01輪.治らない痛み
ガサガサガサ!
ひしめき合う木々の合間を、イブキは勢いよく頭から分け入っていく。
枝や葉が引っかかり全身に擦り傷が刻まれていくが、そのおかげで落下速度が落ちた。
「痛った……」
尻から地面に着地しても鈍い痛みが響くだけで、目を背けたくなるような大怪我は免れた。
何とか運良く生きていられたと、仰向けになったままイブキは胸を押さえる。
その事実だけで、花姫に打ち勝ったような気持ちになれた。
瞳を閉じると、花姫のあの心がざわつくような笑顔が脳裏に焼き付いていて離れない。
体の中心が激しく脈打ち、呼吸が乱れる。
イブキは大きく息を吸って、体の隅まで空気を取り込む。
森の深い緑の香りが充満して、イブキは落ち着きを取り戻した。
さて、これからどうすべきか――。
悲しいことだが、自分を心配して様子を見に来てくれるような優しい仲間は
イブキは、かつての故郷の方向を見つめる。今は鬱蒼とした木々に隠されて見えない。
そもそも自分はどこに落ちてしまったのだろうかと、痛む身体を動かして起きあがろうとする。
「……何だこれ」
ふと左を向いたイブキの目に、巨石が飛び込んできた。
一歩間違っていればこの石に叩きつけられていたのかと思うと、イブキは肝を冷やした。
その石をよく観察すると、そこには「安らかに」と言う文字と共に、偶然にも今日の日付が刻まれていた。
イブキはそっと、その石に触れてみる。
やけに綺麗な石は冷たく、じっとりしていた。
「……ねぇ。きみ、誰?」
ふいにイブキの背後から、いぶかしむような声が聞こえてきた。
振り返ってみると、そこには花束を抱えた小さな人間が立っていた。
顔はフードに隠れて見えないが、口元を押さえて小刻みに震え、イブキを恐れているようだった。
「……」
イブキは当然だと思った。
目の前の少女は、この地上を荒らしまくる花御子の内の一人と対峙しているのだ。
恐れるなという方が無理な話だ。
しかし、今のイブキは花羽の大半を切り取られ、見る影もない。
花羽がないと、花御子はほとんど人間と見分けがつかないのだ。
それなのになぜ、少女はイブキが花御子だと分かったのだろう?
それは、花御子は象徴的な衣服を身に纏っているからだ。
袖が大きく垂れ下がった布一枚を、胸の辺りで右前に重ね、腰に巻いた太い紐でしっかりと結ぶ。
それが花御子衣装だ。
イブキは背中が大胆に開いた袖の無いシャツの上に、白色の花御子衣装を肩が見えるように着崩して身に纏っている。
こんな突飛な服は地上で花御子以外、誰も身につけない。
目の前の人間は、この服を見てイブキを花御子と判断したのだろう。
少女はその場で立ち尽くしたまま、一歩も動かない。
これ以上ここにいては面倒な事になりそうだと、イブキは痛む体を無理矢理起こし、フラフラの体で少女の横を通り過ぎようとした。
「待って!」
「!?」
イブキは通りざまに少女に突然腕を引かれ、危うくバランスを崩しかけた。
しかし、自慢の体幹を発揮したおかげで、何とか倒れずにその場に踏ん張れた。
「ちょっと!何?」
イブキは少女を振り返り、危ないじゃないかと眉間に皺を寄せる。
少女はそんなことなど少しも気に留めず、息を荒くした。
「あのっ。僕、アムって言うの。きみ、花御子だよね?どうして羽がないの?それに……すごく傷だらけ!一体、何があったの?」
「は?……そんなの、あなたに関係ないでしょ。離して」
フードから覗く口をわなわなと震わせて、矢継ぎ早に質問してくる不躾な人間にイブキは辟易した。
変な人間だと手を振り払おうとするが、思いの外握る力が強く、どんなに腕を振っても離れない。
むしろ激しく腕を振りすぎたイブキの方が体の傷に響いてダメージを受け、うめき声を上げるほどだった。
「……うっ!」
「大丈夫?」
「……あなたが離してくれたら、大丈夫になるんだけど」
「あ。僕、傷に効く薬持ってるけど……、使う?それとも、花御子の治癒力で治せちゃう?」
自らを“アム”と名乗った少女は、下げていた小さなポシェットから小瓶を取り出す。
アムの言った通り、通常、花御子は驚異的な回復力を持つ。
それゆえに怪我や病とは無関係だが、花羽がなくなった今、そうはいかない事をイブキは身に染みて感じていた。
花姫から受けた暴力の怪我も、落下時の擦り傷も、花羽があった時ならもう治っている頃なのに、今は治るどころか、痛みさえ引かない。
だからイブキは、普段人間が使う効き目があるのかもよく分からない、謎の薬が喉から手が出るほど欲しかった。
イブキの目が小瓶に注目するのを見て、アムは口角をにんまりと上げた。
「この薬、あげるよ」
「ありが……」
イブキが薬に手を伸ばして受け取ろうとしたが、アムは意地悪に薬を引っ込めた。
そして、“とある取引”をイブキに持ちかける。
「ただし、僕の質問に答えてくれたらね」
「……分かった」
イブキは眉をしかめてアムを睨んだが、肉体をじわじわ蝕む痛みから逃れる為、背に腹は代えられなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます