転生メイドはマウント王子を泣かせたい

鈍野世海

第1話 転生しました

 満月は赤い光を煌々と放ち、夜空は不気味な紫色に染まっている。

 オーラン王国北西部に位置する、ブラーゼン大山おおやまの大空洞。本来は神聖で清澄な空気で満ちているはずのそこには、今は灰色の霧が不穏に立ち込め、魔物が黒山のように犇めいていた。

 今宵の騒動をおさめるべく駆けつけた主人公・・・たちは剣戟と魔法を繰り出しそれらを斃していくも、地面に無数の黒い水たまりのようなものが浮かび上がっては、そこからまた新たな魔物が、次から次へとひっきりなしに現れる。

「いくら数が多いと言えど、下級魔物相手にてこずりすぎじゃないか? 異郷の英雄殿」

「っく……!」

 主人公、カロは目の前の魔物を水魔法で薙ぎ払いながら背後に聞こえた冷笑に振り向く。

 そこにはひとりの青年が立っていた。

 月光を編んだようなさらりとした金髪、紅玉の瞳、色白で端正に整った面立ち。大変美しい容姿を持つ彼は、均整の取れた身体にカロと同じ魔法学校の制服を纏い、さらにその上から黒衣を羽織っていた。

 彼の名はレーヴ。この国にいる五人いる王の内のひとり、風王ふうおうの次男——つまりこの国の第二王子がひとりにして、此度起きた〝赤月の魔宴〟の首謀だった。

 今にも魔法を放とうと杖の先を向けてくるカロに、レーヴは剣も杖すら抜かずにぃっと笑むと、ぱっと姿を消す——。

「この国を、民を救いたいんだろ?」

 かと思いきや、またカロの背後から声がした。

「異郷の出だというのに何たる献身か。しかし、今の間までは届かないな。お前の切っ先は俺のもとまで届かない」

「このっ……!」

 まっすぐで感情的な主人公らしく、カロは怒りと悔しさに顔を歪めてまた振り向くと、目と鼻の先に魔物が迫っていた。

「カロ、油断するな!」

 それを銀髪の青年が上から剣で切り伏せる。カロにとっては魔法学校の先輩、そしてレーヴの昔馴染みである空王くうおうの孫、ナーデルだ。

 ナーデルはいつの間にか大空洞入り口近くに移動していたレーヴを捉えるなり鋭い睨みと杖を向け、雷魔法を容赦なく放つ。普段の温厚さはすっかり鳴りを潜めていた。しかし、レーヴは杖を構えていなければ詠唱もしていないというのに、黒々とした風魔法を放ちそれをあっさりと退けた。

「ナーデル、お前も腕が落ちたんじゃないか? この間の演習で手合わせしたときの方が……ああいや、あのときはまだこの力を獲得していなかったからな。お前が弱くなったのではなく、俺が強くなっただけだった」

「レーヴ、お前は何がしたいんだ。なぜ邪道に走った。なぜこんなことをする!」

「お前らには分からないことさ——ああ、お前たちとの戯れもついに終わりのようだ」

「なにっ……!」

 大空洞入り口に現れたその人に、ナーデルは瞠目し、レーヴは胸に手を当てその場に跪く。

「お待ちしておりました——お父様」

 風王、ゼーン。熟年でありながら屈強な体を持つ彼は、厳かな雰囲気を纏っている。

 ゼーンはレーヴを一瞥し、それから数歩歩み出ると、低く渋い声で詠唱魔法を使った。

 赤い満月の前に黒い靄が現れ、凝縮し、やがて膨らむ。それが弾けた次瞬、そこに一体の巨大な獣が現れた。

 頭は獅子のように獰猛で、体は鎧のようにかたそうな鱗に覆われ、四肢は馬のように逞しく、蝙蝠のような翼で羽ばたいている。その獣は蛇のようなぎょろりとした瞳をぐるりと動かし周囲を見渡していたかと思うと——まるで狙いを定めるたかのように、レーヴを捉えた。

 他の魔法士や主人公たちと同様に呆然と空を仰いでいたレーヴが、笑みを浮かべながらも少し慄いた様子で尋ねる。

「父上、こちらの召喚獣は」

「この者は宿願の使者だ」

「厳格と実直の風王……まさか、あなたも今回の件に関わっていたのですか?」

 ナーデルは年功を重んじながらも、決して引く様子のない厳しい眼差しをゼーンに注ぐ。しかしゼーンはそれらに答えるどころか気にも留めず一歩、また一歩と獣の方に近づいていく。犇めく魔物の群れは、まるでゼーンに道を作るかのようにふたつに割れる。

「私は今日という日をずっと待ち望んでいた」

 ふ、とゼーンは息を零す。

「今日という日のためだけに、私はお前を生かしてきたのだ」

 ふ、は、はとゼーンは息を——いや、溢れて堪えようのないように笑いを、零す。

 獣の直下に到着したゼーンは、ゆっくりと振り向く。眼球が零れ落ちそうなほどに見開かれた、赤と黒の光にぎらぎらと照ったその目は、その頭上の獣と同じく、間違いなくレーヴを捉えた。

「忌まわしき子よ」

「は……ち、父上……いったい、なんの……ッ!?」

 一陣の黒い風がゼーンの歩んできた道をまっすぐに突き抜け、レーヴに纏わりつく。そしてその身を浮き上がらせると、獣の前へと導いた。

「な、なんで。どうして、どうしてですか、父上」

「リーリエのためだ」

「リーリエって……お母様は、俺を生んですぐに落命したのではなかったのですか……!?」

「だから再生を願おうとしているのだろう?」

 物わかりの悪い息子を窘めるように、ゼーンはもっともらしく嘲りを含んだ声で宣う。

「彼女の運命の岐路にあったお前を、彼女の血を引くお前を、宿願の使者が喜ぶ魔をたっぷりと蓄えさせたお前を! 忌まわしきお前を贄にすることで私の宿願は果たされるのだ!」

 ゼーンが両手を広げる。いつもは氷雪のように冷えた表情を浮かべるその顔が、一気に恍惚に染まった。

「さぁ、宿願の使者よ。我が望みを叶え給え——強大な魔力を孕み、リーリエの血を継ぐ贄を呑み、リーリエをこの地に再び呼び起こし給え!」

 ゼーンの高らかな呼びかけに応えるように、宿願の使者がその口を大きく開いた。

 大きな闇を前にしたレーヴは、ひゅっと息を呑む。その瞳に、表情に、恐怖に満ち、反抗が滲み……しかしやがて、レーヴは脱力した。その様子に、先まで争っていたはずの、それでも昔馴染みであるナーデルが「レーヴ!」と呼びかけるが、紅玉の瞳は少しもそちらを向かない。

「……父上」

 静かに瞬いたそのこどもは言う。

「俺が。俺が贄となれば……あなたの望みを叶えられれば……あなたは今度こそ俺を、褒めてくださいますか」

 ゼーンは息子を一瞥すると、レーヴとは異なる灰色の瞳をそっと細めた。

「ああ、褒めてやろう……いい子だ、レーヴ」

 明らかな侮蔑の滲んだそれに、レーヴは一体どんな感情を覚えたのか。瞳を揺らして、震えた吐息を零すと、綺麗な形をした眉尻をそっと下げた。

「……はじめて、褒めてくださいましたね」

 ——父上。

 そう続きけかけたレーヴは、しかしそれ以上を音に出せないまま、獣の口腔に招かれた。

 ばき、ぼきと骨が折れ肉が千切れる音が響く。

 ナーデルは口元を手で覆い、主人公も呆然と立ち尽くす。悍ましい光景を前に、誰もなにも言葉を発することができなかった。

 やがて、獣が咀嚼を終え嚥下するためにぐっと喉を逸らしたとき、空王と従者が大空洞に到着した。老齢の彼は、日頃は糸のように細めている目をたっぷりと見開く。

「あれは……百年前の厄災、人魔大戦の際に我が国で封じられた魔物……!」

 その言葉終わりとともに、地鳴りが響き、赤い光があたりに満ち、魔物たちが次々と雄叫びを上げる。どうにか魔物を退けながらも、誰もがその眩耀に堪えられず目を瞑った。

 ようやく光が収まり、皆がゆっくりと瞼を持ち上げると、先まで獣がいたところにひとりの人間が浮かんでいた。

 金の髪に赤い瞳、色白の肌。レーヴに似た大変美しい容姿をした女性だった。

 女性はゆっくりと地上に降り立つ。興奮に満ちたゼーンが彼女に駆け寄る。

 その者こそがゼーンの宿願、リーリエであることは一目瞭然だった——禁忌とされる再生の魔法が果たされたのだと誰もが驚愕した。

 しかし。

 リーリエは目前にやってきたゼーンににっこりと微笑むと、腕を振り上げその手に光の刃を生み出し掴み——そして放った。その刃はゼーンの心臓を貫いたのだった。


 *


 テレビ画面に流れ出すエンディングを眺めながら、アストは複雑な面持ちでため息を吐いた。

「……いつか退場しそうとは思ってたけど、本当にするとは」

 シリーズ累計発行部数三千万部を突破した人気ライトノベル「マジックスクール・オブ・ライフ」略して「マジスク」。

 日本の男子高校生だった主人公・カロがとある事故をきっかけに誰もが魔法を当然に扱える世界の魔法学校に召喚される。魔法の才を持たない主人公は稀有な人材として保護され、特別生として魔法学校に通い、非凡な青春を過ごすことになる……言ってしまえば王道異世界転生ファンタジーというやつだ。

 そして、王道らしく主人公に突っかかる嫌味なやつも登場する。それがレーヴだ。

 一学年上級生で、他者を見下し、弱者を厭い、自分を少しでも俊傑に見せたがる虚栄心の塊。カロが入学する以前から気弱な落第生を虐めたり、才覚はあるが家柄が平凡な生徒には圧力をかけて退学させたこともあったのだとか。

 魔法を使えないカロも当然の如く標的にされ、それはもうさんざんに馬鹿にされマウントを取られることになる。

 だが、カロは物語の主人公らしく、様々なただならぬ出来事を経験して、秘められた能力を覚醒していく。そんなカロをレーヴは次第に出る可能性のある杭と見做し、悪意の槌を向け、時には主人公を命の危機に追いやる。しかし、相手は天下の主人公様だ。レーヴから嫌がらせを受けるたびにカロは新たなスキルを身につけたり、元来の人柄で得た友人たちの力を借りて切り抜けていく。さながら「ビジュだけ国宝級のかませマウント王子」といったところか。

 原作ファンの妹から熱烈に勧められ、絶賛放送中かつとっつきやすいアニメから手を出してみるかとアストは「マジスク」を見始めたのだが、毎話レーヴにイラついていた。

 魔法の才能はあり優秀なのにどうして他を貶めるのか、マウントのワードチョイスも鼻につく、とにかく腹が立つやつ、なんだこいつ!

 ……そんな感想をできる限りやわらかい表現にして妹に伝えるたびに、「レーヴもただただ悪いやつじゃないの! 本当に! お願いだから、レーヴのマウントに負けないで最後までアニメ見てね!」と説得された。妹はどうやらレーヴが推しというやつらしいからフォローしているだけではないか、と思いつつ、レーヴのマウントに負けて見るのをやめるのも癪だったから見続けたのだが……。

 今夜放送された第十話を見ると、なるほど、たしかに。毎話のように腹を立てていた相手を、ただただ嫌うことはもうできなくなってしまった。

 オーラン王国にとってめでたい祭典の日に各地で魔物が大量発生する異変が発生、それを手引きした犯人が、異世界からの来訪者という理由だけでカロのせいではないかと冤罪をかけられたのが先週のラスト。

 第十話は、捕らえられそうになったカロを仲間たちが助けるところから始まり、彼らの活躍によって真犯人がレーヴであることが判明する。以前から気に入らない相手には嫌がらせで片付けるには過激なことをしていたが、国まで巻き込んでしまうのはどうなんだ、お前が唯一敬愛している父も風王として統治に携わっているのに、本当に何を考えているんだ、と前半パートまでは思っていた。

 ブラーゼン大山の大空洞でレーヴがなにかを企んでいるという情報を得た主人公は駆けつけ、レーヴと対峙しそして、今回の件の真の黒幕が風王・ゼーンだったことが明らかになる。

 ゼーンがレーヴよりも彼の兄であるルフを大切にしている描写は以前からあり、それは次男の歪な性格を見かねてのことだと思っていた。しかし、ゼーンのリーリエに対する狂気的なまでの執着と熱情、そしてリーリエの容姿的特徴を色濃く受け継いだだけでなく、その誕生が彼女が死の岐路となったらしいレーヴ。

 レーヴがあの性格に至ったのは、ゼーンが彼に複雑な感情を持ちまともな愛情を注いでこなかったからなのではないか。レーヴはたったひとりの親の愛を欲し認めてもらうべく、自分の価値を証明しようと足掻き続けその結果、虚栄心を肥大化させ歪んでしまったのではないか。

 自尊心を満たすために他を貶めたことも、父に認められたくて国を混沌に陥れたのも、許されることではない。いつか退場しそうとは思っていたし、やっぱり好感は持てない。それでも……唯一絶対的存在のように仰いでいた父親に切り捨てられ、切り捨てられてもなお承認を希求し、得られなかった。そのこどもの姿は、アストの胸をきつく締めつけた。

(原作だともっとあいつに関するエピソードあんのかな)

 アニメを見終えたアストは、コンビニに夜食を買いに行くべく、雨の路を歩きながらぼんやりと考える。

 気に食わずともあんなバッグボーンに少しでも触れて想像も巡らせてしまえば、気になってしまうというもの。これを機に原作に手を出してみるのもいいかもしれない。妹と話せることも増えるだろうし。

 明日の帰りにでも飼って帰るか、なんて思っていたときだった。

 けたたましい音が響いたかと思うと、眩い光がアスト目掛けて突っ込んでくる。

 それが濡れた道でスリップを起こしたトラックだと気づいたときには、アストにはもうなす術はなかった。


 ——それで二十五年の人生に幕を下ろした、と思っていたのだけれど。


 ひんやりと固い感触。遠くから近づいてくる複数の足音。お腹と背中がくっつきそうなほどの空腹。

 重たい瞼を持ち上げると、石の床と壁に囲われ、正面には堅牢な鉄格子がかかった部屋に自分はいた。

 紅葉のような小さな手をついて上体を起こす。ぼんやりと辺りを見回していると、鉄格子の向こう、壁にかかるトーチの微光に照らされた廊下に、この空間になんとも不似合いなこどもが姿を見せた。

 齢は七、八ほどだろうか。月光を編んだようななめらかな金の髪を持ち、大きな瞳は紅玉のようで、幼いながらも非常に美しい容姿をしている。纏う深紅を基調とした衣装はいかにも質がよさそうで、一目で貴族であることが窺えた。

 彼の後ろには、一歩引いたところから彼を見守る褐色肌に薄色の瞳を持った精悍で長身の青年と、ごまをするように手を揉むにやにやとした不精髭の男がいた。

 ふたりの大人を引き連れた男の子はこの部屋の前で足を止めると、腕を組み、瞳と顎をわずかに上向け、こちらをじっと見下した。

(あ)

 その赤い瞳と視線が絡んだ瞬間。自分の脳内にふたつの人生の記憶が交錯した。

 その中に刻まれていた、憎らしくも切ない運命を辿ったとあるキャラクター・・・・・・と、目の前にいる男の子の容姿が、年齢差はあれど重なった。

「レーヴ……?」

 唇からついぽろっと零した声は、小さな声だったが反響し、当然目の前の男の子の耳にも届く。

「へぇ。田舎育ちの半獣族はんじゅうぞく風情が、俺のことを知っているのか」

 瞳を細めた男の子は、ふんと鼻を鳴らし、口端を持ち上げ不遜な笑みを浮かべる。

「多少の社会知識があるのは評価に値するが、躾はなっていないようだな。俺のことを知っているのなら、俺の立場も分かっているんだろう? 人間に狩られた愛玩動物候補如きが、風王第二王子に向かって許可なく口を開いて名を呼んだ挙句、敬称のひとつもつけないとは」

 この容姿、尊大さ、そして風王第二王子という肩書。間違いなく、レーヴだ。

 ということはここは「マジスク」の世界で、自分は異世界転生というやつをしたのか。あのとき、トラックに轢かれて……。

 アストがかつて暮らしていた剣も魔法も飛び交わない平穏な世界から考えると、あまりにも突拍子がなく信じ難い、空想上フィクションでしか起こり得ない出来事だ。だが、これが夢や幻覚だとは思えない。この体にはアストの記憶だけではなく、この世界で八年間生きてきた、五感と感情を伴う記憶がはっきりと残っていた。

 この世界での自分は、半獣族——人間と動物の特徴を併せ持つ、被支配層に位置する存在だった。自分は猫の特徴を持ち、舌が少しざらりとしていたり、人としての耳とは別に頭にも髪と同じ黒い毛を纏った三角耳が生えていたり、お尻にはひょろりとしたしっぽが生えていたりする。

 半獣族は普通の人間と比べて魔力が著しく低い。そのため、魔法を使えることが前提の社会が築かれている街ではろくな仕事を得られず、魔物に襲われたら戦えないため死一直線だ。ただ五感だけは鋭いから、同族同士で身を寄せ合い助け合い、少しでも危機を察知したら皆でひそやかに暮らす地を移動して生きていくのがほとんど。

 アストも少し前までは半獣族の一団の中で暮らし、まだ八歳の幼いこどもとして大切に庇護されていた。

 だがあるとき一団は不運にも強力な魔物の襲撃に遭い、散り散りとなった。自分は大人たちに守られ促され命からがら魔物から逃れることはできたのだが……その先で人間の狩人に捕まった。

 半獣族は魔法は使えないが、皆容姿が非常に優れている。そのため、半獣族を愛玩動物、装飾品、奴隷……様々な用途で飼う貴族は少なくなく、半獣族専門の狩人がいたり、生物市場で高値で売買されている。半獣族の敵は魔物だけではないのだ。

 およそ一週間ほど前、狩られたアストはこの生物市場に連れてこられた。世話係の手で身を清められ、首輪と手錠をつけられ、通路を挟んで左右にずらりと並ぶ檻のうちのひとつに放られ、以来愛玩動物を物色しに来た貴族たちの見世物にされていた。

 そして今日、レーヴとの出会いにより、前世の記憶を思い出した……好ましくないと思っていた相手がトリガーになるのは、なんとも妙で納得はいかないが。

「ふむ、見目だけならこれまで見てきた半獣族の中で一番いいな」

「ビジュだけかませマウント王子」と呼ばれる男がよく言う。もし彼のスピンオフ作品でも存在し、物語の序章にこのシーンがあったとすれば彼の最終章で伏線扱いされそうなセリフだ——けれど、たしかに。前世の記憶を取り戻すまでは自分の容姿にちっとも頓着せず注視したことがなかったが、レーヴの瞳に反射する自分の容姿はかわいかった。

 少し癖のある黒い髪、そこからひょっこりと生える同色の猫耳。ときどきぴくりと動くところがなかなかどうしてあざとい。灰青の瞳は大きく、宝石のように澄んでいる。面立ちは端正かつ幼さも相まって中性的で、色白の肌も頬だけは天然でほんのりと朱に染まっている。

(え、めちゃくちゃかわいいな、俺)

「マジスク」の原作は未履修、アニメは完走前に命を落としてしまったため十話までしか見ていないが、少なくともその範囲でこの半獣族をアストは見たことがない。いつか登場予定があったのか、それとも本編と縁がないところで生きていたのか。「マジスク」人気ランキングがあったらこの容姿だけで上位取れそうなのに、妹に聞いてみようか——あ、もう聞けないんだった。

「躾がなっていないのも、躾甲斐があると考えたら悪くないだろう」

「……は?」

 自らセンシティブな思考に突っ込んでしょんもりとしていると、レーヴがとんでもないことを言い出した。どうした、なにを言っているんだ、このガキは。

 いや、でも。レーヴの取り巻きにだって、風王の主統治領地や王宮が描写されたときだって、この顔はなかったし、まさかそんな……そんなね?

 なのになぜだろう、嫌な予感が止まないのか。

「こいつに決めた」

「えっ」

「ありがたく思え。タマ」

「タマ!?」

 どこから出てきた名前だ。この肉体の元の名前はタマじゃない……というか物心ついたときには両親を亡くし名前を知らなかったから半獣族一団にいたときは「猫くん」と呼ばれていたし、ここの商人たちからは商品番号「22」と呼ばれていた。この世界もタマは猫の名前としてポピュラーなのか。そうなのか。

 レーヴは身をわずかに屈め、鉄格子越しにアストに顔を近づけ、紅玉の瞳を細める。そして、たっぷりの高慢を持って告げた。

「五王が一人、風王の第二王子であるこのレーヴ様がお前のことを飼ってやる」

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