おいでやす、クトゥフル探偵社! (前編)
隅田 天美
第1話 おいでやす、クトゥルフ探偵社 (前編)
冷たい靴音だけが周囲に響く。
目の前の男は、無機質に並ぶ壁の扉などを無視して目的の場所まで依頼人を案内する。
「ここです」
先を歩いていた男が振り返った。
魚のような顔。
いや、魚そのものの顔。
だが、声は意外にも紳士的だ。
--第二秘文科
金色のプレートに彫られて漆黒の字が眩しい。
その下にはセロハンテープでこんな文言が書かれていた。
--おいでやす、クトゥルフ探偵社
如何にも子供が書いたようなアンバランスな字だ。
魚男がドアを数回、指で叩く。
「クトゥルフ様、電話したダゴンです。依頼人をお連れました」
扉が開いた。
眼鏡をかけ、皺のないタキシードを着た老人がドアを引いたのだ。
「……おいでませ、クトゥルフ探偵社へ」
中に入って白装束に天冠をした若き女性は、その室内に圧倒された。
それまで、薄暗い中央塔から、朝日が差し込む図書室に入った。
両脇には様々な書籍が並べられ、窓辺には使い込まれたアンティークな事務机と椅子があり、その手前に一式の来客用ソファーやローテーブルがある。
上座用のシングルソファーに小さな緑色の人形があった。
真ん丸の頭に小豆大納言のような目が二つ、口には短い脚が四本、ずんぐりむっくりの胴体に手足がついている。
「まいど!」
その人形が動いた。
パタパタと器用に小さな背中に生えたドラゴン(?)の翼を動かして、女性の前に来た。
「ようこそ、クトゥルフ探偵社へ。 うち、所長のクトゥルフです」
関西訛りで人形は自己紹介をした。
「く…… クトゥルフ?」
驚く女性にクトゥルフは説明をした。
「細かいことは省くけど、簡単に言えば、神さんたちが生まれる前に地球を支配していた宇宙人ですわ」
と、その首根っこを執事らしい男が眼鏡をはずして詰まんだ。
「おい、この恥ずかしい格好を何時までさせるんだ⁉」
「なんや、春平。結構、様になっとるで」
「お前のコスプレ趣味に付き合う気はない……」
蝶ネクタイを外し、髪を手櫛で整える。
老人とはいえ、結構魅力的な顔をしている。
生前はモテていたのかもしれない。
「こいつの名前は
「誰が助手だ⁉ 大家だぞ⁉」
わいわい騒ぐ二人を茫然と見つめる白衣の女性、そして、多忙で客用ロングソファーに寝ているダゴンが鼾をかいていた。
十数分後。
ダゴンと女性の前にはお茶とお菓子としてアラレが置かれていた。
クトゥルフと春平には自身の湯呑にお茶がある。
「私、
女性が自己紹介をした。
「大まかなことは書類などで聞いています。 確か、職場の虐めと過労で首をくくったとか……」
春平がアラレをぼりぼり食べながら聞いた。
「はい……そうです」
思い出して泣き出しそうなのを必死でこらえながら彼女は頷いた。
「で、復讐か? だったら……」
「あー、ちょっと内容が違いますね」
クトゥルフの言葉にダゴンが遮る。
「私、地縛霊になってしまい、部屋に誰にも住まなくなったんです。でも、ある日、ある男性が入居してきたんです」
春平が茶をすする。
「ほう…… あなたを見ることのできる……」
「いえ、彼は霊感はありません」
「はい?」
「こちら、地場さんによる念写してもらった彼です」
春平もクトゥルフも驚いた。
どうみても、世で言うのなら「汚らしいオッサン」の典型である。
「彼、私と言うものがいるのに自慰行為をしたり…… ワイルドすぎて一目ぼれしたんです」
「はぁ…… でしたら、何でここにいたんです?」
女性が照れていた表情を引き締めた。
「私、彼のために地縛霊から土地神になるために試験を受けて合格しました。でも、資格を得るには純白な魂でないといけません。そこに弟の生霊が干渉して土地神になれないんです」
「…… まあ、我々としても土地神の高齢者問題が深刻で彼女のように進んで若い霊が神になるのはこちら側としてもありがたいので、できれば穏便に……」
ダゴンの懇願を聞きながら、クトゥルフは春平を見た。
「何や、なんか楽しいことでも考えついたか?」
温くなった茶をすすりながら春平は断言した。
「そうですな、大抵なら首と胴体を離してお終いですが、ちょいと趣向を変えましょう」
「依頼金は……」
「あ、それはお気になさらず。こっちから勝手に徴収するので……」
そう言いながら春平はにんまりと笑った。
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