第13話 少しずつ前へ
巨大ゴブリンとの戦いを終え、森に再び静寂が戻ってきた頃、レントはあかりの様子を見た。息を切らし、頬には汗が浮かび、肩がわずかに上下している。充実感と安堵が入り混じったような顔つきではあったが、同時にどこか疲れ切った印象もあった。
それもそのはずだ。あかりはつい昨日まで、ごく普通の学校に通っていた少女。魔法も魔物も存在しない、平穏な世界から、突如としてこの異世界へ飛ばされ――そして今日、初めて命のやりとりを経験したのだ。
レントはそっと一歩前に出て、穏やかな声で口を開いた。
「……あかり、サリー。今日のところはこの辺で引き上げよう。」
あかりはきょとんとした顔で彼を見上げたが、レントは続けて静かに言った。
「俺は、この世界でそれなりの経験も積んできた。けど、あかりは違う。まだ環境にすら慣れていないんだ。魔法の修行に、実戦……これ以上はさすがに酷だ。」
サリーも、あかりの疲れに気づいていたのか、そっと頷く。
「そうですね。あかりさん、今日は本当に頑張ったと思います。ですが、魔力を扱うには心身ともに余裕が必要ですからね。無理をせず、一度しっかりと体を休めましょう。」
その言葉に、あかりはようやく自分の疲労を自覚したようだった。緊張感が切れた途端、身体がずっしりと重くなり、膝が少し笑う。
「……分かりました。もう夜になってるし、森の中を動き回るのは危ないって聞いたし……それに、私……ちょっと、眠くなってきちゃって……」
あかりがぽつりと呟いたその一言に、レントは微笑みを浮かべた。
「じゃあ、街に戻ろう。あかり、君は本当によく頑張ったよ。」
日が沈みきった森の中、三人は歩き出した。空は深い群青に染まり、木々の隙間からのぞく星々が瞬いている。夜の森は昼間とは別の顔を見せ、風が葉を揺らすたびに不穏な音が響いたが、レントとサリーがあかりの左右を守るように歩くその姿に、あかりは安心感を覚えていた。
街の灯りが視界に入り始めた頃、あかりは心の底からほっと息をついた。石造りの街並み、木の柵に囲まれた門、そして通りに並ぶ行灯のやさしい光が、現実の安全を感じさせてくれる。
宿屋に戻ると、玄関先にいた主人が彼らの姿を見て、柔らかく笑った。
「おかえり。……ずいぶん遅かったね。今日はゆっくり休むんだよ。」
レントが軽く会釈を返す一方で、あかりは頭を下げながら「ただいま戻りました」と小声で答えた。
宿の部屋に案内されたあかりは、扉が閉まると同時にベッドの縁に腰を下ろし、背を丸めるようにして大きく息を吐いた。柔らかな寝具の感触が、戦いの緊張と疲労をそっと吸い取っていくようだった。
「……今日は、すごく長い一日だった気がする……」
ぽつりと漏らすあかりに、サリーがそばにしゃがんで微笑んだ。
「ええ、本当に。でもその分、あかりさんはたくさんのことを学び、乗り越えました。自信を持っていいんですよ。」
レントも壁際に寄りかかりながら、腕を組んで言葉を添えた。
「無属性魔法まで使いこなした新人なんて、俺も聞いたことがない。しかも実戦で成果を出した。……君には間違いなく才能がある。だが、それ以上に大事なのは、怖くても立ち向かったその勇気だ。あれは本物だったよ。」
あかりは顔を赤らめ、照れ隠しのように小さく笑った。
「ありがとう……まだまだ不安なことばかりだけど……今日少しだけ、自信が持てた気がします。」
サリーがあかりの手をそっと包むように握った。
「その気持ち、大切にしてくださいね。明日はまた新しい課題が待っているかもしれませんが、私たちはいつもそばにいますから。」
レントもゆっくりと立ち上がり、あかりに向かって頷いた。
「今日はもう、何も考えなくていい。まずはゆっくり休んでくれ。明日からまた、新しい冒険の始まりだ。」
「……うん。おやすみなさい、レントくん、サリーさん。」
「おやすみなさい、あかりさん。」
「おやすみ。」
二人が部屋を出て扉が閉まると、あかりは再びベッドに身体を沈めた。窓の外には星空が広がり、風に揺れる草の音がわずかに聞こえる。
瞼が重くなり、意識がゆっくりと夢の世界へと誘われていく。
――その夜、あかりは夢の中で、輝く魔法を自在に操り、仲間たちと共に凛々しく戦う自分の姿を見た。恐怖に囚われず、仲間を守り抜き、誰かを救っている自分。夢の中のあかりは、たしかに“理想の魔導士”だった。
現実ではまだ未熟かもしれない。それでも、あかりは信じていた。
いつか、あの夢のような姿に、きっと辿り着ける――と。
静かな寝息を立てるあかりの胸の中には、確かな希望の灯が灯っていた。
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