残像の王
「うぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
ビジネス街の雑居ビルの地下。1フロアはそれほど広くないが、10名ほどの社員が働くそのオフィスで、男は急に叫び声をあげて立ち上がった。静かな昼下がりの制作会社は、皆集中して仕事をしていて、彼が出した騒音のすべてが部屋中に聞こえ渡った。
「いったいどうした?汗だくだけど、変な夢でも見たのか?!」
ディレクターの
周りの人間は、彼が珍しく居眠りでもして、夢でも見ていたのだろうと思っていた。しかし、本人は今が夢の中に居るような気分だった。
矢島は誰にも気づかれないようにゆっくりと深呼吸をした。そして、画面を見て今の状況を整理することにした。開かれた画像編集ツールを見るに、どうやら新製品の缶コーヒーのパッケージをデザインしていたようだ。そこまでを理解して、自分の服装を見つめた。半袖のTシャツにデニムのパンツを履いていた。今は夏なのだろうか。そして、デスクトップからカレンダーツールを起動して、日付を確認した。6月12日だった。急激に違和感がなくなっていった。さっきの衝撃はなんだったのだろう?
だが、デスク左側の飲み物に顔を向けたとき、首筋に激痛が走った。慌てて右手で首の横から裏にかけて手を当てて見たものの、特に傷のような感触はなく、触った部分ももう痛くなかった。
つつがなく作業が進み、締切を確認したが、今週いっぱいのようなので、まだ余裕がある。矢島は定時を迎えると、残業などはせずに帰宅することにした。
通勤には1時間弱かかる。電車が30分、バスが20分、そこから徒歩で10分弱の郊外に住んでいた。暗い部屋の電気を点け、デスクトップPCを起動させる。画面の左端からアイコンを一つ選んでダブルクリックすると、ログイン画面が表示されるのを待った。あの感触をまた思い起こすかは不明だったが、今日会社で叫ぶまでの記憶は、まさにこのゲームの中の出来事だと思えた。
「アエテルタニスの世界は楽しいものです。気づかないうちに何時間もの時を過ごす可能性があります。仕事や学業といった実生活に影響が出ないよう、毎日のプレイ時間を決めて遊ぶことを推奨いたします。」
見慣れた注意書きが画面に表示され、次にログインフォームが表示された。いつもどおりにIDとパスワードを入力すると、次に2段階認証のトークンを聞かれる。スマートフォンを出してアプリに表示された6桁の数字をPCのフォームに打ち込んでいく。次はキャラ選択。そして、最後のプログレスバーがログイン処理の進捗を知らせてくれる。100%まで進み、画面が一度ブラックアウトして、ゲーム画面が表示される、というタイミングでエラーダイアログが出た。
「サービスを停止しています」
え、と思って慌ててもう一度ログイン作業を行おうとしたが、一緒に表示された文言を読んで衝撃を受けた。
「悠久時界ミドルスベルグはサービスを終了いたしました。冒険者の皆様の長らくの応援ありがとうございました。なお、キャラクター管理システムは引き続き『アエテルタニスクロニクル』でご利用いただけます」
どういうことか理解できない。前日にも遊んでいたはずなのに。しかし、サポートサイトに飛んでも内容は一緒で、すでに1年も前にサービス終了したことになっている。だが、自分が遊んでいた記憶は新鮮で、それこそ数日前までのことがすぐに思い出せるのに、画面の文字はそれを明確に否定していた。
自分は砂漠にアジトを作り、ネクロマンサーや戦士を雇って一団を作り、オアシスに紛れ込んだ冒険者達をPKして、アイテムやゲーム内通貨の『フェト』を奪って一財産を築いていた。元々、砂漠にあった王国の王族の生き残りという設定でロールプレイしているうちに、徒党を組んで新参冒険者をいじめるのが楽しくなっていった。
にも関わらず、あいつらのせいだ。数日前に砂漠に侵入した冒険者の一団。偵察部隊の情報を元に、オアシスに辿り着ついたら身ぐるみを剥いでやろうということになった。何も特別なことじゃない。自分達のアジトに迷い込んできたもの全員が受ける儀式だ。諦めて金やアイテムを置いて逃げてもいい。向かってきてもいいが、100名近いメンバーが居る「砂漠の残像」に、立ち向かって無事でいられる冒険者は居ない。そういうこともあり、この日もいつも通りに冒険者を襲いに行った。
どんなに強い冒険者でも、寝込みを襲われたら圧倒的に弱い。そういう前提のもと、紛れ込んだ侵入者達がどこを宿にしたかを事前に把握しておく。砂漠は自分達の庭だ。偵察メンバーから逃れられるものはまず居ない。
この冒険者達は、一番オーソドックスな街の真ん中の宿屋に泊まってくれたのでことさらに楽だった。砂漠を旅してきた冒険者は、その過酷な旅で疲れており、眠りにつくとそうそう目覚めない。この日の冒険者達もそのはずだった。なのに……。
一番弱そうな魔法少女を捕らえるところまでは良かった。しかし、残りの2人はすぐに目覚めると数的有利をものともせずにこちらの3名が簡単にやられた。
それでも、負けるわけがなかった。メンバーは100名近くいて、夜勤のメンバーだけとはいえ、それでも50人は居る。たかだか3人で太刀打ちできるわけがなかった。あの魔物が現れなければ…
切り札のゴーレムは、砂漠の地を根城にした際、集落の建物や地下施設を探索するうちに、王の墓を見つけて、そこで拾った。歴史書のようなものから得た情報によれば、初代の王は砂の人形に命を封じ込め、これをゴーレムとして守り神にした。それを呼ぶための石があったと書いてあったが、まさにその石を拾ったのだ。
それまで使ったことがなかったから、本当に現れるとは思わなかったが、高さ25メートルほどの砂の巨人の頭上から見た景色は、今もはっきり覚えてる。その巨人の玉座に魔物がせまり、首を切り飛ばされたことも。
その時、また首筋がじんわりと痛んだ。さらに次の瞬間、PC画面上のアプリアイコンがぴょんぴょんと跳ね出した。VCゲーミングというゲームに特化したチャットツールのアイコンだった。
矢島はすぐにアイコンをクリックし、リストから赤い丸のついた人物を探して開いた。
「いまなにしてるの?」
一緒にミドルスベルグを遊んでいた友人からだった。彼は砂漠の仲間ではなかったが、始めた頃に知り合い、付き合いは長いほうだった。
「アエテルタニスにインできない…涙」
チャットの返信に対する返事は、すぐにかえってきた。
「は?何いってんの??もうサ終してだいぶ経つじゃん…www」
やはり、彼の認識でも終わったサービスらしい。
「でも、昨日もやったんだよね。ハーピーにやられたんだけど…」
今度の返信はなかなか来なかったが、相手がチャットを打っているというのだけずっとステータスバーに表示されていた。矢島はじっと返事を待った。
「昨日は一緒にマジポンしたじゃんか…0時過ぎまで……。今日も誘おうと思って声かけたんだけど……大丈夫……?」
返事を見て頭が真っ白になり、なんと返していいか分からないまま、矢島は再度記憶の糸を辿ろうとしていた。でも、何も思い出せなかった。一緒にゲームをした記憶は相手にはあるが自分には残ってなかった。
「眠すぎて、コーヒー手にこぼしたって言うから終わりにしたじゃん……?火傷大丈夫?」
続けて送られてきたメッセージ。これを見て、自分の左手に包帯が巻かれていることに気づいた。そして、恐る恐る包帯をほどいて見ると、左手の親指と人差し指の付け根から手首にかけて、赤くなっていた。
矢島は急激に恐ろしくなり、背中に寒気を感じた。そして、チャットにこう打った。
「大丈夫なんだけど、やっぱり火傷がまだ痛いから、今日はゲームしないで寝るよ」
わかった、と相手から返事があり、おやすみのスタンプが送られてきた。矢島はそれからも必死で昨日のことを思い返したが、マジポンのことは一切思い出すことができなかった。ただ急に手首の痛みを感じるようになり、それと呼応するように首筋にも痛みがジンジンと脈打ち始めた。それらがどちらも現実の痛みであると一層強く感じられ、矢島の記憶はより一層の混乱に包まれていった。
その世界の向こう側で カタギリクレイ @nend
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