Chapter2 「米子14歳 知床総合サバイバル訓練」

Chapter2 「米子14歳 知床総合サバイバル訓練」




 米子は中学3年生になった。訓練は相変わらず厳しかったが、米子は恐ろしいほど強くなっていた。射撃も格闘術も訓練生の中で1番の成績だった。格闘訓練では教官を凌駕する事もあった。外部から呼んだ特別教官のプロの格闘家とも互角に戦った。射撃は中学2年から拳銃の他にアサルトライフル、ショットガン、サブマシンガン等の訓練も行うようになり、手榴弾やロケットランチャーや爆発物の訓練も受けるようになった。また、法律的には運転する事の出来ない車やバイクの運転もA級ライセンスを取得できるレベルに徹底的に叩き込まれた。米子は模擬戦闘でも戦闘力と指揮能力を発揮して無類の強さを誇った。模擬戦闘は2つのチームに分かれて行う。チームのメンバーは頻繁に組み替え、指揮官役はランダムに決められたが、米子が指揮するシチュエーションではそのチームは常に勝利した。米子は戦闘員としても指揮官としても抜群の成績を収めた。


 米子は座学についても訓練生の中でもダントツの1位だった。学校の成績も常に学年でトップだった。米子は学年の初めの2ヵ月間の授業中に全ての科目の教科書と資料集を読み込んで完璧に理解した。単なる用語や年号や公式の暗記ではなく、その意味や本質について理解したので応用も可能だった。3ヵ月以降の授業は退屈で仕方なかった。すでに理解したことを全員に解るように低いレベルで教える授業は復習にすらならなかったのである。中間テストと期末テストの点数はほぼ100点満点で、教師達を驚かせた。体育の授業でも抜群の運動神経を発揮した。様々な部活の顧問が米子を部活に誘ったが米子は全てを断った。とりわけ陸上部の顧問は強硬だった。米子が断っても、「入部すれば確実に全国大会に出場できる」としつこく食い下がった。その事を訓練所の教官に報告すると陸上部の顧問は大人しくなり、米子に声をかける事が無くなった。内閣情報統括室経由で学校に厳しいクレームが入った為だった。


 訓練所には遅い桜が満開となっていた。中学3年の訓練生は戦闘コースと暗殺コースのどちらかを選択しなければならなかった。その為の面談が何回か行われた。米子の希望は暗殺コースだった。


 米子は訓練所の会議室で面談を受けていた。

「沢村訓練生は暗殺コースを希望しているようだが、教官達は戦闘コースの方が向いていると評価している。どうかな?」

佐山副所長が言った。

「暗殺コースを希望します。今回のコース分けは卒業後の組織への配属にも影響すると聞いています。卒業後は暗殺チームに配属されたいです」

「ほう、意外だな。殆どの者が戦闘チームに配属される事を望む。戦闘チームは狭き門だが教官達は君の事を戦闘コースに推薦している。なのに敢えて暗殺コースを望むとは何か理由があるのかね?」


「はい。卒業後の組織の戦闘チームは上層部の考えた作戦指導に従って任務を行うと聞いています。暗殺チームは暗殺対象については上層部が決めますが、暗殺の方法や実施計画は各自に任されると聞いています。私は自分で計画した任務を実施したいんです」

「ほう。他人の考えた作戦で戦うのはイヤということか?」

「イヤなわけではありませんが、自分が計画した任務なら失敗しても諦めがつきます。失敗理由を分析して次の計画にも活かせます。それに暗殺は個人で実施しますが、戦闘はチームで行う事が多いと聞いてます。失敗を作戦のせいにしたり他人のせいにしたくないのです」

「なるほど。任務を個人で完結させたい訳だな?」

「はい。他人の足を引っ張るのも、他人に足を引っ張られるのもイヤです。死に直面した任務ならなおさらです」

「沢村訓練生は頭もいいようだな。座学の成績もトップだ。学校の成績もトップらしいな。高校は進学校を受験するつもりか?」

「どこでもかまいません。高校は任務の為の隠れ蓑だと思っています。勉強は1人でもできます」

「そうか。私がこんな事を言うのも何だが、君が暗殺者になるなんて勿体ないと思っている。沢村訓練生なら進学校に行って一流大学を目指せるだろう。運動能力も高いから運動部に入れば良いとこころまで行くだろう。陸上競技をやればインターハイも狙える。その気になれば君は何にでもなれる」

「学費を出してもらって、一人暮らしの費用まで出してもらえるのなら組織で頑張ります。給料も貰えると聞きました」

「沢村訓練生のような優秀な者が組織に入ってくれるのは我々にとってはありがたい話だ。まあ戦闘チームは消耗が激しいし男が多いチームだから女性工作員は2軍扱いなる事も事実だ。君がそこまで言うのなら暗殺コースで訓練をしてもらうか」

「お願いします」


 米子は暗殺訓練で様々な暗殺方法を習った。また、暗殺の準備や段取についても徹底的に叩き込まれた。米子達は中学2年生になると訓練所の外でサバイバル訓練を受けるようになった。最初は日帰り訓練だったが、やがて教官引率のもと、2~3日間の山中訓練が月に2回実施されるようになった。地図の見方、方位磁石と星座による位置測定、野営の方法や野草の見分け方などキャンプ的な簡単なものから水の確保、火起こしや動物を捕らえる為の罠の作成、動物の捌き方など本格的なサバイバル訓練を段階的に行った。実際に小動物やベビや昆虫の幼虫も口にした。最初は3~4人のグループで実施したが、後半からは単独での実施となった。氷点下となる冬季訓練は過酷を極めた。


 訓練所では訓練生が中学3年生になると5月にサバイバル訓練の総括として『総合サバイバル訓練』が実施されている。この訓練では山と原生林を含む全行程100Km以上のコースを10日間で踏破しなければならない。もちろん単独である。また、途中にある敵の拠点に見立てた施設3カ所が存在し、模擬爆弾を仕掛けるミッションも訓練に含まれていた。施設には見張りがいたりトラップが仕掛けられており、発見されたりトラップに引っかかれば大きなペナルティとなった。全ての行程は徒歩で移動し、夜は野営となる。食料は訓練開始時に3日分しか支給されない為、足りない分は自給自足となる。 


 今回のコースは北海道の北見を出発して斜里岳、海別岳、知床岳の山頂を経由して床半島の最先端を目指すコースとなっている。全行程を徒歩で10日間以内に踏破し、極力一般人との接触は避ける決まりとなっている。登山においては登山客との接触は避けられないが、この際は自衛隊員の山岳訓練を装い、武器についてはケースに入れて秘匿しなければならない。移動途中で人家の多い場所を通過する場合も同様である。知床半島の原生林では野生動物との遭遇も予想されるが、クマや鹿なのどの大型動物を食用として狩猟する事は禁止されている。服装は基本的に戦闘服であり、防寒用ジャンパー、ポンチョも携帯する。肌着は上下3枚ずつの携帯が許された。装備は全重量40Kgほどになる。内訳は以下の通りである。


【キャンプ用品】

  ・寝袋、ターフ、ロープ、サバイバルナイフ、懐中電灯、ライター、

   携帯コンロ、固形燃料、携帯ランタン、飯盒、アルミマグカップ、針金


【食料】

  ・食料3日分(缶詰、米、レトルト食品、カロリーバー)、塩、味噌、

   氷砂糖、飲料水1.2リットル(水筒)、浄水剤


【武器及び行軍装備】

  ・アサルトライフル、弾丸、演習用爆弾、ピアノ線

  ・地図、GPSトラッカー、GPS受信機、フラッシュライト、緊急無線機、

   生存確認装置


【医療品】

  ・消毒薬、ガーゼ、包帯、鎮痛剤、ビタミン剤、下痢止め、タオル


 米子は15:00に北見を出発してしばらくは街と集落の見える農道を歩いた。ポンチョと防寒ジャンパーはリュックの上に縛り付けているので迷彩戦闘服姿だった。住民たちに怪しまれないように迷彩戦闘服は自衛隊の戦闘服に酷似しており、『陸上自衛隊行軍訓練中』と書かれた太く白いタスキを肩から掛けていた。あくまでも自衛隊の訓練に見せかける為である。顔の幼さと女性である事を隠す為に帽子を目深に被り、顔には迷彩ペイントを塗っていた。初日と2日目は歩きながら夜を明かした。訓練生達は平坦な道なら歩きながら眠る事もできるのだ。


 訓練ルートは地図に書き込まれているので景色と地形を見ながら進んでいたが、森の中に入るとGPS受信機を使って現在位置を確認しながら進むしかなかった。道も途切れ、地図も緑一色となるため、GPS受信機だけが頼りだった。森の中で仮眠をとると、4日目の午前中は最初の登山となる斜里岳に登った。登山道で多くの登山者と遭遇したが、米子は挨拶もせずに黙々と山頂まで登った。登山者も米子を訓練中の若い自衛隊員だと思って声を掛けるものはいなかった。山頂に到達すると30分ほど休憩をとって下山した。GPS発信器を装備しているので登頂は教官達が確認しているはずである。下山後に2時間ほど歩いて国道244号線を横断すると『幾品川』にぶつかった。水量が少なかったので浅い場所を選んで膝まで水に浸かるだけで渡る事が出来た。訓練中、川にぶつかり、付近に橋が無い場合は泳いで渡る事になる。米子は幾品川を渡ってしばらくすると地図に書かれた演習用の敵拠点を探した。GPS受信機の座標を頼りに移動し、物置小屋のような木造の演習用の敵拠点を発見した。しばらく観察したが見張りはいないようだった。簡単なトラップを見抜き、注意しながら接近して模擬爆弾を一つ設置した。わずかでも荷物が軽くなる事が嬉しかった。原生林の中を5Kmほど北に移動すると荷物を降ろし、木の枝にターフを掛けて野営の準備をした。3日分の携帯食料は節約したにもかかわらず殆ど残っていなかった。米子は食料確保の為に小動物が通りそうな獣道や藪の隙間に細い針金で作った罠を仕掛けた。罠の作り方と仕掛け方は今までの訓練で経験を積んで来たが、今回は思うように獲物が獲れず空腹に耐えながら寝袋の中で眠りに落ちた。


 5日目のルートは海別岳への登山が含まれていた。知床半島の付け根に位置する海別岳は標高こそ1400mと低いが、登山道が無いため、頂上に辿り着くにはトドマツやエゾマツの生える天然林を登るしかなかった。頂上付近は広くなだらかな山肌だが雪が残っており、予想以上に体力を消耗した。海別岳は山スキーを楽しむ山なので5月は訪れる者が殆どいない場所である。頂上からからはオホーツク海の海岸線や羅臼岳などの知床の山並み一望できた。珍しく米子の心は癒され、嬉しいと思った。前日に登った斜里岳も隣に聳えており、達成感も感じる事も出来た。しかし米子は登山に来たのではない。この山頂も総合サバイバル訓練における通過点でしかなく、先はまだまだ長いのだ。ゴールの知床半島の先端には決められた時間までに到着しなければ訓練失格となる。ゆっくりする事は許されなかった。米子は休憩する間も惜しんで下山した。下山途中にも2つ目の演習用の敵の拠点に模擬爆弾をセットした。


 海別岳を東方向へ下山すると海沿いの国道335号線を目指して森の中を12Kmほど進んだ。途中で腰まで浸かって植別川を渡り、水筒に川の水を補充して殺菌の為に浄水剤を入れた。国道335号線に近づくと進路を北に取って国道に沿うように森の中の林道と獣道を進んだ。舗装された国道335号線は歩きやすいが、人目に付く為、昼間は避ける事になっている。ここまで北見を出発してから100時間以上が過ぎていた。米子は激しい疲労を感じたので、羅臼町まで20Kmの地点で森の奥に入り、野営をすることにした。小さな焚火を起こして戦闘服のズボンと靴を乾かした。運良く罠で野鼠を捕まえる事ができたので素手で捕まえたアオダイショウと一緒に丸焼きにして塩をかけて胃袋に収めた。久しぶりの食事に気分が高揚した。夜はターフとロープで作った簡易テントの中で寝袋に包まって睡眠をとった。東京では新緑が眩しい頃だが、知床の森はようやく春が訪れたばかりある。夜は7℃と寒かった。


 米子は林道と獣道を北に向かってひたすら歩いた。羅臼町を抜けると右に根室海峡と国後島を見ながら道道87号線を北に向かって歩き続けた。アスファルトの道は歩きやすく感じた。道道87号線の先は何も無い場所なので車も通らなかった。このまま公道の最終地点である相泊漁港を目指し、そこから原生林と山岳地帯を横断して知床岳の登頂を目指すのだ。

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