街の灯、二人の距離

 あれから数日。

 偶然を装った接触は、すでに私の中で習慣になっていた。

 購買でパンを買うタイミング、下校時の昇降口、たまに校門の外。

 気づけば、彼女と話すのは日常の一部になっていた。


 今日もまた、昇降口で彼女の姿を見つける。

 ブレザーの胸ポケットから覗くペン、髪をまとめたうなじ、薄く微笑む横顔。

 それら全部が、なぜかやけに鮮やかに目に入る。


「紗英」

 名前を呼ぶと、彼女は少し驚いた顔でこちらを見た。

「……莉音さん、今日は呼び捨てですか?」

「たまにはいいじゃん」

「そうですね……」と微笑み、靴を履き替える手を止めない。


 昇降口を出たところで、私は切り出す。

「今日、ちょっと街行かない?」

「街……ですか?」

「駅前の商店街。ほら、文化祭の買い出しって名目で」

「……文化祭の準備は、まだ始まっていませんが」

「じゃあ下見ってことで」


 彼女は一瞬考えた後、小さく息をついた。

「……仕方ないですね。少しだけですよ」

 それだけで、胸の奥が跳ねる。


 電車に揺られて十五分。

 駅前の商店街は、夕方の人で賑わっていた。

 アーケードの天井から吊るされた赤い提灯、焼き鳥の香り、古い本屋の前を通る学生たち。

 私は歩きながら、自然に彼女の隣の距離を詰めていく。


「この辺、よく来るの?」

「……いえ。用事がないとあまり」

「へぇ、じゃあ今日は特別だ」

「そういうことにしておきましょう」

 からかうような声に、なぜか嬉しくなる。


 雑貨屋の前で足を止めると、彼女がショーウィンドウの中をじっと見ていた。

小さなガラスのペンダントが、光を反射して揺れている。

「似合いそうじゃん」

「……こういうのは、贅沢品です」

 その言い方に、夜のバーでの姿が頭をよぎる。

 彼女の生活の一部は、きっとこういう「余計なもの」を諦めて成り立っているんだろう。


「じゃあ、もし今度頑張ったら、私が買ってやる」

「……頑張る、ですか?」

「もう頑張ってるか。そうだな……」

 少し考え、いいことを思いつく。

「じゃあ、もし次の休みに……」

「……何ですか?」

「うちに来てくれたら」

 その変な条件に、彼女はくすっと笑った。

「条件が変わっていますね。でも……考えておきます」


 商店街の奥、路地にある小さなカフェに入った。

 白い壁、アンティーク調の椅子、窓際にはドライフラワー。

 注文を終えて席に着くと、外よりも静かで、やけに距離が近く感じる。


「……意外です」

「何が?」

「こういう場所に来るなんて」

「私だって甘いものくらい食べるんだよ」

「ふふ、そうですか」

 ケーキを前に、彼女はほんの少しだけ表情を緩めた。


 帰り道、駅までの道で彼女がふと立ち止まる。

「……今日は、楽しかったです。ケーキも奢っていただいてありがとうございました。今度またお礼させていただきます」

 その声は、夕暮れの街灯の下でやけに柔らかく響いた。

 

その瞬間、私は確信した。

もっと、彼女の時間を奪いたい。

もっと、彼女の秘密を知りたい。

そして、もっと——傍にいたい。


「律儀だな、気にしなくていいのに」

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