第6話 天真。


葵は、あの男の話を男の妻から聞いた。

急に沢山の想いが溢れて、どう反応していいかわからなかった。


ただ、うまく伝えられない感情が涙に変わったように、ぽろぽろと涙が出た。

声が出ない、ただ静かに涙だけが止まらなかった。


と同時に、男の妻の話を聞いたことで、疑問に感じていたことがすべて納得できた。


普通なら、あんな形で出会った初対面の女性に向けないような、あの暖かな眼差しも、

名前も知らない人と一緒にいるのになぜかほっとするあの空間も、

たまに見せる寂しそうな男の表情も、

溶け出した雪のように、ごく自然に葵の心に馴染んでいった。


『、、メッセージもらえて、お話できて良かったです。

ありがとうございました』


もっと言いたいことがあるのに、葵はうまく伝えないことがもどかしかった。

男の妻はそれを察してか、優しい表情で話を続けた。


『生前の彼と私は、性格が正反対だから、面白いほど意見が違ったの。

だから飽きずに長く一緒にいられたのかしらね。

出会ってからずっと、そりゃ大変なときもあったけど、楽しかった。

私は彼と結婚できて、本当に幸せだった。


あなたはこれからとても素敵な女性になると思う。

そこに関しては珍しく窪田と意見があったわね。

彼も天国で喜んでるかしら。


これからは、自分を大事にして幸せになってね。

自分を大事にできない人は、人にも大事にしてもらえないからね。


私と窪田はね、高校の同級生なの。

同年代の男の子との恋愛も楽しいものよ』


と、言って笑った。


わたしはこんな素敵な女性になれるだろうか。

自分が彼女の立場に立った時、こんな風に笑えるのか、そして、この女性(ひと)に素敵な女性になれると言われたことが、未来の自分を認めてもらえたようで、葵は嬉しかった。



男の妻と笑顔で別れ、カフェを出て駅に向かう。


駅前は時間帯の割に学生が少なく、もうすぐ会社の終わる人たちでごった返す予兆を感じさせながらも、落ち着いた雰囲気を見せていた。


葵は、ホームに向かい、おばあさんが座っている後ろの椅子に、対角に腰掛けた。

まだ夏の匂いはするが、ホームを通る風は秋の憂いを含んでいる。


葵は、少し考えて、母に連絡することにした。


『あ、お母さん?今から帰るね。

今日の晩ご飯何にするか決めてる?』


母は電話の向こうで、少し神経質に電話を取ったように感じたが、普段と変わらない葵の様子に少しほっとしたようだった。

なにか晩ご飯に食べたいものがあるのかと、聞いてきた。


『お母さんのハンバーグが食べたい。

子供の頃からずっと大好きなんだよ、知ってた?


あとね、わたしね、新しいお父さんが来て、弟が生まれて、自分だけが一人ぼっちってずっと思ってたんだ。

なんかね、心が空っぽになってたと思う。


そのせいで、お母さんとお父さんにはひどい思いさせちゃったけど、もうやらないから安心して。

本当にごめんなさい。


あとお父さんにね、【本当のお父さんはずっと大事だけど、今のお父さんもめっちゃ大事だよ】って、言ってくれない?

恥ずかし過ぎて、流石に自分からは言えないから。


わたしね、これから高校生っぽい恋愛をしようと思ってるの。

自転車で2人乗りしたり、学校の帰りにコンビニで一緒にアイス買ったり、寝る前に電話で話したり、そういうのしたことないからしてみたい。


すごく照れ屋でね、子供っぽいんだけど一緒にいると楽しくて、優しい男の子がいるの。

今度家に連れてきてもいい?』



母は、少し間を置いて話始めた。

さっきより風邪をひいたような声になっている。


『、、そっか、、葵はハンバーグが好きなのか、、。

子供の頃は、喜んで食べてくれてるって思ってたんだけど、最近は知らなかったな、、。

じゃあ、今日は葵に特別おっきなハンバーグ作ってあげるから、いっぱい食べな。


そんな男の子がいるならお母さん会ってみたいなぁ。

大歓迎するから連れてきてね。


あ、あとお父さんにもちゃんと伝言しとく。

お父さん、そんなん聞いたら泣くかもしれないから、伝言で丁度いいかもね』


葵は、母が電話に出ると、一気に話した。

こんな話、間が開いたら恥ずかしくて言えなくなっちゃうと思った。

電話口の母も、普段言い慣れない言葉に、照れくさそうな様子だったが、嬉しそうに話しているようにも聞こえた。


わたしたちはあの家で、親子であり女という同士なのだ。

近過ぎて言うのが照れくさいことも、あえて言葉にする事が大事だったのかもしれないと葵は思った。




次の日の朝、また学校に向かう。


電車の中は、やっぱり好きじゃない。

でも乗っている人々は、人に見える。

みんなそれぞれ、自分の人生を背負い、自分の生活を大切に確保しているのだ。



放課後、学校で翔太を見かけたので、葵は声をかけた。


『誰か待ってんの?』


『おう。柏木と小島が今担任に呼ばれてんのよ』


『ねぇ、次の日曜日って暇?

新しい服買いたいんだけど、付き合ってくれない?』


翔太はぽかんとしている。

急に言葉の意味を把握したのか、顔が真っ赤になった。


『あ?日曜日?

暇ってわけでもないけど、行ってやってもいいけど』


と、眉間にシワを寄せて答えた。


あーあ、やっぱり子供だなーと葵は思って笑ってしまった。


『おまえ、何笑ってんの?』


『おまえが変だからだよ』


翔太と葵は顔を見合わせて笑った。

子供っぽいけど、いいヤツだから大人になるまで待ってやるか。


葵は翔太に手を振って別れた。





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春情 山犬 柘ろ @karaco

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