纏向は邪馬台国ではないと思う
ギルマン
第1話 この論考の概論
日本の古代史において、少し前から纏向遺跡といわれる遺跡がかなり注目されています。纏向遺跡こそが、後の大和朝廷へと繋がるヤマト王権の発祥の地だと考えられているからです。
そして、その地は同時に、いわゆる『魏志倭人伝』に記された卑弥呼が住んだ場所。即ち邪馬台国である。とする説も唱えられています。
私は、纏向遺跡がヤマト王権発祥の地だという意見には特に異論はないのですが、邪馬台国だという説には強い違和感を持っています。
考古学的に明らかになった当時の纏向の実情が、魏志倭人伝が描く邪馬台国の実情と、かけ離れていると思うからです。
この考えを説明するために、まず纏向遺跡と3世紀当時(卑弥呼の時代)にそこに存在していた政治勢力の状況をまとめ、次いで『魏志倭人伝』の記述から当時の邪馬台国の政治情勢を推測し、両者の差異を示してみたいと思います。
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