コントラクト・ヒーロー
飛騨隼人
第1話 クラブとサーモンのダブルキングサンド
〜1〜
5月28日
筆記者:オリヴァー・ギャレット
午前10時。
飛行機を乗り継ぎ人工島「シーミレニアム」へ到着。現地の気温は摂氏5度、夕方に会食の予定がある為軽く済ませることにする。近くの店でサンドイッチを持ち帰る事にした。
「これ買っていきな。クラブとサーモンのダブルキングサンドだ」
店主に勧められたまま購入した包紙には、ボイルしたタラバガニの脚肉とスライスされたキングサーモンがレタスと共にバタールに詰め込まれている。この店の一番人気らしい。
齧りながら港を観光する。口に運ぶとサーモンの脂がマスタードマヨに絡み、濃厚な風味を広げる中でプリプリとした食感と淡白ながら強いタラバガニの旨味が引き立っている。
うまい。量はそこまで多くは無い筈だが値段以上の食べ応えだった。
軽食を終えた後、昼過ぎまで地元民に聞いて回る事にした。
「何故この島に住もうと思ったのですか?」
「幾つかあるな。まずはこの港、世界的に有数の規模なだけあって他国からの物資も調達しやすい。関税も安くて、店を構えると島局から助成金も出る......俺達商売人には有り難い限りだよ」
ガラス工芸店の主人は答えた。
「しかしこの島は散発的に襲撃を受けていますよね?」
「ああ、こないだは向かいのカーンの家の屋根が吹き飛んだ。ウチもモノを壊されたりしたしな。だが補償が直ぐに降りるんだよ、これも市長の采配だな」
時計を調整しながら職人は答えた。
「お子さんがおられるようですが...治安の面で不安ではないんですか?」
「"ホワイトナイト"のせいで前に住んでいた場所を追いやられて来ました。ここも治安は悪いかもしれません......でも安心できるんです。彼らがいるので」
「ほーらホネだぞ、とってこいシリウス!」
犬と戯れる子供を見ながら、母親は答えた。
〜2〜
その後も何人かの住民に同様の質問をして同じような回答を得て周り、時刻は午後3時となった。
気がつけば先程サンドイッチを買った店の辺りまで戻って来ており、ライパンをスライスしている店主に呼び止められた。
「俺もこの店をやるまではいろんな国を回って魚を食い歩いた。だがここで水揚げされたやつが一番だ。ダブルキングサンド、美味かっただろ?決め手のマスタードはカミさんが毎朝こさえてんだ」
「はい。当分他の場所で海鮮は口に出来なそうです」
「世辞が美味ぇなあ!余り物だが持ってけ、ライパンのムニエルクラウトサンドだ」
味の感想は一片の誇張もなく本意であるが、それはそれとしてパンは頂く事にする。白身のムニエルは塩で味付けされたシンプルなものだが、ザワークラウトとライ麦パンの強い酸味が食欲を増進させる。思わずその場で食べ切ってしまったが夕方には会食だ。果たして喉を通るだろうか?
「また食いに来いよ!」
パン屋の店主はおそらくそう言ったのだろう、おそらくと言ったのは途中から鳴り始めた警報が店主の言葉を掻き消し島中に響き渡ったからだ。
『緊急、緊急。湾岸部より外患警報』
『ヴィラン勢力の海域侵犯を確認しました。直ちに湾岸部より離れ、出来るだけ安全な場所へ避難してください。なお、湾岸部は放送終了3分後に隔壁により封鎖されます。繰り返します━━━』
来た。
「兄ちゃん、中央に逃げるぞ!案内してやるから来い!」
パン屋の店主が中身の詰まった手提げ鞄を持って店から飛び出してきた。後ろについている女性はご夫人だろうか。
自分は背負っていたリュックを地面に置き機材の状態を確認する。レコーダーの充電、問題無し。
「聞いてんのか!ここはもうすぐ封鎖される!奴らが押し寄せてくるんだいくらあんたがジャーナリストだからって」
まさか初日から遭遇するとは僥倖だ。
リュックからビデオカメラを取り出し、手早くヘルメットに取り付け被る。
この機を逃すわけにはいかない。
『湾岸部隔壁封鎖まであと2分です』
「クソッ!......俺達は逃げる!ここに残るならせめて店の中にでも隠れてろ!道に立ってるよりはマシだ!」
パン屋の店主夫婦が駆けていくのを他所目に撮影の準備を進める。死ぬなよ、と後ろから念押しに言われた気がした。
港の方を見やると、逃げようと走る人々も警報の鳴った当初より随分と減ったように思える。
まばらとなった人の波に逆らい足を進めていると青年に呼び止められた。
「おにーさん、はやくここから離れた方がいいよ。戦場になるから」
紫の着物と隙間から見える黒のインナーの他には何も身につけておらず、電灯にもたれ掛かりながら煙管を吸っている様は異様の一言に尽きる。
5月の寒冷地に似つかわしくない格好が目に止まるが、今はそれどころではない。
「ご忠告ありがとう。でもスクープを逃してたらジャーナリストじゃないから」
「そう。忠告はしたからね、気をつけて」
青年はふう、と煙を吐いてそれ以上何も言わなくなった。改めて死地に向かう。
〜3〜
港に到着した。磯の香りを上塗りするように焦げた匂いが漂っている。
植え込みに身を屈めつつ様子を窺う。
漁港ではひっくり返された棚、黒焦げになった海産物が散乱している。
停泊していた幾つかの漁船は破壊されており、
港には二隻の複合艇が着岸している。
そこから乗り上げてきたと思われる黒の覆面を被った男達十数名が、さながら禁酒法時代のギャングスタのようなスーツとハットを身につけ火炎放射器で家々に火を放っている。
それらの後ろで悠々と品を漁る異形の存在が二体。初めて見るがあれが怪人というやつだろう。
背中に棘を持った怪人、恐らくベースはハリネズミと思われる。
大方自前の棘で穴を開けたのだろう。ワインの樽に顔を突っ込んでガブガブと飲んでいる
もう一体は大猿、大きく発達した腕部からしてゴリラの怪人だろうか。
横倒しになった木箱から転がり出たリンゴ3個を片手で一度に握り潰し、果汁に塗れた自らの腕を舐めている。
「火を絶やすなグノーシス共!生命と家屋の区別無く、徹底的に蹂躙せよと総統閣下からの御命令だ!」
怪人は確かに総統と言った。生活地域を脅かすヴィランは数あれど首魁をそう呼ぶ組織は一つしかない。
秘密結社『メガセリオン』、人類の天敵を標榜する最も危険な怪人集団。
突然海上から現れては殺戮と破壊の限りを尽くす。この島での襲撃報告が特に多い組織だ。
グノーシスと呼ばれた戦闘員の一人が隠れている私の横を通り過ぎた。先程まで燃やしていた家屋を調べてみることにする。
街頭消火器を拝借し、割れた窓ガラスに叩き付けてこじ開け侵入する。
この窓から火炎放射器を差し込んで噴射されたのだろう、飛び込んだ先の居間は酷く燃え広がっていた。
2階へ続く階段と、その途中に覆い被さって燃えている塊が目に止まる。ナイロンの焦げた匂いと燃え残った亜麻色の布切れ、金メッキのネックレスが付いているのを見てその正体を瞬時に察した。ということは、もしかしたら上にまだ......?
階段を駆け上がり、ドアを開ける。
いた。昼過ぎに取材した時の子供が、二階の窓から子犬を逃がしている。
煙が入ってこないようドアを閉める。
子供はこちらを見て、声を上げようとした
「ぼうや、大丈夫だ。おじさんは悪い奴じゃない、助けに来たんだ」
「ほんと...?」
「ああ、本当だ。下は危ない、この窓から逃げるしかない」
言い終わると同時に立ち眩み、膝をつく。下で煙を吸いすぎたか。
ドアの真後ろに立っていた私は、消火器を抱えたまま這うように部屋の隅に体を預けた。
「おじちゃん、だいじょうぶ...?」
「気にするな、それより早くぼうやだけでも逃げるんだ」
「うん!...あっ!」
私と少年が二階の窓に目をやった時には既に、逃した子犬に向けてグノーシスの一人が火炎放射器の矛先を向けていた。
「にげろシリウス!」
咄嗟の少年の叫びはグノーシスの注意を逸らすのに働いた。子犬は脇をすり抜け裏通りに消えていった。だが、まずい。
今ので完全にこちらと目が合った。
グノーシスが向かってくる。
駄目だ、まだ体に力が入らない。
階段を上ってくる音が聞こえる。
なんとか足腰を振るい立たせ、立ち上がったところで
私と少年以外の手によってドアが開けられた。
少年はグノーシスから目を逸らさないが、恐怖で動けない。そしてグノーシスは、開いたドアに隠れる背後の私に気づいていない。
千載一遇のシャッターチャンスが訪れた。
先程まで頭にあった人命救助の文字は消え失せ、自分が機械的になっていくのを感じる。
さながら蹲る少女を狙うハゲワシを見つけた写真家のように、私は息を潜めた。
この子供はヴィランのせいで住む場所を追いやられ、
母親に連れられこの街に来て、
その母親も数分前に消し炭にされた。
そして残った命すらも奪われようとしている。
直接手にかけようとする悪党と、見殺しにしようとする私のせいで。
これが今の時代だ、何も珍しい事ではない。
今やヴィランは世界中に蔓延っている。
既にそのせいで幾つかの小国が滅んでいるのが現状だ。
私はジャーナリストであり、母国を愛している。この映像を国に持ち帰り、楽天的な世論に現実を突きつけなければならない。
その為に、この島に来たのだから。
取材を受けた親子が数時間後には襲撃によって無惨な焼死体と化す。このカメラに残る映像は衝撃を与え、世界平和へ大きく貢献するだろう。
では、この子供が理不尽に焼き尽くされる謂れはあるのか?
あってたまるか。
私の、記者としての未熟さが身体を動かした。
電流と焦燥が脳から背を伝って爪先に届き、消火器を抱えて縮こまっていた私を前へ弾き飛ばして行く。
開けたドアの真後ろに隠れた状態となっていた私は、完璧に近い形で背後からの奇襲に成功した。覆面が気づいて顔を向けるがもう遅い。
私が情けなく振りかぶった消火器は、覆面の側頭部を捉え、鈍い音を立ててひしゃげた。
「あああああああああ!!!!!!」
倒れ込んだ覆面に跨り、半狂乱になりながら消火器を頭へと振り下ろし続ける。
ぴくりとも動かなくなったのに気づき、そこで初めて自分が撮っていたものがレポートからスナッフフィルムに変わっていた事に気づいた。
〜4〜
二階の窓から飛び降り安全を確保した後、続いて飛び降りてくる少年をキャッチし二人で隔壁の方へと向かう。
隔壁の周辺には逃げ遅れた人を収容する避難所があることを少年から聞いたからだ。
「ママ!ママ!」
燃え広がる家に向かって母親を呼ぶ少年の手を硬く握り、無理やり引っ張っていく。
しばらく離れると、少年は何も言わなくなっていた。
一度助けてしまったのだ、義務としてこの少年は安全な所まで送り届けなければならない。
そういえばあの子犬は無事に逃げ切れたのだろうか。
頭によぎった雑念を排し周囲の警戒に努める。
私はヒーローではない。助ける事ができるのはせいぜい今手を繋いでいる少年ぐらいだろう。
隔壁が近い、あとは大通りにさえ出てしまえば避難所が見える筈だ。
視界が開けた。
隔壁へ続く階段には簡易的なバリケードとテントが、
その手前にはグノーシス達がこちらに火炎放射器を向けていた。加えて踊り場には二体の怪人がこちらを見下ろしている。
「遅かったじゃねえか、もう少しでコイツを壊しちまうとこだったぜ」
「シリウス!」
ゴリラ怪人の手の中で子犬がもがいている。
左肩に衝撃と少し遅れて痛みがやってきた。
深々と突き刺さった何かを引き抜くと、細長いダーツのようなものだった。
「記者風情が、メガセリオンをコケにして易々と逃げ切れるとでも思ったか」
ハリネズミ怪人がせせら笑っている。
肩に刺さったのはこいつの針か。一本あたりの殺傷力は低いらしい。記念に取っておこう
「おっと動くんじゃねえ、コイツが手の中にある事を忘れたか?」
「ギャッ!」
ゴリラ怪人が掌に力を込め、囚われた子犬が悲痛な叫びを上げる。
「やめろ!」
「やめてやるかどうかはお前達次第だ」
右足の甲に先ほどと同じ衝撃と痛み、ハリネズミのダーツだ。
「まだ針は抜くなよ?こいつのゲームに付き合ってやればこいつは生き残れるかもしれないんだからなあ!」
「301(スリーオーワン)、まずは19のダブルからスタート。犬を助けたいなら精々的の役目を果たしてみせろ」
この足では逃げられない、それ以前に少年と子犬の命が危ない。
今の私に出来ることは耐えて時間を稼ぐ事だけだ。
再び左肩にダーツが突き刺さる。出血と痛みで脂汗も出始めた。
「18のトリプル」
右大腿、左大腿を撃ち抜かれる。これを引き抜いたら出血は大変なことになるだろう。
「19」
「17」
臍。内臓の痛みは他の比ではない。のたうち回りたい衝動を堪えて踏ん張る。
「ダブルブル。残り123点」
「ほぉ、今回の的はよく耐えるじゃねえか。ひょっとすると、アレみたいに燃やさずに済むかもしれねえなあ?」
ゴリラ怪人が目線をやった先には人型の黒い塊。私の前にも被害者がいたということか。
冗談じゃない。そう考えていると左腕にダーツが突き刺さった。
「4点」
左頬。
「1点」
右腹。
「8点」
先程から明らかに点数の低い箇所を狙ってきている。こちらを甚振るつもりだ。
「やめろ!おじちゃんをいじめるな!」
再び臍にダーツが突き刺さる。
「おじちゃん!」
「煩いガキだ、手元が狂ってしまった」
再び内臓が痛みで燃える。
出血のせいだろうか、手足に力が入らなくなってきた。
「残り60点。次の一投で終わりにしてやる」
もう余裕がない。このままでは少年諸共焼き殺される。
「喉をこちらに向けろ」
この子は死なせない、意地でも立ち続けてやる。
喉を晒す為に上を向くと青空が広がる。
綺麗だ。地上はこんなに理不尽な暴力に満ちているというのに。
「そうだ、そのまま的として完成しろ」
現実は無情だ。
怪人はいても神などいないのだから。
喉を突き抜ける痛みを待つ片手間に脳が今までの人生を振り返り始める。
自分が死ぬ事に後悔はない。
だが、少年を守りきれなかったのが心残りだ。
青空から目を背けるように、私は瞼を閉じた。
〜5〜
目を瞑ったまま数秒が経ち、私は違和感に気付いた。
いつまで立ってもダーツが放たれない。
恐る恐る目を開けると、空が暗闇に覆われている。
正面を向く。
グノーシス達が首から血を流して倒れている。
その中心に立つ人影が一つ。
先程の煙管を吸った着物の青年が、血に濡れた匕首を携えていた。
どうやら、私たちはすんでのところで命拾いしたらしい。
近くで滞空しているのだろうか、ヘリのプロペラ音が聞こえる。
『おおっと!ここでロア・エクリプセがメガセリオンの怪人と
屋外スピーカーから喧しい実況の声が鳴り響く。"番組"は既に始まっているようだ。
「来たか、裏切り者」
「総統閣下直々に改造を施された身で逃げ出した不届き者めが!」
「何それ、自分達がアレイスターに改造されなかったから僻んでんの?」
「不良品が減らず口を...!」
「お前達程度なら僕一人で充分そうだね、来なよ粗悪品」
「シャッッ!!」
「ウォォォォ!!」
ハリネズミ怪人がダーツ針を何本も射出するが、ロアと呼ばれた青年は煙管と匕首で難なく叩き落とす。
その間にゴリラ怪人が腕を振ってロアに突撃する。奴が掴んでいた子犬が投げ捨てられ、放物線を描いて落下していく。
階段の踊り場はここから高さ10メートルはある。あの高さで頭から落ちたら無事では済まない。
「ああっ、シリウス!」
少年が駆け出すが、到底間に合わない距離だ。
足にダーツが突き刺さったままの私は、駆けることすら出来ない。
「《
何かが噴炎を走らせながら私と少年の横を通り過ぎた。それはロアに殴りかかろうとするゴリラ怪人をついでとばかりに撥ね飛ばし、地面に激突する寸前の子犬を掴んで停止した。
「犬か、爆弾とかじゃなくて良かった」
子犬を地面に置きながら、男は漠然と呟いた。
こちらに向かって駆ける子犬の後ろをゆっくり歩いてくる。
ロアに劣らず異様な出で立ちだった。
まず、履いているのが二本歯の下駄。歩くたびに金属音がするのでおそらく鉄下駄だろう。
袖を通しているのは白色で丈の長い詰襟、長ランというのだろうか。裾が所々黒く焦げたそれを前開きにしており、サラシを巻いただけの上半身を覆っている。ボトムスのダメージジーンズには幾つか、ロゴマークと思われるワッペンがついている。
そして何より、肌が赤い。
赤みがかかっているという次元ではない。
伝承のテングオーガのように人外じみて赤いのだ。
『来たぞ!アッシュ・アモルファスだ!亡き友ジェネレイトの技で子犬を救い堂々参上!果たして怪人花火の三尺玉を打ち上げることが出来るか!たなびく白い長ランから今日も目が離せない!』
駆け寄ってきた子犬を抱え上げ、少年が叫ぶ。
「アッシュ!」
「どうしたチビ助、サインは後で書いてやるぞ」
「お願い!ママのかたきをやっつけて!」
「...任せろ、ボコボコにしてやる」
言うや否やアッシュはクラウチングスタートの姿勢を取り、地面を抉って飛び出した。
腕を大きく振り大股で走るフォームは完璧なストライド走法、鉄下駄の音を響かせながらロアと二体の怪人の元へ向かっていく。
そのまま飛び上がり、ロアに突進を躱され隙だらけのゴリラ怪人へ右脚を振り下ろした。
「《アンヴィルハンマー》!」
鉄下駄を履いたアッシュの踵落としはゴリラの左肩を捉え、打撃と同時に小規模な爆発を引き起こした。
「グアアアアア!!!」
「!?もう一つの不良品も来たか!」
「少しズレたか」
「ちょっと先輩、奇襲するなら確実に潰してくださいよー」
「潰したぞ、片腕」
「頭を狙えって言ってんですよ」
「ばっかおめえ、んなことしたら側から見てつまんねえだろ塩試合の申し子か」
「それがさっきまで一人で二体相手してた後輩に掛ける言葉なんですかアンタ」
「毛ほども汗かかずに捌ききってるから言ってんだよ余裕だろあんなん」
「クソ程余裕ですけど?」
「貴様らァァァ!」
蚊帳の外にされていたハリネズミ怪人の激昂がアッシュとロアの会話を途切れさせる。
「この程度で勝った気になってんじゃねぇ!」
左肩を爆発によって抉られたゴリラ怪人は二足歩行に切り替えたようだ。左腕は力無くぶら下がっているものの後脚で立ち上がりまだ戦闘は可能に見える。
「そういえばそっちもいたか、どうする」
「先輩あのゴリラ一度手付けたんだから最後までやってくださいよ」
「はいはい......下駄脱ぐわ。今のうち息整えとけ」
「了解」
言うや否や、ロアが煙管を口に咥え紫煙を燻らせる。
ふっ、と吐き出したのは黒い煙、私が目を開けた時に見た暗闇の正体だろう。そのまま二人と怪人の周囲を覆い隠していく。
視界が遮られ、私が頼れる情報は聴覚だけとなった。
先ほどのアッシュの踵落としの際に生じた爆発音のようなものが連続して聞こえる。
時折、煙がその爆発で揺らいでいる。
それから時間にして十秒足らずだったろうか、
煙が晴れた時には既に片方の決着がついていた。
膝をついたハリネズミ怪人の首に匕首が深々と突き刺さっている。ロアはそれを至極つまらなそうに捻り、引き抜いた。
「がっ、ぎ」
「じゃあね」
ハリネズミ怪人は地面に突っ伏し、起き上がることは無かった。抉られた首から吹き出る血が路面ブロックの溝を迷路のようになぞり、染め上げている。
『ロアの《牡丹崩し》が決まったぁー!!!鮮やかな手付きでハリネズミ怪人を始末したロア・エクリプセに撃破スコアが追加されます!』
盛り上がる実況をよそにロアがこちらへ歩いてくる。
「良いスクープは撮れた?ジャーナリストのおにーさん」
「まるで駄目だ。子供一人連れ出してこのザマだよ」
「おじちゃんがここまでたすけてくれたの!」
「へぇ。さっきはそんな風には見えなかったけど、かっこいいことするじゃん」
「そりゃどうも。できれば治療して欲しいんだけど」
「救護チームもそのうち来るからもうちょっと耐えてて。それまで特等席で鑑賞してなよ」
言いながらロアが視線をハリネズミ怪人の遺骸の先へ向ける。
「アッシュ・アモルファスの怪人花火をさ」
一方的な展開だった。
ナックルウォークを潰され機動力を失ったゴリラ怪人の周りを、アッシュが翻弄している。
地面を蹴るたびに爆発が起き、その爆発の威力を足に受けたアッシュが文字通り飛び回っているのだ。
ゴリラ怪人も右腕を振り回して牽制しているが、反応が追いついておらず既に懐に潜り込まれていた。
アッシュの右足が怪人の顎を蹴り上げる。
「《サルートランチ》!」
サマーソルトキックに爆発の威力が加わり、下顎を粉砕されながらゴリラ怪人が宙を舞う。これが怪人花火というやつだろうか。
いや、まだだ。
「さあ、シャッターチャンスだよ。」
サマーソルトから着地したアッシュがサラシを解き右腕に巻き付け、今度は左足を地面に強く打ち込む。爆発によって自身も打ち上がり、空中のゴリラ怪人に向けてサラシを巻いた右の拳を振り下ろした。
「《フィートブラスト》!」
これまでの比ではない爆発と轟音が響く。黒焦げになったゴリラ怪人が放物線を描いて墜落していく。
『たーまやー!!!アッシュ・アモルファス、ゴリラ怪人を空高く打ち上げ《フィートブラスト》でフィニッシュ!今宵もシー・ミレニアムに怪人花火の三尺玉が打ち上がりました!!!』
目の前で怪人が爆発するのを初めて見た。
圧巻だった。
アッシュがこちらに歩いてくる。
右手に巻いていたサラシは消えてなくなっていた。
「お疲れ先輩、あのゴリラ7区の方に落ちていかなかった?」
「"職人街"の方だろ。多分まだギリギリ生きてるぞアイツ」
「てことはまた耐久型?最近多くない?」
「ロクな手持ちが無くなっても俺たちへの嫌がらせはしてえんだろうよ」
聞き捨てならない言葉が出た気がする。
すかさず会話に割り込む。
「まだ怪人が生きてるって言ったか?」
「そうだ」
「トドメを刺さないのか?」
「無理だな、もう"番組"は終了している」
「だからって野放しにしておくのかよ!」
「おにーさん、僕たちの出てる番組名言ってみて」
「"コントラクト・ヒーロー"......だよな」
「そう。俺たちがヒーローとして戦えるのは番組の間だけ、そういう契約になっている」
「でも、生きている怪人がまた暴れたりしたら......」
「その可能性は無いな、少なくとも再起不能な程度にはダメージを負わせた。それにだ」
「この島の住人は只蹂躙されるだけの弱者じゃないってことだよ、おにーさん」
「そりゃ一体どういう意味で」
「実際に見に行った方が早いと思うけど、今回は諦めた方が良さそうだね」
ロアが後方を指差す。せり上がっていた隔壁が解除され、数名の救助隊員が駆け付けてくる。
「まあ、まずは傷を治してきなよ。暇なら取材くらいは受けてあげるからさ」
緊張の糸が途切れたのか担架に乗せられて意識が朦朧とした私へ投げかけられたそれが、憶えている最後の言葉だった。
〜Ⅵ〜
放送終了後、シーミレニアム7区"職人街"裏路地にて
「いたぞぉー!」
「まだ息がある!気を付けろよ!」
「流石に顔は駄目だ。これだけ崩れてちゃデスマスクに出来ないや」
「片手と足の爪は無事だね。こりゃ儲けだヒヒッ」
「背中側はまだ使えるな...来週の目玉は毛皮のポンチョで決まりだ」
「さっさと締めてしまおう、素材が痛む」
「ぼくもやる!」
「おっ!さっきの放送で映ってた子だ!有名人だぞ坊や!」
「あの子確か先月越してきたばかりの...」
「今回は5区が酷くやられたんだってな、かわいそうに」
「坊主、怪人をやっつけたいのか?」
「うん!ママのかたき!」
「そうかそうか...豚屋、手伝ってやれ」
「はいはい...ボク、ハリネズミの針を持っているんだね。じゃあここに当てたまま一緒に支えてくれるかな?いくよ、せーのっ━━━!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます