孤独の魔女は物語を紡ぐ~第三皇子と追放された令嬢~
嘉神かろ
第1話 魔女と呼ばれた少女
①
彼女が言葉を紡ぐと、空から光がさして、草木が芽吹いた。咲き乱れる花々に、幼い妹は目を輝かせる。
それはきっと、最も幸福な時間だった。
次の記憶は、真っ暗な森の中で独り、泣いているものだったのだから。
◆◇◆
「魔女は出てけ!」
「よくも父ちゃんを!」
「お前のせいで!」
アリアは街に入ってすぐ聞こえてきた声にその端正な顔を顰めた。足を止めることなくそちらを見ると、街の人々が十歳程度に見える少女を囲っているのが目に映る。彼らは少女を石の街壁に追い込み、恐ろしい形相で石や罵声を浴びせかけていた。
「また魔物だとよ。あのぼうずの親父がやられちまったらしい」
「あいつんとこの母親、身体強くねぇだろ。可愛そうによ」
「それもこれも、全部あの魔女が悪い! あいつが魔物を呼び寄せるから……」
通り沿いの店先で、店主らしき男と客の男が話していた。声を落とす気はないらしく、アリアの耳にもハッキリと届く。
アリアは務めて冷静な風を保ち、そばを通り過ぎようとした。
「おっ、姉ちゃん、綺麗な銀髪だね! 旅の人かい? 良かったら一つどうよ?」
そんな努力も空しく、忌々しげな表情をひっこめ笑みを作った店主が声をかけてくる。手には商品らしき果実を持っており、純粋に商売の為だということはアリアにも分かった。
それでも、内心を隠して笑顔を向ける事はできない。彼女はただ、深い空色の瞳に冷ややかな色を浮かべ、一瞥するに止めて通り過ぎて行った。
「おっかねぇなぁ。美人が台無しだ」
「はは、美人はおっかねぇもんだって言うだろ。それにありゃ、相当腕利きの魔術師だぞ。女の一人旅で、動き回るには向かねぇ長髪だったろ?」
「なるほどねぇ。あの若さで。名のある傭兵とか、そんなところか」
後ろで好き勝手を言う男たちを意識の外に追い出しつつ、アリアは宿を探す。空には分厚い雲がかかり、活気溢れるはずの都市に重苦しい影を落としていた。
――この街もダメ、か。補給だけして、明日には出発しよう。
少し前に見たばかりの光景を思い出し、アリアはこっそりと溜め息を吐く。少女を魔女と呼び、責め立てる人々。彼女の探す場所には、あってはならないものだ。
――本当にあるのかしら。魔女を迫害しない町なんて。
魔女の迫害されない町。それがアリアの求める場所で、十八になったばかりの彼女が何年も一人旅を続ける理由だった。
その身一つでいくつもの国や町を回ってきた彼女だったが、未だにそんな場所は見つからない。もしかしたら、と思えるような場所すらもなかった。
特に今いるベアテス帝国は酷い。何か悪いことがあれば、真っ先に魔女の存在が疑われる。そして、あの少女のように、少しでも疑わしい者へ不満の全てを打つけるのだ。これほどに偏見の強い国は、彼女の祖国に次いで二つ目だった。
――あの子が本当に魔女かすら分からないのに……。
今もなお背後に聞こえる罵詈雑言。アリアの胸の内が、トゲに埋め尽くされていく。
「――あっ、ごめんなさい」
「おっと。いや、俺の方こそ申し訳ない」
不意に感じた衝撃にアリアが顔を上げると、鮮やかな紫の瞳があった。その紫は、まつげの長い涼しげな目の中で、優しげな光を湛えている。
慌てて離れれば、サラサラとした美しい金髪の美青年がそこにいた。歳は、アリアより少し上だろうか。中性的な容姿だが、男らしさもある青年だ。よくよく周囲を見ると、彼に艶のある視線を向ける女性の姿が散見された。
どうやら彼は、今アリアが入ろうとしていた宿から出てきたようで、旅人の装いをしていた。腰には質の良さそうな剣があり、細身ではあるが、ぶつかった感触からしてそれなりに鍛えている様子だった。
――その辺の傭兵よりは強そうだけど……。
もし仮に彼に襲われても、自分なら大丈夫だろうと冷めた目を向ける。
その彼の視線が街の入り口の方に向いて、細められた。
「君は、あの騒ぎについて何か知ってるかい?」
妙に上品さを漂わせる言葉使いに、まともに返すか一瞬、迷う。普段のアリアなら雑にあしらうところだが、なんとなく、答える気が湧いた。
「……女の子を魔女と言って取り囲んでるみたいね。魔物を呼び寄せてるそうよ」
「それは、確かな話かな?」
「さぁ? ……でも、私には悪い子には見えなかった」
どうしてそんなことを付け加えたのかは、アリア自身にも分からなかった。
青年はありがとう、とだけ返すと、騒ぎの中心に向けて走って行く。今居る場所ではどんな話をしているのかは分からないが、街の人たちは彼の言うことに耳を傾けている様子だった。
それから青年が少女を連れ出すまでを、アリアは冷え切った目で見つめていた。
「あらあんた、お客さんかい?」
突然背後から聞こえた声に振り返ると、恰幅の良い三十代くらいの女性がいた。どうやらこの宿の人間らしい。
「はい。一泊だけ借りられますか? 一人です」
「ああ大歓迎さ! とびきり安全な部屋を用意したげるよ!」
宿の内に入り、案内を受ける。よく掃除が行き届いた小ぎれいな宿だ。その分少し高めの料金設定ではあったが、アリアとしては不満は無かった。
人好きのする笑みを浮かべた女性へ料金を渡し、鍵を受け取る。通りに面した角部屋のものらしい。
「あんたもこんな時に来ちまって、残念だね。普段はもっと明るい街なんだけどねぇ」
「いえ」
アリアからすれば、気の休まらない町の方が普通だ。
「まったく、魔女なんかさっさと殺しちまったらいいのにね。どっかの街みたいに、魔女のせいで滅んだりしたら溜まったもんじゃないよ」
心の暗くなるのを自覚した。
「今日辺り聖騎士様たちが来るらしいし、もうちょっとの辛抱だけどね。それじゃあ、ごゆっくり」
「……はい」
上手く笑えているか、アリアは自信が無かった。
通された部屋は二階の奥まった位置にあった。鍵のしっかりした扉があって逃げ道も多く、確かに安全そうな部屋だ。掃除は行き届いており、日当たりも良くて、広さも一人には十分すぎるほど。倒れ込んだベッドは大きくふかふかで、ほんのり良い香りもする。一介の旅人用の宿としては不相応なほどに快適な部屋だろう。しかし、それでもアリアの心が軽くなることはない。
「はぁ……」
先程案内してくれた宿の女性を思い出す。あんなに優しそうな人でも、魔女に対しては、冷酷だった。魔女なんかさっさと殺してしまえば良いと言ったときの、女性の歪んだ顔が脳裏を過る。
「これだから、人は信用できない」
誰に聞かせるつもりもないそれは、一人だけの部屋の中で静かに消える。仮に魔女の迫害されない町が見つかっても、アリアは郊外でひっそり、孤独に暮らすつもりだった。
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