【脱0PV🔰】初心者の目線と感覚で勝手に語る

わたねべ

自己分析:アイデアの創出について

 現在私のアイデアの出どころは大きく二つに分類できる。

 「既知」と「未知」だ。そしてこれは当たり前に、書き手に限らず、すべてのアイデア創出においてそうであろう。


 そのため、もう少し深堀する。

 まずは「既知」について。

 ただ知っていることを書くだけでは、小説や物語ではないだろう。事実は小説よりも奇なり、というように、創作よりも面白い体験があれば、それも物語になるかもしれないが、私はそこまで面白い人生を送っていない。ゆえに、私は自分の人生をそのまま書き起こすことはない。

 ではここで、「既知」の内容をどうやって物語の主軸となる、アイデアに昇華させているのかというと、それは自分だけの色眼鏡をかけて、普通の事象を見てあげることだった。

 ここでいう自分だけの色眼鏡とは、人生観と言い換えてもいい。

例えば、家族愛を題材とした作品を書く際に、共通の「既知」の内容は、「家族愛とは互いに互いを思い、支えあい、どんな時であっても、決して切れない絆でつながれたもの。」だとしよう。

 これは、一般的な教育を受けた人間であれば、あるいはよほど理解力のない人間でなければ、一般常識として納得のできる内容であろう。

そして、この「既知」の内容に色眼鏡をかけてみてみるとどうだろう。

仲睦まじく暮らし、現在まで、金銭的にも苦労したことのない人物が、家族愛を語れば、それは素晴らしいものだというだろう。そして、ものすごく美しい、白色の物語を書き上げる。

 それに対して、ひどい虐待を受けて育った人間に家族愛を語らせたらどうだろう。家族の愛とは、どれだけ望んでも手に入らないものであり、しいて言うなら、自分をいたぶる家族が、死んでくれればそれが一番自分のためになると、先ほどとは打って変わって、限りなく黒に近い濁った物語を書き上げるだろう。

そしてこれは私の感想だが、このように極端な色眼鏡で物事を見ている人間の作品の方が、心が揺さぶられて面白いと感じるのだ。


 次に「未知」についてだ。

 これは想像に難くないだろう。

例えば、妖怪などはいい例だ。自分では理解できない現象について、考え、想像を巡らせた結果、今までになかった新しいものが生まれるのだ。

そして「未知」の内容も「既知」の内容と同じように、事実を淡々と描くだけでは物語としてはつまらない。そのため同じように、自分だけの色眼鏡をかけてその事象を見極める必要がある。

 これまでの人生で、学んだことや知りえたこと体験したこと感じたこと、それらを総動員して「未知」の事象に妄想を膨らませることで、その人だけの癖のある物語が出来上がるからだ。

 私はこの才能が、人よりもかけている。多くのことを知っているというわけではない。知らないことはたくさんあるが、それらに興味を持つことなく、そういうものなのだと受け入れてしまったり、利口ぶってきっとこうなのだろうと、自分の中の情報のみで完結させてしまうからだ。

 とはいえ、これを「義務教育と社会規範で作られた骨組みを疑うことが、面白い物語を書く一歩になるんじゃないか?」などと他責するのは大間違いだ。知らないことを誇るのは愚かだが、知らないことを恥じず、知ろうとする癖を自分でつけていかなければ、結局は物語の創出には繋がらないからだ。


 今は、「既知」の内容を自分だけの言葉で伝えることも、「未知」の内容を自分だけの解釈で伝えることも、まだまだ稚拙ではあるが、今後も手を動かし続け、他者の感想から感性を吸収し続けることで、成長していきたい。


 以上、初心者書き手によるアイデア創出に関する情報整理でした。

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