春情
山犬 柘ろ
第1話 日々。
『行ってきます』
葵は今日も、朝から学校に行く。
駅のコインロッカーに大きなバックを1つ下ろし、いつもの時間のいつもの車両に乗る。
乗った瞬間、何かの体内に放り込まれたかように、他人の体温と体臭に一瞬で巻きつかれる。
【この時間が一番嫌い】
と、葵は思う。
無表情で電車に乗る人々の集合体は本当に人なのかと思う。
まるで、体温と動きだけ残された屍のようだ。
たまに同年代くらいの集団が、ヒソヒソと談笑していて、それを見るとわたし以外に人が乗っていたんだと安心する。
2駅過ぎると葵の高校がある。
教室に入ると、仲のいい友達が何人かおはよーと声をかけてきた。
いつも通りの朝の光景だ
学校では、いつもそれなりに過ごしている。
学年が変わり、クラス替えが終わったばかりなのに、葵のクラスは比較的みんな教室に馴染んでいて仲がいい。
たまに変わった子もいるけど、特に誰かに攻撃されてるような様子は見かけない。
おそらくそれは、クラスの中心にいる翔太のグループが許さないからだ。
翔太は小学生のとき、九州からこの地域に引っ越してきたらしい。
当時、転校生ということでいじめられたが、しばらくしたらいじめていたクラスメイトとも打ち解けたと以前話していた。
彼の持ち前の明るさと気の強さ、面倒見の良さのおかげで、いじめていた奴らも彼の存在を認めてしまったのかもしれない。
そして、まだクラス替えが終わって間もないにもかかわらず、ピラミッドのてっぺんに悠然と位置している。
仲のいいクラスでも、ヒエラルキーは存在する。
おそらくこれから一年、ピラミッドの頂点は彼のままだろう。
彼に憧れている女の子の話は聞いたこともあるが、彼自身は男友達といる方が楽しそうだった。
美咲と結衣は、葵が一番信頼しているクラスメイトだ。
美咲は1年生のときに知り合い、続けて同じクラスになった。
結衣は1年生のときはクラスが違ったけど、中学の頃から比較的仲良しだったところに、同じ高校になったことでその関係が更に強固になった。
教室に入るなり、葵を見つけ嬉しそうに近づいてくる。
葵は、この光景が好きだ。
この光景を見るたびにこの二人を大好きだと再認識する。
『どしたの〜?今日は髪おろしてきてるじゃん』
と結衣が髪を触ってくる。
『今日起きるのギリギリでさ、面倒だからおろしてきちゃった』
『面倒でそのままおろして来れんのほんと羨ましいわ。
ウチなんかアイロン必須だわ』
と、美咲が自分の前髪をくるくると指に巻き付けながら話す。
彼女たちは相変わらずいい子で、いつも通りの光景に安心する。
今日の学校も無事に終わり、帰宅するために駅に向かった。
美咲は家が学校から近いので、駅との別れ道まで自転車を押しながら三人で帰ることが多い。
結衣は、去年までうちの高校にいた大学生の彼氏がいる。
車で迎えに来ないときは駅まで一緒に行き、ホームが違うのでどちらかの電車の時間までお喋りする。
最寄りの駅に着いたら、コインロッカーに朝入れていたバッグを取り出して、駅のトイレで制服からワンピースとハイヒールに着替える。
学校に行くために薄く施していた化粧も少し濃いめにし、動きに沿って顔の横で揺れるピアスを付ける。
今できる精一杯の、実年齢よりも大人に見えるよう細工をする。
ワンピースは黒で背中の開いた体の線が見えるもの、ハイヒールはヒールが高めのベージュのハイヒールを今日は持ってきた。
待ち合わせの場所に向かい、知らない男とお茶を飲む。
そして、知らない男とそのままホテルに行く。
知らない男から手に入れた、この行きどころのない3万円は、自分の部屋のクローゼットの中にある、靴の空き箱に仕舞う。
欲しいものは言えば親が買ってくれるし、無茶な金額じゃなければ言えばもらえる。
このお金でなにか買うとしたら、年齢にそぐわない服や靴を買うだけ。
かわいいとも思わないその服は、ただの商売道具でしかない。
お金が欲しい訳ではない。
その行為は何か満たされるのだ。
自分の身体に慾情する男の視線に優越感を感じ、男を見下げることで満たされているのか、
男が自分を物として扱い、虐げられることに満たされるのか、それはわからない。
ただ、マネキンのような自分の身体に体温を注がれるような感覚になり、生を実感する。
お金で割り切った関係なら、面倒もないのでお金を貰う。
人の心なんかいらない。
わたしが心を満たし、男は欲望を満たすだけの話だ。
クローゼットの中にある空き箱の空間は、みるみるうちにどんどん少なくなった。
そして、その箱の中身は行為のために切り捨てた自分と、自分の心の空虚でいっぱいになっていた。
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