47輪.朧月


 ポピイの毒キャンディを無理矢理飲み込まされ、うずくまるヤマト。

 

「ヤマト!」


 アムが駆け寄ったが、その顔面をヤマトの剣が縦に割く。


「っ!」


 剣は鼻先を掠めただけのように見えたが、アムは顔を押さえ俯いた。


「アム!」


「僕は大丈夫だから!イブキはポピイに専念して」


 半ば拒絶するようなアムの声に、イブキはハッとさせられる。

 そうだ、自分の役割はポピイの気を引く事。

 しかし、振り向いた時には遅かった。


「あーらら、大変。大丈夫ぅ?」


 ポピイはイブキがアムに気を取られた隙をつき、花羽でマルスの顔を撫でるように覆っていた。

 ポピイの真骨頂はその花羽にある。

 普段は花羽から分泌される毒を撒いて、街を侵しているのだ。


「ポピイイイ!」


 イブキはポピイに駆け寄るが、マルスが立ちはだかった。

 いつもの澄ました愛想の無い顔だったが、その灰色の瞳が妖しく光っている。


「……っ!」

 

「ほらほら、特等席で見よっ」


 ポピイは正気に戻ったヘーゼルと、未だ洗脳が解けておらず意識が混濁状態にあるグレティを両脇に抱えて教卓の上に座る。

 グレティをまるでぬいぐるみのように膝の上に乗せ、横に座らせたヘーゼルの肩を花羽で抱く。

 ヘーゼルは体を硬直させて、自分の肩にかかる花羽を見る。

 手で千切ればすぐに散ってしまいそうな儚い花弁が密集しているが、ポピイがその気になればいつでも2人の命を奪う事ができる恐ろしい器官。

 ヘーゼルは余計な手出しを諦め、いい匂いのする花羽の中で祈るようにイブキ達を見つめた。


 

 血塗れの教室の中で4人は入り乱れている。

 

 マルスはオーバーサイズの服の中に、何個も刃物を仕込んでおり、その中から短剣を取り出すとイブキに向かって振り翳してくる。

 惚れ惚れする身のこなしだ。

 一体どこでこんな動きを身につけたのだろう。


「うわっ」


 しかし、素直に感心している場合では無い。

 マルスの鋭い突きを、イブキは紙一重でかわす。

 何とか彼を正気に戻さなくては。

 

 イブキは、この学校に来た時のことを思い出していた。

 この教室で繰り広げられた惨状にイブキが混乱した時、意図せず周囲にイデアを流し込んでしまったのだ。

 その後、運良くアムとマルスは正気に戻った。

 そうであれば、原理は分からないがもう一度同じ事をすれば元に戻るかもしれない。

 

 しかし、あの時は静電気程度の雷が漏れ出ただけだったので、それを意図して再現するのは難しい。

 試しにイブキは出力を最大限に弱めた雷撃を、指で弾くように飛ばすが、マルスの見事な剣捌きでそれら全ては空気中に放電されてしまう。


「……」


 何か糸口はないかとイブキはマルスに注目する。

 彼は冷や汗をかき、肩で息を弾ませ、何かを呟いている。

 マルスの目はイブキに向いているが、見てはいないのだろう。

 イブキを何かに重ねているようだ。

 目は虚で視線が定まっていない。

 いつもの澄ました顔は無かった。


「……俺は守れなかった」


「え?」


「俺はあの人に何もできなかった、ただの役立たずだ」


 マルスが長い前髪を無造作に掴み、頭を抱えている。


「……ごめん、マルス。何のことか分からないけど」

 

 いつまでも遠慮していては、こちらがやられてしまうと、イブキは出力最大の雷を拳に込める。

 きっと、マルスなら耐えられるはずと根拠はないが、博打を打つことにしたのだ。


 その時、横からヤマトが吹っ飛んできた。

 そのままマルスに激突し、2人は仲良く教室の壁に打ちつけられる。

 吹き飛んできた方向を見ると、いつもの如く風を放出したのだろう、右腕をこちらにまっすぐ伸ばしたアムがいた。

 しかし、ヤマトに切られた傷がよほど痛むのか、左手で顔面を覆い顔が見えない。

 あれでちゃんと前が見えているのだろうか。

 

 しかし、結構な勢いでぶっ飛んだ2人も心配だ。

 イブキはアムと吹き飛ばされた2人の間で、首を何往復かさせた後、教室の端へ駆け寄ることにした。

 木目の壁はひしゃげ、亀裂が走っている。

 これ以上何か衝撃を加えると、完全に崩壊しそうだった。


「ねぇ、大丈夫?」


 イブキがそう言うや否や、マルスが立ち上がる。

 ぶつかった衝撃で催眠が解けてないかと、イブキは淡い期待を抱いていたが、その期待は外れた。

 マルスの艶のある黒髪の隙間から、灰色の瞳がまだギラギラと光を放っていた。


「……いつもより瞳、輝いてない?」

 

 マルスは無言のまま、片手でイブキの首を掴む。

 イブキの足裏が地面と離れた。


「……ぐっ、はな、せ!」


 身長はそんなに変わらないが、骨ばったマルスの手は大きく、容易にイブキの細首を掴むことができる。

 イブキは息苦しくなり、首をへし折ってこようとするマルスの腕を握るがうまく力が入らない。

 マルスの朧月が、イブキの夜明けを虚に照らす。

 相変わらず目が合っているのに、視線は交わらない。

 

「お前らは……何をしようとしている?」


「知らない!」


 イブキは腹を括り、今度こそ思い切りイデアを流し込もうとしたその時、ヤマトが背後からマルスの腹部を貫いた。


「……ぐっ!」


 マルスは身を翻して、ヤマトを蹴り飛ばす。

 ヤマトはマルスの血がべっとりついた剣を握ったまま、弧を描く。

 イブキは首を抑えて一息ついた。

 だが油断はできない。どうやらヤマトにも見境なく攻撃するような催眠がかかっている。

 どうにかして解いてやらねば。


 すると、突如教室内に空間の切れ目が発生した。

 それは、ヤマトが弧を描いた軌跡と重なった。

 マルスの血がトリガーとなり、あの記憶空間を生み出してしまったのか。

 しかし、空間はイブキ達を飲み込まず、長方形の箱の中で展開している。

 さながら、小さな劇場のようだ。

 

「アハッ!これはこれで楽しいかも」


 ポピイがグレティを抱きしめて、1人楽しそうにはしゃぐ。

 マルスは繰り広げられる背後の空間に気づいていないのか、腹を押さえ譫言を発しながらイブキに向かってくる。

 

「天使なんか信じたって、何も救われなかった」


 一瞬、箱の中に全身真っ白の人影が映ったが、ノイズが混ざるとすぐに画面は暗転した。


「俺はあの人しか信じない」


 先ほどの人影を掻き消すように、箱の中ではしばらく暗闇が続く。

 しかしだんだんと明るくなってくると、その暗闇が渦を巻いていたのが分かった。

 その渦に乗り、視点はどんどん明るい方へ上昇していく。

 渦が消え、一気に明るくなったと思ったら、先ほどの女性が目の前で朗らかに微笑んでいた。

 髪や服、肌の色、全てが真っ白で、色鮮やかな蝶の羽が生えていた。

 ポピイのイデアのせいか、混乱するマルスの記憶が断片的に上映されているようだ。


「やめろ、連れていくな!」


 誰かを庇ってその女性はどこかへ連れて行かれる。

 しかし、顔は画面から切れて分からない。

 きっと、視点の主のマルスが地面に伏せてしまっているからだろう。

 女性を連れていく人物は、真っ黒な羽が生えていた。


「俺から奪うな、連れてかないでくれ!」


 またも箱の中にノイズが走る。

 場面は変わり、先程の自然に囲まれた風景とは打って変わって、人工的で無機質な施設の中をマルスは走っていた。

 襲いかかってくる異形のベゼ達を倒してどんどん前に進む。

 その記憶と重なっているのか、イブキに対する攻撃の勢いも増す。

 腹を貫かれたというのに、すごい精神力だ。

 イブキは防戦一方だった。

 

 箱の中で暗転した施設内は赤い光が点滅し、侵入者の襲来を告げていた。

 そして、最後に辿り着いた部屋の扉が開かれる。

 そこには、不敵な笑みを浮かべる赤い羽の人物が立っていた。

 

「お前ら花御子を許さない!」


 マルスが飛び掛かるが、目が焼けるような明るい光に包まれる。

 その光は凄まじく、ただ記憶を眺めているイブキにもダメージを与えた。


「うっ!」


 思わず目を覆い、俯くイブキ。

 その隙をついて、マルスのナイフの鋒がイブキの眼前を掠める。

 すると、イブキの首飾りから花石が落ちてしまった。


「あ……」


 太陽のような輝きを放つ花石が、カランと音を立てて床に落ちる。

 マルスの目が少し正気を取り戻したように見えた。

 

「そうだ……俺は。ずっとこれが欲しかった」


 しまった。

 忘れていたが、マルスの本来の狙いはこの花石だった。

 これを取られてしまっては、いよいよポピイに勝てる算段がなくなってしまう。

 そればかりか、花姫にも辿り着くことはできなくなるだろう。

 イブキが手を伸ばしたが、それよりも早くマルスが剣の先で首飾りを持ち上げた。


「そうだ、俺には……これが必要だった」

 

 マルスは小さな太陽を宙に掲げ、恍惚とした表情で見つめている。


 すると、後ろの箱では自然豊かな山々が映し出されていた。

 火山に蒸気機関車の見覚えのある景色――ここはチェリディアだ。

 一体、この箱は彼の何を映し出そうとしているのか。

 ずっと気になっていたマルスの過去が分かるかもしれない。

 イブキは小さな箱の中の景色に釘付けになった。

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