灰の剣と蒼き瞳

@ikkun44

第1話 蒼き夢と灰の剣

──蒼い光が、闇を裂く。

 空は燃えていた。地平まで覆う炎の赤、その中に浮かぶ一振りの剣。刃は灰の色をしているのに、まるで命を持つかのように淡く脈動していた。

 その剣を握る自分の手が、震えているのがわかる。だが、なぜ自分がここに立っているのかは思い出せない。


「……レオン」


 振り向く。そこにいたのは、蒼い瞳を持つ少女。

 長い銀髪が、炎と灰の中でふわりと舞った。彼女の顔はどこか悲しげで、それでも微笑んでいた。

 言葉を交わす前に、地面が崩れる。黒い裂け目が大地を飲み込み、熱風が全身を焼く。


 ──その瞬間、世界が灰に覆われた。


 レオンは息を呑んで目を開けた。

 天井は低く、煤けた梁が視界に入る。木造の簡素な屋根裏部屋。窓からは、朝の光が一本の帯となって差し込んでいた。

 夢だ、とすぐに理解する。何度も見た、あの奇妙な夢。蒼い瞳の少女も、灰色の剣も、現実には存在しない。


「……はあ」


 額の汗を拭い、体を起こす。薄い毛布を払いのけ、木の床に裸足で降りると、冷たさが足裏を刺した。

 外では、鶏の鳴き声と鍛冶場の槌音が響いている。ここは辺境の町フェルゼン。王都から遠く離れた、国境付近の小さな町だ。


 今日も訓練がある。

 レオン=アーデルハイト、十七歳。辺境守備隊所属の騎士見習い。剣も魔法も人並み以下だが、努力だけは怠ったことがない──つもりだった。


 着替えを済ませて外に出ると、冷たい朝の空気が頬を撫でた。石畳の道にはまだ露が光り、通りを馬車がゆっくり進んでいく。

 訓練場へ向かう道すがら、隣家のパン屋から香ばしい匂いが漂ってきた。腹が鳴る。


「お、レオン! また寝坊か?」


 声の主は、同じ見習い仲間のカイル。短く刈った栗色の髪と、日に焼けた笑顔が特徴の快活な青年だ。


「うるさいな。今日は……夢で目が覚めなかっただけだ」

「またあの夢か?」

「……ああ」


 カイルは首をかしげたが、それ以上は追及しなかった。

 二人は肩を並べて訓練場へと歩く。


 訓練場は町の外れ、石壁に囲まれた広場だ。

 朝の冷気の中、既に何人もの見習い騎士たちが木剣を手に構えていた。打ち合う音、掛け声、そして土を蹴る音が響く。


「おはようございます!」

「おはよう……って、また遅いぞ、アーデルハイト!」


 怒鳴ったのは教官のドルフだ。元は辺境守備隊の隊長で、五十を越えた今も大柄な体躯は衰えを知らない。顔中の傷跡と太い腕が、その戦歴を物語っている。


「すみません、教官!」

「言い訳は聞かん! さっさと構えろ!」


 木剣を受け取ると、冷たい感触が手のひらに伝わる。

 対面するのはカイル。彼はすでに軽く肩を回し、余裕の笑みを浮かべていた。


「手加減はしないぞ」

「そっちこそ」


 掛け声とともに踏み込み、木剣を打ち合わせる。

 金属音ではなく、乾いた木の衝突音。それでも十分に腕に響く。カイルの一撃は重く、受けるたびに足が後ろへずらされる。

 防ぐだけでは押し切られる。反撃に転じようとした瞬間、カイルの木剣が横から打ち込まれた。視界が揺れ、体が土の上に倒れ込む。


「おいおい、大丈夫か?」

「……くっ、一本だ」


 カイルが手を差し伸べ、レオンはそれを掴んで立ち上がる。

 悔しさはあるが、これが実力差だ。剣も魔法も、まだまだ遠く及ばない。


 訓練は午前中いっぱい続いた。基礎の型、対人稽古、持久走──。息が荒くなり、体中の筋肉が悲鳴を上げる。

 昼には全員が町へ戻り、それぞれ食事に向かう。


 レオンはカイルと一緒に町の広場にある食堂へ入った。木の長椅子に腰を下ろし、焼きたての黒パンとスープを口に運ぶ。野菜の甘みと塩気が、疲れた体に染み渡った。


「そういえばさ」


 カイルが声をひそめる。


「昨日、北の森で変な噂を聞いた」

「噂?」

「ああ。森の奥で灰色の霧が出たらしい。獣も鳥も近づかないって」


 スープの匙が止まる。灰色の霧──その響きが、夢で見た光景と重なった。


「ただの天候異常だろ」

「かもな。でも、爺さんたちは“古い時代の災い”が近づいてるって言ってる」


 笑い話のように聞こえるが、辺境では迷信や古い言い伝えが生きている。

 それに、レオンの胸の奥で何かがざわめいていた。


 食事を終えて外に出ると、北の空がどこか霞んで見えた。

 その灰色は、遠くの森の方角へと漂っているように思えた。


 午後の訓練が終わると、空は薄曇りになっていた。

 北の方角──森の彼方には、確かに淡い灰色の靄が漂っているように見える。

 それは普通の霧と違い、風に流されることなく、ゆっくりと蠢いていた。


「……やっぱり気になるな」

 レオンは呟いた。


 宿舎に戻る途中、町の門の前に人だかりができていた。

 守備隊の兵士が、何やら旅人らしき男から事情を聞いている。旅人の服は泥にまみれ、息も荒い。


 「北の……森が……」


 男は途切れ途切れに言葉を紡ぐ。


 「霧が……、人の形を……して……」


 兵士たちが顔を見合わせる。

 ただの霧ではない──そう悟るには十分だった。


 夜、訓練生の宿舎。

 灯火の下で、カイルが囁く。


「明日、北の森に行ってみないか」

「勝手に動いたら教官に叱られる」

「でも、もし何かが本当に起きてるなら……見ておくべきだろ」


 レオンは逡巡した。

 灰色の霧、その中心に何があるのか。

 夢に現れた“灰”と“蒼い瞳”が、現実に繋がっているのか──。

 結局、答えは決まっていた。


「……わかった。明日の夜明けに出る」


 その晩、レオンはまたあの夢を見た。

 炎の中、灰の剣を握る自分。そして、蒼い瞳の少女が何かを言おうとして──声は届かず、世界が崩れ落ちた。


 翌朝、薄暗い町の門を抜け、レオンとカイルは北の森へ向かった。

 まだ日が昇りきらぬ空に、あの灰色の霧が、音もなく漂っていた。


 その霧は、まるで彼らが来るのを待っていたかのように、ゆっくりと道を塞いでいった──。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る