推しが教え子になった話

まいたけカタパルト

第1話

 斑目はるか。二十五歳。私立高校に勤める国語教師。

 もし、突然この場で、「簡潔に自己紹介をしなさい」と言われたら、私を表す言葉はこれで足りてしまうだろうと思う。

 学生時代は特にスポーツをしてこなかった。好きな邦ロックバンドはいない。自慢できるような特技もない。

そうだ、私は人生において度々訪れる自己紹介の際にいつも困ってしまっていた。名前と年齢以外伝えられるものがない。社会人になった今、そこに職業が加わったのでまだマシになったと言える。

容姿が優れているわけじゃない。社交的じゃないし、友人が多いわけでもない.

(もちろん彼氏はいない。)一応、一年生のクラスの副担任をしているが、仕事も担任が不在にしているときの出席確認くらいのもので、受け持っているといった実感はほとんどない。



 彼女たちに初めて出会ったのは、高田馬場のライブハウスだった。三月の初旬、その日は雨が降っていて、学生街に並ぶ飲食店の匂いが湿気と共に街に低く立ち込めていた。

 数少ない友人の一人がそこで出演する予定があり、客数確保のために私は誘われた。彼女は趣味でロックバンドを続けていて、役割はベースだった。私は音楽、特にロックがよくわからないから、とりあえずドリンクを持ち、端で静かにしていようと思っていた。

 友人の出番は五番目だった。彼女の演奏がそろそろ始まろうという頃、出番の一つ前に、15歳から20歳の女の子たちが六人、ぞろぞろとステージ上に上がってきた。大きなフリルのついたパステル色の衣装はそれぞれピンクや薄緑の担当色に分かれていた。


 彼女たちは「parabola(パラボラ)」というグループ名を名乗った。


 友人が趣味で上がれるこんな小さいステージに出ているということは、まだ活動したてなのかもしれない。もしくは相当人気がないのか。(後日、こちらについては前者だということが分かった。)

 彼女たちのパフォーマンスは、その日の誰よりも全力で人の心を打つものだった。特に水色担当の「小宮七瀬」(後から知ったことだが、彼女はこのグループの最年少だった。)、彼女のパフォーマンスは圧巻なものだった。歌声はのびやかで、下手な歌唱法を使わずシンプルに歌い上げていた。振りは静と動をはっきりとさせ、他のメンバーより劣る上背を手足を大きく使うことによって補っていた。特筆すべきは彼女の笑顔、いつ何時も絶やすことなく、それは私の中に大きな印象を残した。

 髪が、衣装が、肌が、ひたいに浮かぶ汗が…、彼女の全てがスポットライトの光に反射し、幻想的な風景を描いた。そして、あどけない表情の裏には私の全てを見透かすような暗闇があった。私が普段接している子たちと同じ高校生のはずなのに、彼女には不思議な落ち着きと、華と、不気味さがあったのだ。そう、彼女はまるで子供の姿を借りた天使のよう。その気になれば、私をどこへでも連れて行ってくれる気がした。行き先は楽園か退廃した荒野かわからないが…。

 友人の出番が終わり、外に出ると雨は止んでいた。雲の切れ間から差し込んだ光は、「天使の梯子」と呼ばれる現象を起こしていた。その時だ。私は彼女たちを追い続けようと思った。それ以来、私の生活は充実している。もちろんこんなこと、自己紹介では言わない。他の先生にも、生徒にも、誰にも伝えたことがない。私の神聖な部分をどうして生活に触れさせようというのか。

 大した金額じゃない月給から社会保障費が引かれ、税金が引かれ、最低限の生活費が引かれる。わずかに残ったものしか、私は彼女たちに使うことができない。そんな私にも彼女たちは笑顔をくれる。明日を生きる勇気をくれる。軽快なリズムとメロディにのせて、「頑張れ」と私に言ってくれる。そして小宮奈々、彼女だけは私の全てを知っている。嘲笑を含んだ笑顔を向けて、私をどうしようというのか。私はどこに連れて行かれるのだろうか。


 この話が動き出すのは、夏休み明けの九月一日。私が彼女たちに出会ってから、一年と半年が過ぎた頃。

 夏住み明けの全校集会があり、全生徒と教師は体育館に集められていた。外では蝉が力を振り絞って鳴いていて、生徒の何人かは眠い目をしてあくびをしていた。ぬるい風が吹き抜け、集団の熱を多少奪っていった。館内には、新学期への浮き足だった感情と、これから始まる退屈さへの不安が同居していた。


「以上であるからして、諸君は気を抜かず勉学に邁進するように」

 校長は珍しく話を手短に切り上げた。そして、こう続けた、

「秋からこの学校の新しい生徒になる子を紹介しなければ」

 日が傾き、体育館二階の窓から日差しが差し込んだ。それは、これから壇上に上がってくる生徒のために、体育館のステージを照らしているようだった。

 ステージの上の少女は小柄で、ストレートの黒髪が吹き込む風に揺れた。彼女の制服は他の生徒のものと変わらなかったが、どこか不釣り合いな印象を覚えた。似合っていないのではない。制服が無理に彼女を高校生たらしめているような違和感。そして、彼女自身はそれを器用に着こなしている、そんな印象であった。

「小宮七海です」

と少女は言った。男子生徒の何人かは彼女を見て目の色を変えた。それは彼女の正体を知っているというよりも、その容姿の美しさからだろう。小さく「可愛い」と呟く声も聞こえた。前にいた学校のことも、どうして転校になったのかも話さず、彼女は簡潔に名前だけを伝えてステージを後にした。

 私だけだ。私だけが彼女が何者かを知っている。集会が解散になっても、私はその場から動くことができなかった。推しのアイドルがこの学校にいる。しかも、生徒として。私はこれからどうなるのだろう。退屈さは綺麗さっぱり吹き飛び、体育館には期待と、それと同量の不安と、乾いた蝉の声だけが残った。

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