世、妖(あやかし)おらず ー脳笊(のうざる)ー

銀満ノ錦平

脳笊(のうざる)


 人の記憶というものは曖昧なものである。


 つい昨日食べたものでさえ思い出せないこともあると思ったら、ふと小学生の時に潰れた駄菓子屋に入り浸っていた事をふと思い出したりと皆もするのではないか。


 私もそうである。


 昨日あれ程真剣に読んだはずの小説の内容を殆ど覚えていない。


 大まかに何が起きたか…誰が何をしたかという事は覚えているが事細かな描写は一言一句言えと言われても多分言えないわけである。


 これは例えるなら流れの早い川に笊を入れて、流れに乗っている物体が入るのを待つ。


 笊の網目に通らないものはそのまま笊の中に入っていく…これが大まかに覚えてある内容でこの網目から抜けていくのが事細かな内容…脇役の行動や、状況整理で必要があるのかないのか分からない場面等…此等は網目を掻い潜ってしまう。


 しかし2度目に読む時は、この笊の網目をより小さいものになっていく。


 勿論、1度目に記憶している大まかな内容は笊の中にそのまま入っている為、それが頭の中に入った状態で読むと1度目に読んで覚えられなかった部分が頭に記憶されるようになる。


 この時は網目を小さくしている為、その覚え切れなかった小さい欠片が笊に入っていく為に、内容が鮮明になっていくが…笊である以上、どんなに網目を小さくしても隙間がある以上はそこから読んだ記憶が漏れてしまう…そしてその内容をまた掬う為にまた頭の中に笊を用意しストーリーの情報を頭に詰める…私は本を読む際にはこの考えを頭で思慮し、効率を高めさせているが、それでもやはり私自身の記憶のメモリーの限界というのもあり、翌日には笊の網目がいつの間にか開き始めたり、溜まっていたストーリーの塊が溶けてしまい、結局本の内容が消えてしまっているのがなんとか悲しいというか悔しいというか…とこれを新しい本を読む度に思い悩んでしまうのが私の悪い癖だと認識してはいるのではあるが今までこれで様々な知識やストーリーを脳にしまい込んできたのでもうこれは本能の一部と言っても過言ではないと思われても仕方ない。


 それはそうとしてこれは自身の娯楽物を頭に入れ込む方法であり、生活に対しての知恵や知識はまた別の脳メモリにインプットしている。


 生物として生きる為の術は当たり前として、自身が人間社会を生き抜く為の知識や技術に関しての笊はこれよりまた大きく、網目もぎっちり狭めている為、否が応でも忘れさせないような対策を脳内で施している。


 だが、この笊というものにも人によって…いや、もっと幅広く例えれば生物全体によって様々な形があるのだと私は思っていて、本能に忠実な生物の笊は、網目は相当広く大きい生態本能のみを受け取る様に形が特化しているのだと想像しているが、ここに人間の教育により多少網目の幅が変わり、人間の命令に従ったり、人間をその種族の仲間として受け入れたりする事が出来るようになるが、それも多少の差でしか無いので、結局は我々とは違うことには変わりないのだ。


 それを私は脳笊(のうざる)と呼んでいる。


 脳髄を水流に見立て、脳を情報の塊、そして其処に脳笊を入れ込むことで私の脳内で記憶処理が始まっていく。


 神経細胞の情報伝達の接続部をシナプスと呼ばれているらしいが私はその接続という例えが余り気に入っていない。


 その接続部に情報が入るのならなぜ全部の情報が伝達しないのか、したとしても何故記憶から漏れ出すのか…私にはこれが納得行かなかった。


 どれだけ研究されこの様な器官がこういう役目を与えているのだと公表されたとしてもそれはあくまで生物としての決められた構造としての形であり自身の思考、自身の五感、自身の感情は決められた形で説明することなんか出来ないし理解される事もないと私は感じている。


 だからこそ私は私の脳内の構造を作り上げる。


 知識…学識…知恵…教養…理解…感情…この情報を私なりにどういう形にして私の脳内に入り込み私の身体のメモリーに入っていくのか…そして何故全部入りこまないのか…悩んだ、相当悩んだ。


 偶々近くに置いてあった帽子を被った時にいま、私の頭は物体に包まれている…これだ!今私は、頭を包んで情報を遮っている!だから今は何の情報も入らない…そこに穴を開ければ良い…けど一箇所じゃ駄目だ。


 数カ所…いや、数十…数百…駄目だ、いきなり穴を増やしてもおそらく情報処理が正常に行われなくなる…ならどうすれば良い…。


 統一しよう。


 穴を数十か所開けて穴の幅を統一させよう。


 そして、何度も読んで読んで読んで情報の塊をなるべく減らないように…すくい上げても漏れる情報を減らしていくように徐々に徐々に…。


こんな普段考えもしない発想は、当たり前だが当初は何をしているんだと少し混乱していた頃もあったが段々と浸透していくにつれて私の脳内でリズム良く様々な知識や物語の内容が入り、気が付けば癖になっていた。


 流石にこの様な脳内処理方法を他人には言えるはずは無いのだがとある日に友人の一人に酒の勢いでつい愚痴を滑ってしまった事があった。


 その時の友人は『何じゃそりゃ、お前やっぱ変わってんなあ』の一言で流され、他の話題に移ったので私はなんとか安堵しつつも少し焦りも感じてしまっており、気が付けば酒を飲んでも酔いが起こらずに、べろべろに酔った友人を抱えて家に戻した後に、私自身も帰宅した。


 次の日、酔いが冷めた友人からお詫びも連絡が来て、こちらも気にしなかったので適当に返事をして話を終え、その後もなんてこと無い普段通りの日々が流れていった…そんなある日、その友人から連絡が来た。


 いつもの様に飲みの誘いかと思ったが声が妙に震えているので心配してどうしたと声を掛けたら


 『少し前から考え事をしようとすると何故か網目の物体が思考を邪魔してきて今まで覚えて来た事が段々と忘れやすくなってしまってノイローゼ気味になっている。病院にも行ったが心身どちらも異常無しで頭を抱えている。そしてこの頭を抱えているという思考さえも何か頭の中で網目の物体が邪魔をしてこの連絡内容も10日掛けて漸くまとめることが出来た。』


 と弱々しく私に悲痛な声で投げかけてきた。


 私はそれはもしかして前一緒に飲んだ時に私が話した脳笊の事じゃないか?と聞いたが、友人は


 『そんな飲みの場で話してた駄弁りの内容でこんなノイローゼに成る程俺も軟じゃない…と思いたいが笊と関連した話ってあの場でしかしてないからなあ…しかしそれだけでこんな風になるのは変だ…勿論お前のせいじゃないことは分かるしこんな事で精神的に疲弊してる俺がおかしいのも分かってはいるが当分会うのは控えてくれると助かる…』


 そう一方的に告げられ友人は電話を切った。


 私は意味がわからず携帯を持ったまま唖然としていたが脳笊が先程の電話内容の重要部分を掬い上げていき、残った情報を意識して読み取った瞬間、漸く沸々と怒りが湧き出て掛け直すも着信拒否されていてより、友人に怒りをぶつけたくなった。


 私は悩んだ。


 理不尽な理由で縁を切られたも同然の扱いを受けて、控えて欲しいと言われた直ぐに着信拒否もされて…報復方法をどうすればいいか悩んだ。


 悩んで悩んで悩んで悩んで…


 すると私の脳笊が苦悩する私の思考を手繰らせ、しなければならない事…私のこの怒りをぶつける方法を掬い上げた。


 数週間後…私は、友人宅の玄関にあるものを置いた。


 不器用ながら丹念に恨み辛み…そして私の頭の形に合わせ所々に血の付いた網目がバラバラの笊を玄関に置くことにしたのだ。


 意図は自身でも正直分からなかった。


 なぜこんな事をしたのか…ただ、怒りに任せたにしてはやり過ぎな行為に最悪友人の精神をより壊しかねない行為だと、そう自覚をしていても行為を止められなかった。


 そもそも意味のわからない理由で縁を切ったあいつが悪いのだ。


 理不尽過ぎる…もはや我儘と捉えかねない友人の対処に全力で答えただけで、私はなんにも悪くなく、その所々に付いてる憎悪が付着した笊は今の私の気持ち、感情…いや、私の脳の中にある情報を形化させたものであり、これを見ることにより私の理不尽な行為で傷ついたと示す為でもあった。


 そして笊を置いたその翌日…友人はその笊を頭に被せたまま首を括ったという。


 友人は私の脳笊を被ったことにより情報処理のバランスが崩れ、結果自ら命を絶ってしまったのだと私は思った。


 やはり、人の脳笊は人それぞれでしか無い。


 それを相手に与えれば勿論合う筈がない。


 私はそれが分かって漸くすっきりした。


 そして人に脳笊の話を一生他人に話さぬよう、私は自身の口を固くする様にまた脳笊に知識を掬い上げ、落ちた知識をまた掬い上げる…。


 


 


 




 


 

 


 

 

 


 

 


 


 



 


 


 


 


 


 


 

 


 


 


 


 


  


 

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