その手を離さない
夕方の駅前は、オレンジ色の街灯と車のライトが混ざり合って、なんだかぼんやりとした空気になる時間帯だ。
煙草の煙が漂い、コンビニの袋をぶら下げた人たちが足早に通り過ぎていく。
私は、友達との待ち合わせに少し早く着きすぎて、暇つぶしにロータリーをぶらついていた。
ふと、目に入ったのは、あの人——紗英だった。
制服の上から薄手のコートを羽織り、肩にはバイオリンケース。
学校とは違って、少し大人びて見える横顔。
だけど、その表情は笑っていなかった。
男が二人、彼女の前に立っていた。
年は二十代半ばくらい。革ジャンにジーンズ、片方は缶ビールを持っている。
紗英の腕を軽くつかみながら、何か話しかけているのが見えた。
胸の奥がざわっとした。
——あいつら、知り合いか?
いや、あの顔、困ってるだろ。
気づけば、私は歩き出していた。
ヒールブーツの音をわざと大きく鳴らし、二人の視線をこっちに向ける。
「ちょっと、彼女、困ってんじゃない?」
軽く笑ってみせたけど、声は低めに抑えた。
片方の男が眉をひそめる。
「なんだお前」
「友達だけど」
紗英の腕を引いて、自分の後ろに隠す。
ほんの一瞬、彼女の指先が私の手をぎゅっと握った。
その感触で、もう引く気なんてなくなった。
「悪いけど、こいつ連れてくから」
男たちは舌打ちして去っていった。
残ったのは、冷たい風と、まだ手の中にある彼女のぬくもり。
「……ありがとう」
駅から少し離れた路地で、紗英がぽつりと言った。
顔は上げず、コートの襟をぎゅっと握っている。
「知り合い?」
「……昔、同じバイト先だった人たち」
声が小さい。
多分、あまり話したくないことなんだろう。
「なら、あんなの無視でいい。あいつら、もう近づけさせない」
自分でも驚くくらい、強い声が出た。
紗英はようやく顔を上げた。
その瞳は、街灯の光を映して揺れている。
「……どうしてそこまで?」
「さあ? でも……」
言葉が喉で引っかかる。
どうしてだろうな。
一言で言えば——放っておけない、なんて陳腐すぎる。
でも、あの夜の缶コーヒーみたいに、何かを渡したいって思ったのは確かだ。
「時間、ある?」
自分でも驚くような質問が口から出た。
そのまま、近くのファミレスに入る。
暖房の効いた店内で、私はアイスティー、紗英はカフェラテを頼んだ。
彼女はカップを両手で包み、少しずつ飲んでいる。
指先が白くて、細い。
「……莉音さんって、学校ではこういう感じじゃないですよね」
「は?」
「もっと、怖い人かと思ってました」
くすっと笑う声が、やけに心地いい。
「まあ、普通はそう思うよな」
「……でも、怖くないです」
その言葉に、心臓が少しだけ強く跳ねた。
ファミレスを出ると、夜はすっかり冷え込んでいた。
駅までの道、私は彼女の歩く速度に合わせてゆっくり進んだ。
信号の前で、紗英が小さく息を吐く。
「今日は……助けてくれて、本当にありがとう」
「別に、礼なんかいらない」
そう言いながらも、心の奥では——
あの手の温もりを、もう一度感じたいと思っていた。
信号が青に変わり、並んで歩き出す。
そして、不意に彼女が言った。
「……また、会えますか?」
それは、間違いなく今までで一番、不良らしくない私の笑顔を引き出した瞬間だった。
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