なぜ空には月があるのか

@karatachi23

なぜ空には月があるのか

 昔々あるところに羊飼いがいた。朝早くから汗を流して働き、夕日が沈み始めるころに家に戻った後、かまどでパンケーキを焼いていた。本来は朝食べるものだが、人間たまには朝ごはんの料理を夕飯に食べたい時や、普段は食べない晩ご飯を食べる時もあるだろう。

 ちなみにパンケーキといっても現代の洒落たものではなく、小麦粉と水で作った生地を少し多めの油で焼いた素朴なものだ。彼人のそばでは四つ脚の仕事仲間であり愛する相棒の犬が、よだれを口から垂らしながらも大人しく座って焼けるのを待っていた。

 普段の彼人は慎重に焼いている生地を裏面にしたりすくい上げるのだが、この日に限って無性に思いきり宙に放り投げたくなった。なぜかわからないがなんだかそうしたくなったのだ。

 そこでいい具合に焼けたパンケーキをへらでひょいっとひっくり返した。パンケーキは羊飼いが想像すらしていなかった勢いで宙を舞い、屋根に開いた穴からひゅーんと外へ飛んで行き、ぺしゃりと夜空に張り付いた。一連の動きを追っていた犬が悲しそうな鳴き声を上げた。

 羊飼いもがっかりしたが、「心配するな。また焼いてやるさ」と犬を撫で、気を取り直して残りの生地を焼き始めた。もちろん、今度は慎重に。



 さて、ここからはちょっと裏話。生クリームとフルーツがたっぷり乗ったパンケーキに目がない私の友人によるものだ。

 羊飼いがパンケーキを焼いている様子を天の住人A(名前?そんなの忘れた。Aって呼ぶよ)が見ていた。別に食べなくても飢えで苦しむこともなければ死にもしないくせに、なぜかそいつは未開の地の者が調理している食べ物をちょっと試してみたくなった。

 僕らみたいな存在なら、人間をちょいとそそのかすくらい簡単にできる。だからAは羊飼いに勢いよくパンケーキを飛ばすように念じた『投げろ。空に向かって今焼いているその丸くて平たくて茶色い何かを投げろ』

 こうして羊飼いの貴重な飯は天空まで届き、Aは気になっていたブツを手に入れた。ところが、一口かじった途端そいつはあからさまにがっかりした。

 「なんだ。対してうまくないや」

そしてパンケーキを空のさらに高いところ放り棄ててしまった。食わないと死ぬ人様の物を奪っておいてそりゃないだろ?

 ところで、Aの他にもう一人食い意地が張った奴がいた(そいつの名前も忘れた。Bにしておこう)。Bはよく言えば好奇心があって、悪く言えば変な奴だった。こいつもまた食べる必要もないのに、興味のままに下界から色んなものを集めては口にしていた。

 ある日のこと、空を見上げたBは何者かにかじられた跡のある平たい金茶色の物体を見つけた。味が気になったBはそこまでひょいと飛んで行って、ちぎって食べてみた。

 「悪くないけどちょっと何か足りないな」

  つまり2人は意図せず間接キスしたってわけ。とにかく、その物体を家に持ち帰ったBは、キノコからナマコまで地上から集めた様々な食材を付け合わせてみたらしい。そしてここでは言いたくもない組み合わせを試しまくった後、はちみつを垂らしたやつを口にした瞬間、そいつ目を丸くしたそうだ。

 「こいつはうまいぞ!」

 地上ではとっくに普通のことじゃね?と僕は思ったけど黙っておいた。

 それからというもの、Bは仲間たちにその食べ物を熱心に布教した。みんながパンケーキを食べたがったから、AがかじりBがちぎった残りは天の者たちの力で巨大化され、無限に再生できるようになった。大勢の天の住人だの宇宙人だの、とにかく常に誰かが何かのついでや単に食べたい気分だから切り取っていく。定番はバターをのせてはちみつを垂らしたシンプルなやつだけど、各々好きなものを挟むなりかけるなりして食べている。

 こうして地上の人間から食べ物を奪ったAとそれを広めたBによって、無限巨大パンケーキが空に浮かぶようになった。少しずつ切り取られて減って、全部なくなってまた再生する様子が地上からは月の満ち欠けに見えるってわけ。

 基本的にみんなそのパンケーキですっかり満足しているし、そもそも食べ物自体を全く食べない者もいる。だからあいつらは天の者や宇宙の者はスフレみたいにふわふわなやつや、フルーツとクリームがたっぷりのったこんなにおいしものの存在をいまだに知らないんだよ。きっと僕以外はね。

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