第4話 よって纏向遺跡は邪馬台国とは思えない。むしろ……への応援コメント
おおー。そっちが狗奴国ですか。それは思ったことなかったです。
作者からの返信
確かに、魏志倭人伝には、狗奴国は邪馬台国の南と書いてありますからね。
ただ、私の想定だと、狗奴国は邪馬台国を圧迫するほどの大勢力だったという事になるので、そうなると、最近の研究で明らかになった、強大な纏向の勢力がぴったりだという事になります。
それに、後漢書の東夷伝には、「女王国から東、海を渡る事千余里、狗奴国に至る」と書かれていて、こちらだと方向的には北九州と畿内であって来るんです。
なので私は、纏向の勢力=狗奴国はあり得ると思っています。
第2話 強大なる纏向の勢力への応援コメント
なるほど。それはそうかも。
続きを読みます。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
私には、魏志倭人伝の記述は、邪馬台国が魏に援軍を要請しているとしか思えないんですよね。
編集済
第5話 その後の邪馬台国と倭への応援コメント
こんばんは、御作を読みました。
興味深い考察で、考えさせられました。
陳寿さんが『三国志』で書き残したかったのは、魏蜀呉の歴史とそこに生きた人々であり、異民族(外国)に対して、どれだけ興味を持っていたかあやすいですが、それでも日本が初めて出てくる史書だから、皆、邪馬台国にはロマンを抱きますよね(*´-`)
作者からの返信
ありがとうございます。
実際、邪馬台国はロマンを掻き立てられる題材だと思います。
特に、「女王卑弥呼」という存在がとても魅力的なキャラクターなのが大きいですね。しかも後継者が13歳の少女とか。何というか、物語として非常に面白いです。
まあ、私が想定している仮説においては、邪馬台国の未来は非常に暗い事になってしまっているのですが。
第5話 その後の邪馬台国と倭への応援コメント
これだけ科学技術が発達してさまざまな調査が行われても、歴史はまだまだ謎だらけですね。だからこそ、より魅力的なのでしょうか。
よく練られた考察だと思います。歴史に疎い私でも楽しませていただきました。
作者からの返信
ありがとうございます。
実際、歴史の真実というのは中々分からないものだと思います。
ただ、日本の古代史に関しては、天皇家に縁がある(とされている)古墳は発掘できない。という大きなハンディキャップがあるんですよね。
もしもそれらの発掘調査が解禁されれば、多分画期的な発見がいくつもあるはずです。
まあ、天皇陛下の祖先の墓を暴くわけにはいかないというのも分かりますので、中々難しいところですが。
第5話 その後の邪馬台国と倭への応援コメント
初めまして。以前から纏向遺跡と邪馬台国は別、纏向遺跡は大和朝廷の垂仁天皇、景行天皇の都城だと思っていたので、やった! とか思いながら読ませて頂きました。
所が、途中で纏向こそ狗奴国ではないかという論考をされておられて、狗奴国は熊本や南部九州だと思っていたので少し残念な気もしましたが、御説を尊重したいと思います。
確か魏志倭人伝で狗奴国は邪馬台国の南と書いてあった様な気が……纏向が邪馬台国派(反対です)の人々の中に狗奴国は東海だと言い張る方々がいると言うのは、それはちょっと無理があるなと同意見で思っています。全体として南を東と言い換えるのはどうかなと。しかしここは応援コメント欄ですので、自己主張はこの辺にしておきます😅
ちなみに邪馬台国の位置ですが、世の中にはトンデモ説などと言う方もいますが、仲哀天皇や神功皇后が討った九州の女酋、たぶらつひめの祖先が邪馬台国卑弥呼だと想定しています。位置的にはみやま市周辺、古来から山門(やまと)などと言われる地です。
こうした話題はとても少数派なので凄く楽しく読ませて頂きました!! 長くなってしまいすいません。
作者からの返信
中々難しいところですよね。
「狗奴国」という語感からは、確かに熊本とか熊襲とかのイメージが重なるとは思います。
ただ、私の想定だと、狗奴国は邪馬台国が魏に援軍を乞わなければならなくなるほどの強大な勢力という事になるので、強大な纏向の勢力が最もそれらしい、という結論になってしまいます。
もちろん、九州南部に強大な勢力があった可能性も否定はできません。
しかし、狗奴国が南九州だとすると、纏向の勢力についての記述がなくなってしまう事が不自然かな? とも思います。
当時、纏向の勢力は北九州にも及んでいたようなので、何らかの記述があるのが当然ではないか、と。
そして、狗奴国の位置なのですが、確かに魏志倭人伝には邪馬台国の南と書かれています。
ところが、後漢書の東夷伝にも『邪馬台国』に関する記述があるのですが、そこには「女王国から東、海を渡る事千余里、狗奴国に至る」と書いてあるのです。要するに記述が矛盾しているわけです。
一般的には魏志倭人伝の方が信ぴょう性が高いと言われているようですが、かといって無視して良いかどうか? 正直訳が分かりません。
本当に難しいところだと思います。
それから、卑弥呼の子孫ないし後継者が大和朝廷に討たれた。という想定は、私の考えととても親和性が高いと思います。
ともかく、色々と考えが聞けて良かったです。
ありがとうございました。
第5話 その後の邪馬台国と倭への応援コメント
面白かったです。ギルマンさんの邪馬台国知識に感服いたしました
作者からの返信
そのように言っていただけると素直に嬉しいです。
ありがとうございます。
ただ、邪馬台国に関する知識については、私では及びもつかないほどの方々が、山ほどいるはずです。専門家はもちろん、歴史好きの一般の方の中にも。
何しろ邪馬台国は多くの方が強い関心を持っているジャンルですから。
第4話 よって纏向遺跡は邪馬台国とは思えない。むしろ……への応援コメント
北九州は確かに、大陸と近いので、やり取りがしやすかったと思います。結局、魏は邪馬台国に援軍を送らなかったんですかね。大陸の軍勢が九州を占拠するという事態もあり得たのかなと思いました
作者からの返信
魏志倭人伝によると、「張政等を遣わし」となっているので、軍といえる規模の派遣ではなかったと思います。
個人的には、九州を占拠できる規模の軍隊を送る事は、当時の技術力では難しかったのではないかと思います。古代の国家間大戦とか考えるとロマンは感じますが。
第3話 邪馬台国は日本列島最強の国ではないへの応援コメント
邪馬台国については子供の頃に読んだ学研の漫画以上の知識はありませんが、卑弥呼後は長く続かなかったイメージですね。ほとんど、何もわかっていないことから、自然消滅したのかもしれません。ギルマンさんがいう通り、列島最強ではないと思います
作者からの返信
そうなんです。
私もどうしても、邪馬台国に対して強大で確固たる国を想定できません。
なので、纏向が強大だったと言われれば言われるほど、邪馬台国ではないのでは? との思いが強くなってしまうのです。
第2話 強大なる纏向の勢力への応援コメント
古代史はロマンがあっていいですね。大国でもないのに海外である魏国に援軍を要請できるということは、邪馬台国の人々は大陸から渡ってきた魏の人々なのではと思いました。根拠は何もありませんけど
作者からの返信
応援コメントありがとうございます。
コメントレビューもありがとうございます。
私は歴史に関してはロマン重視なので、古代史は大変ロマンがあって良いと思います。
ただ、その分古代は中々はっきりしたことが言えないんですよね。
ちなみに、北九州では卑弥呼の時代の少なくとも100年以上間から中国(後漢)に使いを送っているので、大陸との交流はかなりあったはずです。中国から移り住んだ人々が少なからずいてもおかしくはないですね。
第5話 その後の邪馬台国と倭への応援コメント
読了しました。
勢力と情勢からの推理と考察は大変新鮮です。
トンデモ学説の中に、日本書紀の仲哀天皇から神功皇后記の中で「九州地方に大和県(やまとのあがた)と言う地域があり、その女族長を討つ」逸話があり、その女族長が魏の後ろ盾を得ようとしてのではないか……と述べる説がありました。
ギルマン様の考察で、その説に説得力が増したような気がします。
作者からの返信
ありがとうございます。
私は今のところ、邪馬台国はヤマト王権に滅ぼされたと考えているので、確かにその話とは親和性があると思います。
まあ、結局のところ断定は中々難しいでしょうが。
第5話 その後の邪馬台国と倭への応援コメント
こんばんは。
九州説、興味深く拝読いたしました。
魏志倭人伝は間違いが多いので、どの記述を採用したり重視するかで結論が全く変わってしまいますよね。
なので、専門家同士でも議論がまとまらないのもうなずけます。
例えば里程だけ見ると、不弥国から水行二十日で投馬国、さらに水行十日、(andかor)陸行一月で邪馬台国ですから、纒向というか大和盆地あたりでおおむね合います。
(一方、方角はまるで合いませんね)
また奴国を博多あたりに比定する場合、それが二万戸で、邪馬台国が七万戸ですからこれも纒向の大きさに合うかもしれません。
以下は私見ですが、邪馬台国と狗奴国はわりと近くにあって(直接かどうかは?)戦っていたイメージです。当時の交通事情や移動能力から言えば、少なくとも大和と九州北部では、遠すぎるかなと思います。
ただ、トヨ以降に狗奴国側勢力が勝ったというのは、あり得る気がしますね。その後の王権の性質からのイメージですが。
乱文失礼いたしました。
作者からの返信
お読みいただきありがとうございます。
古代史だと、そこら辺の「国」のスケール感も説によって結構変わってきますよね。
北九州説だとかなり小さなサイズの国にになるのに対して、畿内説だと畿内から北九州までが実質的に一つの国だったという事になりますし。
その結果、我が国がいつ頃成立したのか? という、結構政治思想に関係する議論になるので、邪馬台国論争は難しい点があると思います。
純粋に学問ではなく、思想信条が絡んでくるというか。
私としては、今のところの考えは、書いた文章の通りだけれど、最終的な答えは出ていない。
魏志倭人伝の内容は変わらない以上、今後の考古学的な発見に期待するしかない。と、そんな風に思っています。
第2話 強大なる纏向の勢力への応援コメント
>前方後円墳発祥の地
千葉県市原市の神門古墳群にある古墳が、前方後円墳の成り立ちを示している……との説が最近言われています。
円墳の中央が祭事の場で、そこへ向かう道を真っ直ぐに造ったのが始まりで、その道の部分が太く短くなって前方後円墳となった。
神門古墳群には、その形態が段階的に変化する古墳があるそうです。
それが纏向に「逆輸入」されたのではないか?
近畿と関東との結びつきは、とても強力だったのではないか?
……妙に千葉が盛り上がってるみたいです。ww
作者からの返信
何と! その話は知りませんでした。
事実ならまた話が変わってきますね。
これはまた論争の種になりそうです。
古代史は、発掘結果一つで色々変わってしまう要素がまだまだあるので、とても面白いです。
第5話 その後の邪馬台国と倭への応援コメント
纏向の勢力が強大だったので魏に援軍を求めるはずがないというのは、言われてみればその通りだと思いました。
現在は畿内説がやや優勢と聞いたことがありますが、まだまだ今後の調査でくつがえる可能性がありそうですね。
作者からの返信
私も畿内説が優勢と聞いていたのですが、その根拠が纏向遺跡の強大さなのに何とも違和感を感じておりました。
結局のところ、だったらなんで援軍頼んだの? ってところに集約されてしまうのですが。
実際、古代史は今後の発掘結果で一発逆転が起こりえると思っています。
少なくとも、個人的には畿内で決まりと考えるのは時期尚早と思います。
正直、卑弥呼の墓説がある、箸墓古墳さえ発掘できれば……。ってところですね。宮内庁さん、何とか頼みますよ。
最後までお読みいただきありがとうございました。
第5話 その後の邪馬台国と倭への応援コメント
邪馬台国が北九州で劣勢のままヤマト勢力に吸収され、最終的に列島を制したのはヤマト王権だったという流れが、論理的に整理されています。魏からの援軍の限界や、東海勢力の存在を絡めた歴史の再構築が面白く、視点が新鮮です。
面白すぎて一気読みしちゃいました。
今後はまた違う題材で執筆お願い致します。
作者からの返信
出来るだけ簡潔にまとめたつもりだったので、一気に読んでいただけたのはとても嬉しいところです。
視点が新鮮といっていただけたのも嬉しい評価です。
他の題材に関する執筆予定は今のところないのですが、歴史は好きなので、また何か思いついたら掲載したいと思います。
大変ありがとうございました。
第4話 よって纏向遺跡は邪馬台国とは思えない。むしろ……への応援コメント
邪馬台国=北九州説を、狗奴国=纏向(ヤマト)勢力とする大胆な逆転視点でまとめた内容ですね。史料解釈に一貫性があり、「劣勢だった邪馬台国」という像が説得力を感じます。
作者からの返信
周知のとおり、魏志倭人伝の記述は、相当あいまいなところも地理的にあり得ない記述もあるので、どのように考えるか難しいところだと思います。
しかし、外交関係にについては概ね信用して良いのではないかと考えています。何せ、国家間のやり取りなのですから。
私としては、この外交関係を軸に考察したいと思っています。
第3話 邪馬台国は日本列島最強の国ではないへの応援コメント
卑弥呼と邪馬台国が魏に援軍を求めた史実をもとに、「邪馬台国は最強勢力ではなく、むしろ狗奴国に劣勢だった」とする論が筋道立てて描かれています。内部の脆弱さや権力継承の不安定さも挙げ、纏向遺跡の強大な勢力像とは対照的で説得力があります。
作者からの返信
そうなのです。
邪馬台国っていうのは、かなり不安定な勢力だったと考えています。
卑弥呼が死んで国が乱れたという事は、逆に言えば卑弥呼がいる間はまとまっていたという事なので、卑弥呼は結構しっかりとした指導者だったと思います。
しかし、それも結局一代の事にすぎなかった、と。
第2話 強大なる纏向の勢力への応援コメント
纏向遺跡の特徴を丁寧に整理し、ヤマト王権発祥地説を強く支持しつつ、邪馬台国説への疑問を「勢力の強大さ」と「魏への援軍要請の矛盾」に結びつけていて、論旨が明快で説得力があります。
確かにという気持ちしかありません。
作者からの返信
ありがとうございます。
纏向の強大さと、魏から援軍が来ている事が、どうしても私の中で整合しないのですよね。
結局その疑問がこの論考の原点です。説得力があると思っていただけたな大変嬉しいです。
第1話 この論考の概論への応援コメント
纏向遺跡を邪馬台国とする説への疑問を軸に、ヤマト王権との関係や魏志倭人伝との食い違いを検証しようとする導入で、テーマと方向性が明確に示されていて読みやすいです。
歴史にロマンを感じます。
作者からの返信
ありがとうございます。
私の歴史論考は、正直ロマン重視なので、ロマンを感じていただけたなら大変嬉しいです。
第5話 その後の邪馬台国と倭への応援コメント
恥ずかしながら纏向という遺跡の存在を知りませんでした。
ちょっとWikipediaで見てきましたが、これはちょっと邪馬台国では無理があると思います。
何より、魏まで遠い気がしますし。
九州ならワンチャン使節の行き来ができると思いますけど、ちょっと奈良県じゃ……。
そこまで考えたところで、こちらを拝見して、そうだよなぁとうなずいた次第。
魏としても、恩を売るなら「弱い」ところでしょうし。
面白かったです。
ではではノシ
作者からの返信
読了ありがとうございます。
逆に言うと、当時の機内に北九州まで勢力下に入れて、大陸とも交流できる勢力が存在した。というのが、畿内説の骨子なんですよね。
私としては、そういう事が絶対にないとは思わないけれど、じゃあなんで魏に援軍を頼んだの?
そもそもなんで、卑弥呼を共立する必要があったの?
というところが疑問になってしまいます。
どちらも、相対的に弱い者がする事だと思うので。
という事での、この論考でした。
楽しんでいただけたならとても嬉しいです。