日常の端に立つもの
カント
新しい畳の匂い
奇妙な程に新しい畳の匂いがしたのだそうだ。
友人たちとの旅行先で泊まった温泉旅館だった。気の置けない友人たちと、恐らくは数十年ぶりの一泊二日。みんな子供は立派に成人しているし、孫が生まれている者もいた。そんな中で都合をつけられたのは本当に幸運だろうし、さぞかし楽しい旅行だっただろう。その夜以外は。
旅館は古くはあれど、掃除の行き届いた宿だった。従業員もみんな丁寧だ。だから部屋に通された時に嗅いだ新しい畳の匂いも、少しだけ奇妙に感じたものの、すぐに頭から離れた。実際、友人たちも何も気にしていない様子だったそうだ。
料理に舌鼓を打ち、のんびりと温泉に浸かって、和やかな気分で布団に入った。お休み、と口々に言いながら部屋の電気を消してから異常は起きた。
パン、パンと、手を叩く様な音がする。
当初は気にもせず眠ろうとしたそうだが、音はずっと鳴り続けた。やがて誰ともなく電気をつけ、「何の音だろう?」と話し合った。
不思議なことに電気をつけると音は鳴らなくなった。首を傾げつつ彼女らは再び横になった。
電気を消す。
するとまた、パン、パンと音がする。
今度はすぐに電気をつけた。音が止む。だが流石に気味が悪く、彼女らは旅館のフロントに向かった。
フロント係は話を聞くと、到着時と変わらぬ丁寧さで彼女らと応対した。そして何度も謝りながら、すぐに新しい部屋を用意してくれたのだという。
用意された新しい部屋に入って、彼女らは驚愕した。元の部屋よりも一際大きい、豪勢な部屋だった。
その部屋の畳が格別新しいということは無かった。案の定、電気を消しても奇妙な音は一切聞こえず、朝までゆっくり眠ることが出来た。
話の終わりに、彼女は「今でも忘れられない」と言った。手を叩く様な音を、ではない。新しい畳の匂いを、だ。そしてもう一つ。
音の話をしたときにフロント係が見せた、「ああやっぱり」という表情も。
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