第11話 舞台の上

「随分と晴れやかな顔してますね」

「仕事をやめた人間はスッキリした顔をするもんだ」

 牧村は滞り無く退職を済ませバリバリと術師としての仕事を遂行している。そうして二ヶ月ほど過ぎた。未だ狭山、御道以外の所員には出会えていない。こんなにも、挨拶すらできぬほど会えないものなのかと一度狭山に尋ねたことがある。

『ウチは特別変なんです』

 とのことだった。

「給料も良いしな。服を買うにも一々値段を気にすることもなくなった」

「ファストファッション着てコンビニの向こうのドラッグストアまで歩いて買い物してるのに」

「無駄遣いはしないだけだ」

「大盛り無料の店で並盛り注文してるとこも見たことありません」

「大盛り無料ということは大盛りが並盛りということだ」

「本当に金で幸せなってます?」

 事務所のエレベーターに乗り込み視線を逸らす。鏡に映った身長180㎝半ばの二人は黒い服を着ている。カップルのように見られる心配は無いだろう。

 細い首にはリボンが巻かれ、上質な生地は身体に沿って墨絵のように滑らかに曲線を描く。袖や裾口にはフリルが走り、ブーツまでもが輝いている。彼女は全身で耽美の主題を背負っている。

 方や牧村はTシャツにジーンズ。以上。

 色は同じでもクラブとスペードより不揃いだ。

 玄関ドアを抜けると熱い風が吹き抜ける。季節は秋だが、依然暑苦しく蒸している。当然、乗り込んだ黒い車は蒸し風呂のように暑苦しい。

 今日は狭山がハンドルを取る。

「しかし本部で上司と顔を合わせて報告か……。こういうのってもっと早くやるもんじゃないのか?」

「一々顔出して準備してウチに配属させてなんてテンポ悪いでしょ。実際に戦果出させた方が箔が着きます。初登場なんだから衝撃を演出しないと」

「現実と組織をなんだと思ってんだお前は」

「この世は舞台と言うでしょう?」

「その言葉を使うなら人は皆役者だ。脚本や演出は領分を超えている」

「そういうことなら私は人間をやめますよ。構造から手を加えてこそです」

 彼女の掲げる悪意を介した連続した占術による情報ネットワーク、『天網』。狭山は確かに使命に燃えている。この手の話題になると冗談の皮が剝げて野心の塊になる。舞台の主役の顔を出す。

「……あっ!」

「どうした?」

「人間をやめるぞって言えたのに!」

「は?」

「仕組みの頂点に立つも言えそうだったァ~ッ!」

「自分の言葉で喋れよ」

♦︎

 車窓の風景は無機質な街から代わり、舗装は途切れ土となり、森と人の世界の中間、真四角の巨大な建造物が建っていた。外壁には蔦が這い、鉄の梁が飛び出している。木々ばかりの周囲を監視カメラと札が威圧する。

 どこにあっても生きた巨大な箱。そんな印象だった。

 車が門の前で止まり、狭山はシートベルトを外した。

「さあ到着です。文字通りの伏魔殿。夕春会本部へようこそ」

 黒い扉が音も無く開く。

 奇怪な壁画に古めかしい魔除け、怪しげな仮面に怪物の首。隙間から除く白い壁は元の無機質な壁のなごりだろう。巨大なロビーは吹き抜け構造、祭壇とエレベーターが並び。スーツや和装、果ては怪物が入り混じる。協調していると言うよりはただ雑多な存在を一箱に詰めたような空間だった。

 雑踏を超えてガラス張りのエレベーターに乗りこむ。

「警察署だかバザーだか美術館だかわけのわからない場所だな」

「帰る場所の無いもの。行き場の無いもの。なんでも拾うのが組織の方針なんですが、この通りです。全く非効率」

 呆れたように、だが微笑みながら遠ざかるメインホールを見つめていた。

「ここを気に入ってるんだな」

「ええ、でももっと好きになりたいんです。マキさんも」

 ガラスのエレベーターが止まり、扉が開く。

 狭山に案内され師匠の私室へと案内される。

 デスクに脚を投げ出して、誰かが不作法に座っていた。

 「お前がマキか」

 瞬間、鮮明にそれは眼前に映る。女であった。なぜこうも詳細に見えているのか、理屈は単純で、その女はデスクと天井を跳ね飛んだのだ。

 引き締まってはいるが背丈は160cmほど、特別大柄ではない。だが目を離せない迫力がある。鋭く絞られた眼光と浮くような赤みがかった髪は描かれた龍のよう。通った鼻と艶のある口、長いまつ毛が豪奢に顔を彩っている。

 身体能力より、容姿より、異常な存在感に釘付けにされる。己が世界の頂点と確信している。傲慢さの化身だ。

「頑張ってるそうじゃあないか。素子から話は聞いているぞ……気合が入っていて有望な新入りだと」

 目を逸らせば食い殺される。この人は人間が作ったルールの外にいる。

「素子とはもう寝たのか?」

「は?」

「男が命を賭けには一番シンプルな理由だろう」

「俺と狭山はそういう関係ではありません」

 腹の底まで探るような視線で覗く。身体に溶け込んだはずの妖刀の形まで見えているようだ。「男女バディにすぐ恋愛関係を見いだないでください」とかなんとか言ってる狭山の声もどこか遠く聞こえる。

「ではなぜ戦う? 素子の計画に共感できるような過去もないだろう」

「特殊な立場から人々の生活を守るという仕事に魅力を感じ転職を決断しました」

「ただの言葉だな」

 冷たい視線の内には狭山も捉えている。

「その感情は本当にお前のものか?」

「……どういう意味です?」

「妖刀だ。刀を持てば振り回したくなるものだろう」

 牧村の胸に掌を当てる。

「お前の妖刀、引き抜いてやる。それでも同じ言葉が言えるか試させてもらう」

「待ってください! 大紫は既に心臓、脊椎にまで深く融合していて……」

「お前は手駒を失うのが不安なだけだろう。大丈夫だ私は失敗せん」

 牧村は狭山にそっと目配をした。許可を取るのではなく、宣言として。

 掌が肌に沈み、神経を鷲掴みにされたような激痛が走る。

 足の裏から頭蓋の内側まで、一本の針金を通されて引き絞られるようだった。

「があああああ!!」

「聞けるなら聞け。妖刀は今、私の手にある。この仕事を続けていけばこの程度の痛みは日常茶飯事だ。想像してみろ。それでも戦い続けるか?」

 汗や涙。全身が熱く塩辛い。心臓が悲鳴を上げて命そのものを揺さぶられているようだった。

「……俺は狭山に出会うまで死んだように生きてきた!! アイツが夢と正義を語るのに憧れた!! あいつみたいに生きたいと思っただけだ!!  それじゃ不満か!!」

 掌の妖刀が引き剥がれようとしているのを感じる。この男は主人として、道具として欲しているのだと。

「合格だ」

 女はあっさりと手を放し、狭山が駆け寄り肩を貸す。

「改めまして。私は夕春会第七支部所長、花咲剛流当主。花咲葉璃。これからは師匠と呼べ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

天網妖刀インフェルノ 藤屋・N・歩 @shinnarifuji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ