胸の奥のざらつき

 昼休み。

 私は中庭のベンチに足を投げ出して座っていた。

 春の陽射しがじりじりと肌を暖めて、空気はほのかに草の匂いが混じっている。

 こんな日は教室にこもるより、外のほうがいい。

……まあ、授業をサボる理由はいくらでもあるし。


 缶ジュースを片手に、ぼんやり空を見上げていたときだった。

 ふと視界の端に、見慣れた長い髪が揺れるのを見つけた。


——紗英だ。


 生徒会長のあの人は、芝生の向こうで誰かと話していた。

 男子。背が高く、真面目そうな眼鏡をかけている。

……あれ、副会長じゃないか。


 紙束を抱えて、ふたりで何やら相談している。

 ときおり紗英が笑って、相手の肩を軽く叩く。

 距離が近い。……近すぎる。


「なにあれ」

 口からぽろっと声が漏れた。

 別に、あの人が誰と話そうが、私には関係ないはずだ。

 そもそも友達ですらないし。

 ただ、夜のバイト先で偶然知り合って、何度か会って……それだけ。


 でも、胸の奥がざらつくような感じがして、ジュースの甘さすら嫌な味に変わった。


「おーい莉音、何ムスっとしてんだ?」

 同じ不良仲間の玲奈が、コンビニ袋をぶら下げながらやってくる。

「別に」

 短く返すと、玲奈はニヤニヤしてベンチに腰掛けた。


「お、あれ生徒会長じゃん。隣、男かよ。へぇ〜」

「……」

「お? 反応しないってことは、ちょっとは気になるわけ?」

「気になんねぇし」

 そう言って足元のペットボトルを蹴飛ばす。


 玲奈は「はいはい」と肩をすくめ、それ以上は突っ込まなかったけど、

 私は心の中で自分に対して「嘘つき」と呟いた。


放課後。

校門を出て、駅へ向かって歩いていると——


「莉音さん!」


 背後から呼び止められた。

 振り返ると、紗英がスカートを揺らしながら小走りで近づいてくる。

 白い頬がほんのり赤く、額に細い髪が貼り付いている。

……さっきの副会長と話していた姿が一瞬よぎり、私は無意識に視線をそらした。


「今日、このあと急いでますか?」

「……別に」

「よかった。少し寄り道しませんか?」


 連れてこられたのは、小さなカフェだった。

 駅前から少し離れた路地にあって、知らなければ通り過ぎるような外観。

 中に入ると、ほの暗い照明とコーヒーの香りがふわりと包み込む。

 壁際にはレコードジャケットが飾られていて、ジャズが小さく流れている。


「ここ、バイト先のマスターが教えてくれたんです。

 チーズケーキがすごく美味しくて」


 そう言って微笑む紗英は、学校で見せる完璧な会長の顔じゃなかった。

 少し肩の力が抜けていて、笑い方も柔らかい。


 私たちは窓際の席に座り、ケーキとカフェラテを注文した。


「……さっき、中庭で会長と誰か話してたでしょ」

 ケーキを食べる前に、我慢できずに口が滑った。


「あ、副会長です。生徒会の行事のことで」

 あっけらかんと答えるその様子が、逆にモヤモヤする。


「……ふーん」

 私はフォークでケーキを突き刺し、ひと口食べた。

 確かに美味しい。甘さ控えめで、口の中でふわっと溶ける。

 でも、それすらさっきの胸のざらつきを完全には消せなかった。


「莉音さん」

「なに」

「……気になってますよね?」


 突然、まっすぐに見つめられて、思わず言葉を飲み込んだ。

 その瞳は、からかうようで、でもどこか試すみたいな光も含んでいた。


「……ちょっとだけ」

 しぶしぶ、そう答える。

 すると紗英はふっと笑って、フォークを口元に運んだ。

「嬉しいです」

「は?」

「そうやって、気にしてくれるの」


 心臓が、変なふうに跳ねた。


 帰り道、駅の手前で彼女が立ち止まった。

「莉音さん、またここ来ませんか?」

「……別にいいけど」

 口調は素っ気なくしたが、心の中では「また会える」と思うだけでおかしな熱が広がっていくのを感じていた。


 紗英は軽く手を振って、改札の中に消えていった。

 その後ろ姿が、しばらく頭から離れなかった。

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