしょう?」

「まぁ、そうだけどよぉ……」

「クルトもザシャもそれでいいかしら?」

「うん、いいよ」

「あたしもー!」


 今日の稼ぎは銅貨にして八十八枚になった。でも、夕食はパン粥だった。装備を整えるためにも今は節約しないとね。


 ゲッツはブーブー言っていたけど仕方がない。


 これは英雄の物語でもヒーローや物語の主人公とは無縁のオレたちの英雄譚だ。





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【バグゲー日和】


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