仮面の内側
私は、生徒会長として見られている自分と、本当の自分を切り離している。
そうしなければ、ここまで来られなかった。
——「いつも笑顔でいなさい」
父が亡くなった日、母に言われた言葉。
病弱な母は働けず、妹はまだ小さかった。
笑顔は、我が家を支える最後の防波堤だと、母は信じていた。
だから、学校でも、私は笑う。
授業の合間、廊下ですれ違う誰にでも、同じ笑顔を向ける。
褒められれば感謝を、頼られれば即座に対応する。
本当は、疲れても、泣きたくても。
夜の仕事は、始めはただのアルバイトだった。
バイオリンを弾ける場所があって、お金がもらえる。
それだけのはずだった。
けれど、気がつけばそれが生活の柱になっていた。
学費、妹の塾代、光熱費——全部、音で稼いだ。
あの夜、いつものように演奏を終え、外に出た。
冷たい空気が肌を刺し、呼吸が白くなる。
駅へ向かおうとしたとき、路地の陰に立っていたのが——彼女だった。
髪は明るく染められ、唇にはグロス。
耳には小さなピアスが光っていた。
目つきは挑発的で、でも妙に澄んでいて。
あの子は——不良生徒の莉音さん。
「……生徒会長さん」
笑いながら近づいてくる声は、私を探っていた。
何を言われるのか、心臓が強く打つ。
けれど、次の瞬間、彼女は缶コーヒーを差し出した。
「寒そうだったから」
その言葉は、あまりに不器用で、そして優しかった。
私は思わず——笑ってしまった。
学校で作る、完璧な笑顔じゃなくて。
たぶん、少しだけ素の顔だった。
それから数日、彼女は生徒会室に顔を出すようになった。
理由は「授業がつまらないから」と言っていたけれど、
書類整理をしているとき、ふと感じる視線は、どこか真剣だった。
コーヒーのお礼を言ったら、彼女は視線を逸らした。
照れたのか、それとも興味を失ったのか、判断できなかったけれど——
その横顔が、やけに心に残った。
放課後のライブハウス。
バイト先のバーとは違い、賑やかで、観客との距離も近い。
そこに、莉音さんがいた。
壁際に立ち、私を見ていた。
彼女の視線は、あのバーの夜よりも強く、そして揺れていた。
演奏中、何度も視線がぶつかった。私が笑えば、ほんの一瞬だけ、彼女の表情が和らぐ。
——まるで、音が彼女を引き寄せているみたいだった。
終演後、裏口で待っていた莉音さんは、チョコレートを差し出した。
「寒い夜は甘いもんのほうがいいって聞いた」
その言葉は、やはり不器用で、でもあたたかかった。
家に帰り、妹が寝静まった後、私は机の引き出しを開けた。
そこには、缶コーヒーとチョコレートの包み紙が並んでいる。
捨てられなかった。
理由は、私にもまだわからない。
ただ一つ確かなのは——
莉音さんの前では、完璧な仮面が少しずつひび割れていく、ということだ。
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