49輪.お前はそういう奴だったな



「イブキ、イブキ!」


「おい、目を覚ませ」

 

 ポピイから手放されたイブキは、教室へ真っ逆さまに落ちてきた。

 アムとマルスが体を揺さぶって懸命に声をかけるも、意識を失っており反応がない。

 辛うじて息はしているが、か細く、狭い気道をなんとか通り抜けているといった様子だ。

 

「クソッ、完全に毒にやられてるな」


「ど、どうしよう!」


 マルスが舌打ちして教室の床を拳で叩く。

 流石のアムも狼狽えて、どう手立てを立てれば良いか分からないようだった。

 せっかく出会えたイブキをここで失ってしまうのは、もちろん悲しい。

 それに、アムの抱える目標を遂げる為は何としてでも生き延びてもらわなくては困るのだ。

 

「そんな!せっかく僕達を助けてくれたのに」


「ひどいよ。……時間が戻ればいいのに」


 ヘーゼルとグレティも遠巻きから嘆いている。

 ヤマトは未だ気絶している。

 ポピイに立ち向かってくれたイブキの変わり果てた姿を見て、近づくことすら畏れ多いと思っているようだ。


 花御子の回復力は凄まじい。

 しかし、その力の源は花御子の象徴である花羽にある。

 花羽のないイブキが毒、しかもイデア由来のものをくらって無事では済まされる訳が無い。

 このまま朽ちていくのを、ただ見守るしか出来ないのだろうか――。

 

 しかし、グレティが呟いた“時間”という単語に、マルスの頭にはとある人物の顔が浮かんでいた。


「……エルファ」


「へ?」

 

「あの灯台の魔女だ。覚えてないのか?今からそいつの所に行くんだ」


 マルスは善は急げと、イブキを背負い始める。

 アムはマルスの考えが読めず、つい否定的になってしまう。


「覚えてないわけじゃないよ!……でも、どういう事?それに、あの灯台まで数時間かかったんだよ?とてもじゃないけど」


「だからと言って、見殺しにする訳にもいかないだろう」


 アムは途中で口を閉ざし、イブキを見る。

 ヒューヒューと息をして苦しそうだ。

 きっと、普通の人間ならばすでに死んでいるはず。

 ただ、イブキは強い肉体を持つ花御子だ。

 それゆえに、体内で毒と戦ってしまっている。

 いっその事楽にしてやりたいが、それは頑張って生きようとする彼女にとっての冒涜だ。


「そうだね」


 アムは目を伏せて首を縦に振った。

 すると、軽快な口笛が聞こえてくる。


「移動なら僕に任せて。この島にある唯一のあの灯台だろう?」


「おぉ……」


 思わず間抜けな感嘆の声をあげるアムとマルス。

 ヘーゼルがグーサインを浮かべて、空間に作り出したポータルを示していたのだ。


 ――――――――――――――――――――――


 もうそろそろ夜明けを迎えそうな時間帯。

 灯台に住む“魔女”、エルファはぐっすり眠っていた。

 しかしその眠りを妨げるような、玄関のドアを激しく叩く音がして目を覚ます。

 

「おい、エルファ!いるんだろう?」


 聞き覚えのある声に、エルファは対して警戒せずにあくびをしながらドアを開ける。


「ちょっと、何?マルス……あら」


 ドアの向こうには、見慣れない顔もいて彼女は少し驚いた。

 しかし一番驚いたのは、マルスに背負われてぐったりとしたイブキの姿だった。

 顔色が悪く、汗をかいて、辛うじて息をしているといった感じだ。

 

「お前の力を借してくれ」


「イブキが毒にやられたの!」


 マルスとアムが口々にエルファに迫る。

 寝起きの彼女の頭には情報量が多すぎたが、何とか理解しようと目を閉じて、余計な情報をシャットアウトした。


「何とかできるだろう、お前なら」


 マルスが挑発的な瞳で、けしかけるようにエルファを見る。

 ――懐かしい瞳。

 実のところ、その昔エルファはその目に惹かれたこともあった。

 マルスはそれを知ってか知らないでか、エルファを頼ってきている。

 本当にずるい子だ。

 そのやるせない気持ちを誤魔化す為、エルファはマルスの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。


「……やるだけやってみるけど、文句は言わないで」


「あぁ。ありがとう」


 マルスはイブキを土の上に横たわらせる。

 時々痙攣して泡を吹くイブキを見て、エルファは困ったように口元を抑えた。


「本当はこういうの、管轄外なんだけど」

 

 しかし腹を括ったようにその傍に膝をついて屈むと、イブキの額に手のひらを重ねた。


「私の力はあくまで、物質の時を止めるだけ」


 エルファの手のひらに光が灯り、辺り一帯が照らされる。


「だから、私はこの子の中にある毒の時間を止めるだけで、無くすことは出来ない」


 イブキの表情が少し和らいできた。

 エルファの言葉通り、彼女の体内で毒の進行が止まりつつあるのだろう。

 辺りを照らしていた光はだんだんとエルファの手に収束していく。


「……終わりよ。この子の中にある毒の時間は完全に止めた」


 エルファが立ち上がり膝についた土を払いながら、そっけなく言い放つ。

 峠は乗り越えたのだ。

 イブキの呼吸も落ち着いて、まるで眠っているように見える。


「ありがとう!」


「助かった」


 アムとマルスは一気に安堵し、口を揃えてエルファにお礼を言う。

 しかしエルファは厳しい顔のまま、2人に現実を突きつける。


「いくら花御子でも、根本的に治療してあげないと治らないわよ」


「勿論、それは分かってるさ」


「でも、どうやって毒を取り除こう?医者に診てもらうって訳にもいかないし……」


 アムとマルスは揃って頭を抱える。

 危険な状態は何とか回避する事ができた。

 しかし、それはただの問題の先送りであって、根本的な解決には至っていない。

 エルファは考えなしの2人に対して呆れたようなため息を吐き、たまらず助言した。


「……私の姉を訪ねてはどうかしら」


「まさか。どこにいるのか知ってるのか?」


 マルスが食いつく。


「もちろん。つい最近もここに遊びにきたわよ。今はトリトンで研究に没頭してるみたい。何かは教えてくれなかったけど」


「トリトン……ここから割と近いな」


「あの、どんな人なの?」


 2人だけで繰り広げられる会話に、アムが隙を見て割り込んだ。


「そうねぇ……、オズは、変人かしら」


「え」


 エルファが首を傾げ、斜め上を見上げてざっくりと説明する。

 アムはとても丁寧とは言えない回答に言葉を失った。

 だが、彼女は悪気があってこんな態度をとっているのでは無い。

 生まれた時から、こんな掴みどころの無い性格なのだ。

 マルスはそれをよく知っている。


「まぁ間違ってはいないが、お前に分かりやすく言うと、ノアの船長だ」


「“ノア”の!?」


 それはチェリディアを出た後の列車で、イブキとの反省会の中に出てきた名前だ。

 今後、花御子との戦いが避けられない中で、自分達に必要なのは空を飛ぶ事ができる羽だ。

 そして、技術がめざましく進歩してきた地上の中で、もっとも飛び抜けた技術力を持つ集団が“ノア”。

 だからアムとイブキはノアに会って、自由に飛べる羽を作ってもらおうとしていた。

 しかし、いつ現れるか分からない神出鬼没の研究機関だと聞いていたのだが――。


「まさか、こんなに密に連絡を取ってるとは知らなかったが」


「あら。結構姉妹仲はいい方なのよ」


「もっと早く言え」


「だって聞かなかったじゃない」


「あぁ……お前はそういう奴だったな。今思い出したよ」

 

 もっと早く知りたかったと辟易するマルスにエルファはクスクスと笑いかける。


「……」


 アムは静かに2人の会話を傍観し、1人物思いに耽っていた。

 

 まさかエルファの姉がノアの船長だったとは。

 しかも居場所まで分かっている。

 こんな偶然が重なるなんて。

 まるで不思議な力に導かれているようではないか。

 その事実にアムの鼓動は早まり、背筋にはゾワゾワと寒気が走る。

 

 この旅に一筋の光が差したように感じ、アムの夜空の瞳には満天の星が煌めき始めていた。

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