レールの外で、あなたと
高町 希
退屈の隙間に
退屈な日って、呼吸が浅くなる。
胸の奥に溜まった空気が重くて、吐いても吸っても何も変わらない。
そんな日が、今日もまたやってきた。
午前中の授業は全部サボった。
別にやることがあるわけじゃない。ただ、教室に行っても、黒板と教師の顔を交互に眺めているだけで時間が無駄になるだけだ。
それなら、外の空気を吸っていたほうがマシ。
私、西園寺莉音。
髪は明るい金色に染めて、毛先だけピンクを混ぜてる。片耳に三つのピアス、制服は腰までシャツを出して、スカートは短め。
タバコも酒もやるし、授業もロクに出ない。
教師たちからすれば、「救いようのない不良」。
でも、退学にはならない。理由は簡単。
この学校の理事長が、あたしの父親だから。
特権って便利だよ。何やってもある程度は許される。
成績が赤点でも、呼び出し食らっても、最後には「お父様によろしく」で終わる。
でも、その裏には約束事がある。
将来は親父の決めた道を歩け。
いい大学、いい会社、いい結婚。全部レールの上。
自分の意志なんて入り込む余地はない。
だから、今くらいはレールの外を歩く。
誰に止められようと、やりたいようにやる。それがあたしなりの反抗だ。
放課後、スマホを見たら仲間からのLINE。
「今日、急用できた。ごめん、またな」
既読をつけて、ため息をひとつ。
冬の夕暮れは早い。
街灯がつき始め、空は群青と朱色が混じった中途半端な色に沈んでいく。
繁華街に入ると、ネオンの赤や青が視界に刺さってきた。客引きの声、車のクラクション、揚げ物の匂い――混沌とした空気が肌にまとわりつく。
こういう雑多な匂いの中にいると、「生きてる」感じがする。
でも、その夜はどうも物足りなかった。
ただ歩くだけじゃ、退屈は消えない。
そんなときだった。
一際暗くて、落ち着いた雰囲気の建物が目に入った。
重厚な木の扉、小さな真鍮のプレートには「Members Only」の文字。
中から漏れる光は、ネオンとは違って柔らかい。
普通なら素通りする。
でも、今日は少しだけ違うものを見たかった。
扉を押すと、低く柔らかなジャズが耳に広がった。
内装は落ち着いた色合い。天井のライトはスポット的で、客の表情を半分だけ照らす。
カウンターにはスーツの男やドレスアップした女たち。
グラスの中で氷がゆっくりと溶ける音がやけに響く。
革ジャンにジーンズ姿のあたしは、この空間では完全に浮いていた。
でも、場違い感なんて気にしない。
ふと、奥のステージに視線をやった瞬間、息が止まった。
黒いドレス、艶やかな黒髪。
バイオリンを肩に乗せ、弓を滑らせる女性――
白石紗英。うちの学校の生徒会長だ。
紗英は、学校じゃ完璧な人間の象徴だ。
成績は常にトップ、礼儀正しく、誰にでも同じ笑顔を向ける。
その笑顔は作り物じゃなくて、自然で、見る者を安心させる。
男子はもちろん、女子ですら一瞬見惚れる。
そんな“清楚で手の届かない”存在が、なぜ夜のバーでバイオリンを弾いている?
音を聞いて、さらに驚いた。
クラシックなんて退屈だと思っていたけど、彼女の音は冷たくて、それでいて奥に熱を秘めている。
ひとつひとつの音が、胸の奥をかすかに揺らす。金のためだけに弾いているとは思えない。もっと切実な理由があるはずだ。
最後の音が消え、拍手が広がる。
紗英は深く一礼し、ステージを降りた。
そのとき、目が合った。
一瞬だけ、彼女の瞳が揺れる。すぐに視線を逸らしたが、その反応で確信した。あれは間違いなく本人だ。
控室へ向かおうとする紗英を、カウンター脇で待ち伏せる。
「……あれ、生徒会長じゃん?」
彼女は立ち止まり、静かに答える。
「……人違いでは?」
「いやいや、間違いないって。学校じゃ清楚ぶってるのに、こんなとこで稼いでるんだ」
紗英の瞳に、一瞬だけ警戒の色が走る。
それが妙におかしくて、口角が上がる。
「これ、バラされたくなかったら……どうしよっかな。暇だし、あんたと遊んでやってもいいけど?」
「……あなたが何を言いたいのか分からないけれど、放っておいてくれる?」
冷静な声。
脅されたら焦るのが普通なのに、彼女は崩れない。
その態度が、逆にあたしの興味を煽った。
翌日の昼休み、生徒会室に足を運んだ。
窓から冬の光が差し込み、机上の書類を淡く照らす。
紗英はペンを走らせていて、あたしの気配に気づくと顔を上げた。
「……用事は?」
「昨日の続き。あんた、やっぱ学校のときと雰囲気違うな」
彼女は書類を揃えながら、ため息をつく。
「あなたは私に何を求めているの?」
「さぁ? でも、あの夜の顔、ちょっと面白かったし」
脅すための興味だったはずが、少しずつ形を変えている。
あの音色と、夜の表情が頭から離れない。
数日後、またバーに行く。
ステージの上の紗英は、相変わらず完璧に見える。
でも、耳を澄ますと、音には焦りと切実さが混じっていた。
それが耳から胸に落ち、しばらく動けなくなる。
演奏が終わり、控室に消える紗英。
あたしはなぜか帰らず、ドアの前で待っていた。
寒さで指先がかじかむ。
ふと、近くのコンビニで買ったホットの缶コーヒーの温もりが、ポケット越しにじんわり伝わってきた。
ドアが開き、紗英が出てきた。
「迎えに来た」
「……何のために?」
「送ってやるよ。寒いだろ」
ポケットから缶コーヒーを取り出し、差し出す。
「あんた、手、冷たすぎ。もっと自分のこと大事にしな」
缶の温もりを受け取った彼女が、ふっと笑った。
その笑顔が、なぜか胸に焼きついた。
莉音にとって缶コーヒーは、ただの親切じゃない。
「会いたい」と思って待ち、「何か渡したい」と思った結果の行動。
本人はまだ気づいていないが、それはもう脅しじゃなく、惹かれ始めた証だった。
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