月下に契る

語り部ミミズク

第1話:月下に吠える

夜の帳が下りた、朧月の空。町の外れにある廃寺に、獣の咆哮が木霊した。




 風が止み、虫の声が消える。空気は張り詰め、神気も霊も身を潜める。




 そこに立つのは、一人の男。




 黒と藍の狩衣に身を包み、冷たい黒の眼をした陰陽師――久遠凛夜くおんりんや




 その目は、月光よりも冷たく、憎しみの底で凍りついていた。




 彼の足元には、割れた護符と、焼け焦げた土。その傍らには血に濡れた木彫りの人形が転がっている。ついさっきまで人だったもののなれの果て。




 「……これで、七体目か」




 唇がわずかに動いたが、声にはならない。凛夜の目が見据える先、瓦礫の中から、ゆらりとそれは現れた。




 白銀の髪が夜風に舞う。




 艶やかな黒い着物をまとい、異様に整った美貌の女――その瞳は、紅蓮の焰を思わせる妖しい光を湛えていた。




 「まさか、まだ来るとはの。人の子も懲りぬな」




 女は嗤う。だがその笑みは冷たく、底の見えない闇のようだった。




 妖魔・カガリ。




 千年以上前、人の身から妖魔に堕ち、数多の命を喰らってきた存在。かつての名も、記憶も、今や誰も知らぬ。




 「……妖魔カガリ…その顔も少々見飽きた」




 凛夜は静かに語りかける。




 カガリは首を傾げる。美しい仕草に見えたが、その瞳に宿るのは人の感情ではなかった。




 「それは儂も同じ。少々飽いてきたわ」




 次の瞬間、空気が震えた。凛夜の指が符を弾く。風が裂け、結界が張られる。神具・降魔扇が手に現れる。




 「妖魔カガリ。おまえが斃した村人の魂、数十を超える。これ以上の穢れを許すわけにはいかない」




 「ならば祓ってみるがよい。儂は、おまえらの“正義”とやらに、飽き飽きしておるでのう」




 咆哮があがった。空気が引き裂かれ、結界が悲鳴をあげる。カガリの手がひと振りされるたびに、妖気の刃が放たれ、廃寺の柱が崩れ落ちた。




 凛夜は跳ぶ。足元の陰陽陣が瞬時に展開され、鎮魂の矢が虚空を裂いた。




 矢は風と共に唸りを上げ、カガリの肩を裂く。




 だが、血を流しながらも彼女は笑っていた。




 「……ようやく少しは愉しめそうじゃ」




 その声は妖魔のもの。だが、凛夜はその一瞬、彼女の瞳の奥に――一抹の哀しみを見た気がした。




 気のせいだ。




 凛夜はそう思い直し、呪符を構え直した。だがその胸の奥、決して消えぬはずの“怒り”に、かすかな揺らぎが生じていた。

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