32輪.魅了


 街灯がまばらに灯り始める時間帯。

 遊ぶ子どもの姿はすでに無く、出歩く人も寄り道する事なく帰路に着いている。

 3人は駅を出てすぐの食事処にいた。

 

「……」


 イブキは目の前に置かれた食事をじっと観察していた。

 湯気を立てた黄金色のスープの中に、白くて太いミミズのようなものが浮かんでいる。

 アムとマルスを横目で見ると、“箸”という木の枝でズルズルと音を立てて白ミミズを啜っていた。

 イブキの視線に気がついたアムが手を止めた。


「フォーク貰おうか?」


「いや、大丈夫」

 

 何となくアムの申し出を断ったイブキは2人の見様見真似で箸を使い、意を決してミミズを吸い込んだ。


「このミミズ、おいしい」


「ミミズじゃなくて、麺ね」


 ミミズはモチモチとしていてスープとよく絡み、食欲がそそられる。

 アムの訂正を聞き流して、イブキはすぐに二口目に手をつけた。


「……あの時は何とも思わなかったが、お前も飯を食うんだな」


 とっくに食べ終えたマルスは肘をついて、慣れない手つきで一生懸命麺を啜るイブキをしげしげと眺める。

 “あの時”というのは、ルルに扮したマルスがチェリディアで2人にシチューを振る舞った時だ。

 まだお互いに正体を知らなかったので、変な探り合いもなかった。


「かわいいよね、赤ちゃんみたいで」


 そこかしこに汁を飛ばしながら麺をすするイブキを見てアムが微笑む。


「こうしてみるとただの人間だな」


「……どうも」


 イブキは手の甲で口周りの汁を拭う。

 腹が満たされたイブキは冷静になり、不用意にマルスに突っかかる事をやめ、代わりに受け流す事にした。

 彼はひねくれているので、いちいち気にしていたらこちらが気疲れしてしまう。

 自分のペースを崩さないようにしようとイブキは決意したのだ。


「あの時のシチューもおいしかったよ。“人間らしくて”」


「あ゙っ?」


 イブキはしたり顔を浮かべて、最後の一滴まで汁を飲み干した。

 すっかり意表をつかれたマルスの間抜け面を見て、アムは思わず吹き出した。

 

――――――――――――――――――――――――

 

 腹が満たされた一向は店の外に出る。

 もうすっかり夜になっていたが、街灯が辺りを煌々と照らし、建物から漏れる明かりも手伝って、まるでまだ昼が続いているかのような不思議な高揚感を誘ってくる。


「今日のところはどこかで休んだ方がいいかな」


 アムがお腹をさすりながら周囲を見回すと、突然女性がアムに掴みかかってきた。


「私の息子を……!ケンを、見かけてませんか?」


 その女性の髪はボサボサで、頬には涙の跡が残り、今も目に涙を浮かべている。

 アムの肩を掴んだ手を支えにやっと立っている様子で、無理矢理離してしまえばその場に立っていられないほど憔悴しているようだった。


「ごめんなさい。私たち、ついさっきここへ来たばかりで……」


 力になれないことを申し訳なさそうに、アムが謝罪する。


「……あぁ、そんな……」


 女性は力が抜けたようにその場に座り込んで、涙を流して取り乱す。


「おっと!」

 

 アムはしゃがみ込んで女性の体を支え、背中をさすっている。

 側から見れば異様な様子だが、周りの人は女性を気にする事なく足速に過ぎ去っていく。

 まるで何かの目に留まってしまわないように逃げようとしているように見える。


「何があったの?」


 イブキが女性の顔を覗き込む。

 マルスは立ったまま、一連の様子を静観している。


「……きっと魔女が……、魔女が……」


 女性はそれだけ言うと再び嗚咽をあげて地面に伏せた。

 とてもじゃないがこのまま話を続けられる様子ではない。


「魔女って何だろう」


 行き交う人々に尋ねたい所だが、視線すら合わない。


「薄情な人達!」


 痺れを切らしたアムがその場で地団駄を踏んだ。

 ふと、マルスがアムの横をすり抜けると1人の男性に歩み寄った。

 

「ねぇ、お兄さん」


 艶めいた声に話しかけられた男性は思わず足を止めた。

 しかし、話をゆっくりと聞いてくれるような態度ではない。


「何だ、僕は急いでるんだ!早く帰らないと魔女、が……」


 マルスが顔をその男の目の前まで近づけ、胸元に手を添える。

 そして伏目がちに目配せすると、男は思わず魅了される。

 

「なぁんだ、お一人?……だったら少しだけ、俺達とお話ししようよ」


「……!」


 その男性は惚けた表情になり、マルスを抱き締めようとした。

 しかし、マルスはその胸を軽く突き飛ばすと、その腕の中から逃れてアムに向き直る。


「そら、ちゃんと聞き出せよ」


「……」

 

 急に態度を変えた男性にも驚いたが、何よりマルスのあの艶めいた態度に2人は衝撃を受けていた。


「何だよ」

 

 マルスは普段の無愛想な顔を2人に向けている。

 アムははっとして、男性から話を聞こうと近づいた。


「えっと……、何だっけな。あ、そうそう。その魔女っていうのは……?」


 

「何が起きたの?」


 アムが男性と話している最中、イブキはマルスを信じられないような物を見る目で見ていた。


「ベゼだからな。……少し、人の心に干渉できるのさ」


 イブキの脳裏にとある少女の屈託のない笑顔が浮かぶ。

 しかし、マルスはその表情から何かを察知したのか、イブキが口を開くよりも先に釘を刺した。


「先に言っておくが。俺はあいつにこの力を使ったことはないからな」


「そ、そうなんだ」


 イブキはそのマルスの真剣な表情に気圧された。

 無愛想で何を考えているか読めないマルスだが、この時ばかりは目の奥に真実の光が灯っている気がした。

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