第2話 砂鯨の声②
砂鯨は、ずしりとした声で言った。
「じゃあさ、ボクのこと、自転車に乗せてくれない?」
「は?」
「ほら、歩くのは大変だし……ボク、足ないし」
「そもそもクジラに足あったら怖いわ」
「そういうことじゃなくて。旅するなら、移動手段いるでしょ?」
仕方なく、自宅に置きっぱなしだった古いママチャリを引っ張り出す。
後ろのカゴにバケツを置き、その中に砂鯨を入れた。
砂鯨は尻尾をぱたぱたさせながら、やたらと得意げだ。
「これ、なんか……金魚すくいの景品持ち帰ってるみたいだな」
「金魚と一緒にしないで。ボク、もっと壮大だから」
「……自分で壮大とか言うなよ」
ペダルを漕ぎ出すと、夏の風が顔を撫でる。
道の両側には、低い木造の家や、赤茶色の瓦屋根が並ぶ。三年前とほとんど変わっていない景色。
ただ、いくつかの店はシャッターを閉じ、色あせた看板がぶら下がっている。
「なあ、砂鯨。恋詠がどこに行ったか、本当に知ってるのか?」
「知ってるよ。でも、急に全部言っちゃつまらないじゃん?」
「つまらないとかいう問題じゃないだろ……」
「だってさ、ただ会いに行くだけじゃ、思い出にならないでしょ? ボク、旅ってやつが好きなんだ」
「砂の塊がよ……」
とはいえ、俺も少しだけワクワクしていた。
もし本当に彼女の足跡をたどれるなら──この夏は、単なる帰省じゃなくなる。
---
最初の目的地は、廃校になった小学校だった。
小さな丘の上にあるその校舎は、俺と恋詠が通っていた母校だ。
数年前に児童数の減少で閉校し、今はひっそりと時間の中に眠っている。
「おお……懐かしいな」
門の前に立つと、当時の光景が鮮やかに蘇った。運動会の紅白テント、教室から聞こえる合唱、給食の匂い。
恋詠と廊下でふざけて、先生に叱られたこともあった。
「ほら、あの窓。覗いてみなよ」
砂鯨の指示に従い、教室の窓から中を覗く。
机や椅子はそのまま残され、黒板には白いチョークの文字が消えずに残っていた。
『卒業おめでとう』
……いつのかはわからない。ただ一つ言えるのはこの学校での俺の時間はとっくに終わっているってことだけだ。
それでも
「……懐かしいな」
「そうなのかい?」
「そうだよ」
黒板の文字はかすれかけているけれど、確かにそこにあった。それは、恋詠のものではないけど、確かに恋詠との思い出を思い出させてくれた。
「……会いたいな」
「うん。その気持ち、覚えておいてね。次の場所は海だよ」
――――――
自転車を走らせる途中、道端のコンビニに寄った。
俺がスポーツドリンクを買うと、砂鯨がバケツの中から身を乗り出した。
「ねえ、それボクの分は?」
「お前、飲んだら固まるんじゃないの?」
「固まるけど……なんか旅っぽいからやってみたい」
「やめとけ」
レジ横で唐揚げを買って食べる。すると砂鯨が羨ましそうに見上げる。
「なあ、それ一口……」
「お前、食べたらどうなるんだよ」
「たぶん、体の中で砂と唐揚げが混ざって……新しい生命体になる」
「やめろ、ホラー展開は望んでない」
くだらない会話をしながらペダルを漕ぐ。
気づけば、潮の匂いが濃くなっていた。
――――――
海岸に着くと、防波堤の上を白い波が打ち寄せていた。
ここは、小学生の頃に恋詠とよく来た場所だ。
「覚えてる? あの日、恋詠ちゃん、防波堤から落ちそうになったでしょ」
「ああ……あったな。必死で手を伸ばして引っ張った」
「君、そのあと泣いてたよね」
「……あれは、潮風で目がしみただけだ」
「はいはい」
防波堤に腰を下ろし、海を眺める。
砂鯨はしばらく黙っていたが、やがて尾びれを揺らしながら言った。
「この海を越えて、彼女は行ったんだよ」
「……やっぱり、町にはいないのか」
「でも、まだ行くべき場所がある。次は神社だ」
波の音に背中を押されるように、俺は再びペダルを踏んだ。
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