そんな“目”で見ないで ~同人ゲーム「ひぐらしのなく頃に」との出会い~

四谷軒

ひぐらし目

 「ひぐらしのなく頃に」という同人ゲームがあります。

 これは、いわゆるゼロ年代――二〇〇二年夏から頒布されたゲームで、もうかなり古い部類に入ると思います。

 今ではゲームといえば、スマホのアプリやブラウザでやるものがメジャーですが、当時はプレイステーションのような専用の筐体でやるか、あるいは、パソコンの上で動くアプリケーションとして、売られたり配られたりしていました。

 で、同人ゲームというのは、このパソコンの上で動くものが多い、というか、そういう形式しかなかったのではないかと思います。

 その中で、サウンドノベルというゲームがありまして、それ用のスクリプターやエディターで、テキストやイラスト、サウンドを落とし込んで、あたかも紙芝居というか、絵と文章、そして音──音楽で、一個の世界──物語を形作っております。

 しかも同人なので、審査やそういうのがないので、クリエイターの、なまの、時にはどぎつい内容のものもありました。

 「ひぐらしのなく頃に」は、そういうゲームでした。


 さて、標題の「ひぐらしのなく頃に」は、いわゆるコミックマーケット(通称コミケ)という、巨大な同人誌やそういった創作物を頒布するイベントで配る、あるいは売られていたそうです。

 といっても私自身はこのコミケに行ったことがありません。

 こういう同人ゲームも、確か古い雑誌のおまけCDに入っていた「1999ChristmassEve」というサウンドノベルが初めてでした。

 これはミステリやホラーに位置づけられるサウンドノベルで、私はすっかりそれにはまってしまいました。

 そして、こういうものをプレイした者の常で、じゃあ次は何をするかとネット上を渉猟していたところ、「ひぐらしのなく頃に」というサウンドノベルの情報に触れました。


「怖い」


「面白い」


「前半を耐えればいける」


 ……最後のコメントだけよくわからなかったのですが、とにかく凄い作品であることは伝わってきました。

 そんなわけでその第一話にあたる「鬼隠し編」は、製作サークル「07th Expansion」のHPから無料でダウンロードできるということなので、暇潰しにやってみることにしました。



 ところでみなさまは、「あしたのジョー」というボクシング漫画をご存知でしょうか。

 話の内容はともかく、名前くらいは聞いたことがあるかと思います。

 さて、ここで言いたいことは、その漫画の内容では無くて、あるシーンのことです。

 主人公・矢吹丈(ジョー)が、プロになった時の対戦相手がかなりの強敵だったのですが、ジョーはそれを打ち破ります。それを見たライバル・力石徹が「本物だった! 本物だった!」とジョーのファイトに感動して、二人は戦いへと向かっていきます。

 私がこのゲーム「ひぐらしのなく頃に」をプレイした時の感動が、まさにそれです。

 本物だった。

 と――叫びたくなるくらいの、それは恐怖でした。



 といっても、プレイして即、その世界に引き込まれてクリックが止まらない……という感じでは無くて、実は頭上にクエスチョンマークが浮かんでいました。


「これってギャルゲー(いわゆる、女の子たち相手にフラグを立てて、つきあったり、結ばれたりするゲーム)なのでは」


 そう、このゲームの前半は、ホラーでもミステリでもない話だったのです(本当はいろいろと伏線が仕込まれていましたが)。

 転校生である主人公の少年と、隣の家の女の子や、街の顔役の娘や、クラスメイトのトラップ好きの悪戯娘、神社の娘といった面々で、ひたすら会話したり、ゲームしたり……しかも選択肢が無いので、ただひたすら読んでいく、というプレイ内容でした(コンシューマー版では、そこで選択肢がありますが、ここでは原作の同人ゲームについて述べます)。

 何だろう、このコレジャナイ感――そう思いながらも私は、プレイを続行しました。しかし時間は無限ではないし、お金を出して買ったわけでもないので、もう無理だなと思ったらやめようと思い、その日もパソコンの電源を入れ、ゲームを始めたわけです。

 この時私は失念していました。


「前半を耐えればいける」


 ――というコメントがあったことを。



 みなさまは、つい、嘘をついてしまったことはありませんか?

 たとえば、担任に職員室に呼び出され、クラスメイトについて聞かれ、その後、当のクラスメイトに「先生に何か言われたのか」と問われ、「ないない」と答えるといった感じの。

 悪意が無くても、波風を立てないために「そんなことない」と言うことって、あると思います。

 ところが。

 それを嘘だと言われたら、どうしますか?

 それがこのゲームの、このエピソードの肝でした。

 そういう感じで、主人公が警察関係の人に会って、クラスメイトの話をします。

 そのあと、あまり心配かけても仕方ないと思って、そのクラスメイトには、特に何もなかったとか、そんな感じで流そうとします。

 しかしその時。

 登場人物の“目”が変わりました。

 濁っている。

 そう言っても過言ではないほど、“目”の“色”が変わりました。

 それは比喩ではなく、文字通りの“色”が、何というか、濁っているとしか言いようがないくらい、変わっていました。

 そういう目で、詰めてくるのです。

 お前は今、嘘をついている。

 さっき会った人に、何か話しただろう。

 そういう風に、凄んで来るのです。


「……何これ」


 そうとしか言いようがありませんでした。

 特にこの濁った目――これは、登場人物が反転したり、いわゆる闇落ちした(ように見える状態)に使われる演出でした。のちに、通称“ひぐらし目”と呼ばれます。

 さて、画面上の登場人物から、この“ひぐらし目”で見られて、まるで世界が反転したような気分でした。

 そしてこのタイミングから、(ゲーム内のことですが)すでにかなり親しくなった人たちが、逆にその「親しさ」を理由にして、主人公のプライベートに侵入してきます。

 恐怖が――そこにありました。

 実はこの時、かなり夜遅かったのですが、こうなるともう、蛇に睨まれた蛙というか、魅入られたように、夜明けまでプレイしました。

 何しろ、ゲームだからあとどれぐらいで終わるのかが、まるで読めません。

 いったいどれぐらいで終わるのか。

 まるで予測がつきません。

 これが本だったら、残り頁数とか厚みでわかるのですが、ゲームで、しかもコンシューマーのように第何章とか、攻略本があるわけではない。

 ただひたすらに、ゲームをしていくしかない。

 しかも、選択肢が無いので、展開も一方向しかない。

 しかしそのような状況こそが、恐怖を満喫するのに最高のシチュエーションだということに、本能的に理解しました。


 さらに、その恐怖を乗り越えるためには――と、考える要素があることもまた、ミステリ好きの心をくすぐります。

 何でこのような反転があったのか。

 主人公もそうですが、何かの刺激のせいなのか、首を掻きむしりたくなるのはなぜなのか。

 はたまた、首輪というか、別の女の子に全身を拘束されて、拷問をされる流れになるのは、どうしてなのか。

 もしかして、これは個々の憎悪や殺意ではなく、主人公の住んでいる村やコミュニティの、組織ぐるみの……。


 気づくと数日後、当然の如く秋葉原へ行き、つづきのエピソードが入っているディスクを買っていました。

 当時は罪滅し編という、解決篇の途中まで公開されていて、すぐに次の皆殺し編が出る、というタイミングでした。

 この時のこのゲームの売り方として、最新のエピソードが入っているディスクには、それまでのエピソードも入っていて、なるべく後ろのエピソードが載っている方を買うのがお得なのですが、そんなのかまってられないぐらい、その時点でできる範囲のものをプレイしたくてたまりませんでした。



 その後、御多分に洩れず、ムックや小説化された書籍、コミカライズ、コンシューマー版まで買いあさることになりました。

 ただまあ、それだけ“好き”になれるものに出会えたということは、幸せなことです。

 たとえば、公式の掲示板で、同じ“好き”を持つ人たちと交流するという、私にとっては未曽有の、そして宝物のような体験もできました。

 たぶん、人生も大きく変わったと思います。

 そこで二次創作というものに触れ、執筆という楽しみに目覚めることになりましたから。

 あの時、暇潰しでやってみようかと思ったゲームに、ここまで人生を楽しくしてもらえるとは――逆に言うと、“好き”ということは、それだけの力があるものなのだな、と感じます。

 



【了】

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