かぐや姫の孫

あーく

かぐや姫の孫 遭遇編

 ――月の裏側。


 灰色の荒野には静寂が満ちていた。


「……本当に行かれるのですね」

「ええ」

「生きて……帰ってきてください」

「この私がしくじるとでも?」

「そうではありません。ただ……あなたさえ無事なら、それで」

「心配には及びません。私の手にかかれば、数日で任務は完了します」

「……どうか、気を付けて」


 無音の闇を裂き、一人の少女を乗せたロケットが月を飛び立つ。

 それを見送りながら、老いた声がそっと闇に溶けた。


「私の思い、届いているとよいのですが……」






 ――地球。


「『今は昔、竹取の翁といふものありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり。名をば、さぬきのみやつことなむいひける。その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありける。』――さて、中学校で習ったと思うが、この文に出てくる文法は重要だぞ。例えば、『なむ+ける』。これは係り結びと言って――」


 授業は退屈だった。

 成績が特段よいわけではないから、真剣に話を聞くべきなのは分かっている。だが、どうしても興味が湧かない。

 例えば『竹取物語』。もし、かぐや姫が宇宙から来た戦士で、老夫婦に育ての恩を返すために、地球に攻めて来る宇宙人をバッタバッタとなぎ倒す――そんな話なら、もう少し夢中になれたかもしれない。

 そんな妄想を浮かべながら、何となく窓の外に目をやった、その時――


 ……女の子だ。

 空へたなびく長い黒髪。

 セーラー服――しかも、うちの学校の。

 屋上から飛び降りた?

 自殺!?


 この一瞬だけ、時間がゆっくりに感じた。

 死ぬ直前に全てがスローに見える、なんて話は聞いたことがある。でも死ぬのは自分じゃない。あの女の子だ。

 通常再生に戻り、女の子は窓からフレームアウトした。

 キミヒコは思わず立ち上がった。


「親方! 空から女の子が!」

「誰が親方だ、竹中たけなか。緒方先生と呼べ。映画の話は休み時間にしろ」

「いや、映画じゃなくて! 本当に! 窓の外に――女の子が!」

「窓の外ぉ? ここ三階だぞ? 夢でも見たんじゃないのか?」

「だってほら! 窓の外に――」


 窓を開け、身を乗り出して下を見る。

 ……が、誰もいない。


「あれ……?」

「授業中に寝てるから夢なんか見るんだ。罰として続きを読んでもらおうか。そうすれば目もバッチリえるぞ」


 周りのクラスメイトはクスクスと笑っていた。

 夢――確かに、キミヒコは非日常を夢に見ていた。それが幻覚として現れたのかもしれない。


 昼休みの時間になり、落下地点と思わしき場所へ足を運んだ。

 人影どころか痕跡も残っていない。

 そういえば、落下してきたのは三階より上――屋上だ。そこに行けば何かわかるかもしれない。

 そう思って屋上に来たものの、落下防止のフェンスしかない。やはり何かの見間違いだったのだろうか。

 フェンス越しに遠方を眺めると、町並みから裏山まで辺り一面が見渡せた。吹き抜けてくる風も心地よい。


 その時、裏山から強烈な光が走った。こんな昼間でもハッキリとわかるほどの輝き。

 急いでその光源を目指して走った。山といっても富士山のような山とは違い、運動部が走り込みで使うような低い山だ。それでも登れば息は切れる。

 山頂に辿り着くと、あのつややかな黒い髪が目に映った。

 ――あの時の女の子だ。やはり幻じゃなかった。


 彼女もこちらの視線に気づいた。


「誰だ」


 切れ長の目がまっすぐこちらを射抜く。白い肌と黒い髪が対照的で、一瞬で心を奪われてしまった。


「あ、あの、怪しい者では――」

「見たのか?」

「見た? 何を――」


 冷静になって思い返すと、いろいろ見てしまっていた。空から落ちてきたこと、屋上で見たあの光。

 ……そして、この少女の存在そのもの。


「その様子、やはり見られたな」


 黒髪の少女は懐から拳銃を取り出し、ためらいなく銃口をこちらに向けた。


「ならば消すしかあるまい」

「ひえ~~!」


 引き金に指をかけた瞬間、音が鳴り響く。


 ぐぅぅぅ……


 山中に響いたのは銃声ではなく、腹の虫の声だった。離れていてもよく聞こえた。


「……お腹、減ってるんですか?」


 女の子はその場にバタリと倒れ込んだ。


「ダメだ。力が入らない。携帯食も着陸時に落としてしまったし、私もどうやらここまでのようだな……」

「そんな大袈裟な……」


 キミヒコは右手に持っていたアンパンを袋から取り出し、女の子の口元へ運ぶ。


「ほら、食べなよ。本当は屋上で景色を見ながら食べるつもりだったんだけど」


 少女はすぐさま体を起こし、一口かじった。


「……甘い。中に入ってる粒々は――小豆だな!?」

「よくわかったね。これはアンパンって言うんだよ」

「アンパンか。覚えておこう」

「他にも聞きたいことは山ほどあるけど、休み時間が終わっちゃうからまた今度ね」

「待て。お前、名は何という」

「僕は竹中たけなか 公彦きみひこ。それじゃ」


 チャイムと共に山を駆け下りるキミヒコ。その背中を、少女はアンパンを頬張りながら見送った。



* * *



「キミヒコはどこだ」


 クラス全員の目が、扉に立っている少女の方を向いた。

 先生も戸惑っている。


「あの……授業中なんですけど……」

「私が質問をしている。答えろ。キミヒコはどこだ」


 その高圧的な態度に誰もが息を呑む中――


「わぁー! すみません! すぐ終わりますので!」


 慌てたキミヒコが立ち上がり、女の子の腕を引いた。


「授業中に来てもらっちゃ困るよ!」

「では、いつならいいのだ?」

「放課後、ゆっくり話聞くから!」

「その放課後とやらはいつだ?」

「あと二時間くらいだから! ね! お願い! 静かに待ってて!」

心得こころえた」


 教室はまだざわついていた。先ほどの少女の話題で持ちきりのようだ。


「あの子、誰? うちの学校にあんな綺麗な子いたっけ?」


 隣の席の男子からも話しかけられる。


「竹中。あんな可愛い彼女いたんなら紹介しろよな」

「いや違うから!」


 放課後、裏山へ場所を移した。ここは滅多に人が来ないから安心して話ができる。


「そういえば名前がまだだったね。なんていう名前なの?」

「カグラだ」

「よろしく、カグラちゃん。クラスはどこなの?」

「……クラス?」

「君みたいな綺麗な子は見たことないからさぁ。三組? それとも四組? もしかして、一年生かな?」

「所属のことか。私はS級部隊隊長だが、それが何か?」

「そうか、S級部隊隊長――って、えええ!?」


 度肝を抜かれた。


「部隊!? 自衛隊か何か!?」

「宇宙戦争用の軍事部隊に決まってるだろうが」

「『決まってる』って知ってて当たり前みたいに言うな! ってか、クラスってそういうことを聞きたかったんじゃないよ! え? てことは何!? 君は宇宙人か何かなの!?」


 カグラはフッと笑みを浮かべた。


「そうだな。キミたち地球人から見たら、私は宇宙人ということになるな」


 それを聞いて体の震えが止まらなかった。


「やっぱり! 屋上から飛び降りたのは君だったんだね! どうやって助かったの!?」


 好奇心と興奮からくる震えだった。


「どうやっても何も、普通に飛び降りただけだが?」

「普通に飛び降りたら死ぬよ! 死ななくても骨折だよ!」

「そうか。地球の重力であれば当然か。この衣服クロスが着地の衝撃を吸収してくれたのだ」

「クロス?」

「『TAKE-CLS-003 全能衣服マイティクロス』。防火、防水はもちろん、あらゆる衝撃も吸収してくれる」

「いや、どう見てもウチの制服にしか見えないんだけど……」

「データさえあればどんな見た目にも変えられる。事前に調査していたのでな、ここの生徒に溶け込めるよう変装したのだが、どうやら逆に目立ってしまったようだ。おかしい、私の変装は完璧なはずだが――」

「いや、目立ったのは服装の問題じゃないと思うよ」


 カーン、と下校を告げるチャイムが鳴る。空は徐々に薄暗くなり、部活動をしている生徒の声だけが残っていた。


「もう下がってよいぞ」

「下がってって……カグラちゃんはどうするつもりなの?」

「ここにシェルターを張る」


 カグラは鞄から手のひらサイズの金属球を取り出し、地面にほうった。

 球体はみるみる膨らんでいき、二、三人は暮らせそうな簡易シェルターに姿を変える。


「『TAKE-SLT-014 完全防護殻Perfect-Protected-Pod』――通称ポッド。今日はこの中で一晩過ごす」


 未知の技術を次々と見せられ、驚くばかりだ。


「住む場所はいいんだけど、ご飯はどうするの? さっき空腹で倒れてたけど……」

「……そうだ、携帯食は失くしたんだった。となれば、動物を狩るしか――」

「原始時代かよ。今は野生動物は保護されてるからダメだよ」

「では、木の実でも集めて食いつなぐか」

「だから原始時代かよ」


 カグラをしばらく見守っていたが、会話の端々で気付く。

 どうやら、人に頼るという発想がないらしい。


「あのさ……よかったらウチ、来る?」

「……どういう意味だ」

「言葉通りだよ。こんな所で一人過ごすのは寂しいでしょ?」

「いや、私は一人でも問題ないが」

「ご飯ないんでしょ? ウチで食べたらいいよ」

「……いいのか?」

「いいよ。さっきだって、僕のアンパン食べたでしょ」

「……キミは命の恩人だ」

「そんな大袈裟な――」

「大袈裟なんてことはない! 私は幾多の死線をかいくぐってきた。戦って死ねるのなら本望だが、こんなところでくたばるなど故郷の仲間に合わせる顔がない!」


 夜道を並んで歩く。街灯の明かりがカグラの横顔を照らす。その道中で故郷の話を聞いた。

 カグラの住む星では戦争が絶えないという。高度な科学技術を奪おうと、他の星から攻めにくるのだ。

 その最前線で戦っているのがカグラだ。キミヒコにとっては、遠い星で続く戦争の話は実感のない話だった。

 しかし、隣で歩く彼女を見ていると、どれも真実のように思えた。




「ただいまー」

「おかえりー。遅くまでえらかったわねぇ」


 台所からしゃがれた声が聞こえる。どうやら食事の準備をしているらしい。


「失礼します」

「おや?」


 カグラが挨拶をするなり、足音が近づいてくる。

 そりゃそうだ。年頃の男子が女子を連れて来たのだから。

 顔を見せたのは祖母だった。


「あら! お客さんかい?」

「う、うん」


 祖母はじっとカグラを見つめる。 

 すると、カグラは靴をきちんと揃え、両手を床についた。


不束者ふつつかものですが、どうぞよろしくお願いします」

「誤解を招くような言い方やめろ!」


 祖母も負けじと両手をつき返す。


「いえいえ。こちらこそ、よろしくお願いします」

「張り合わなくていいから!」


 祖母は奥の部屋に向かって声を張った。


「おじいちゃん! キミちゃんが彼女連れて来たって!」


 すぐさま祖父の声が返ってくる。


「おー! ほんとかー!」

「だから違うんだってー!」


 二人にカグラのことを正直に話すとややこしくなるので、勉強を見てもらっている先輩というていでその場は切り抜けた。


 食事の準備ができたと聞き、席につく。焼き魚や煮物といった和食が並んでいた。

 祖母は、カグラの箸が止まっていることに気付いた。


「どうしたの? 苦手なものがあった?」

「いえ、特に」

「そうなの? じゃあ、なんで泣いてるの?」

「え……?」


 カグラ自身も気付いていなかった。一筋の涙が頬を伝っていた。

 慌てて袖で涙をぬぐう。


「すみません。懐かしくて」

「懐かしい?」

「ええ。昔、祖母が作ってくれたものに似ているんです」

「カグラちゃんも、おばあちゃんの料理を食べて育ったんですねぇ」


 戦地では携帯食がメインだった彼女にとっては、こうした手料理は久しぶりだった。

 特に目の前の筑前煮ちくぜんには、祖母の味にそっくりだった。


 食後、キミヒコは湯船に浸かりながら、今日の出来事を思い返していた。

 空から落ちてきた女の子が実は宇宙人だなんて、夢のような話だ。

 もしこれから一緒に暮らすことになったらどうしようかと、そんなことばかり考えていた。


「なんだ、キミヒコが入っていたのか」

「はーい。入ってまーす」


 風呂のドア越しにカグラの声がした。


「入るぞ」


 シルエットのカグラが上着を脱ぎ始める。


「待て待て待て待て!!」


 キミヒコは慌ててドアと性欲を押さえた。


「どうしてだ? 私が汚いとでも?」

「文化の違いだよ! 男女が一緒に風呂に入っていいのは、家族か恋人か混浴の銭湯か風俗って決まってるの!」

「そう……なのか?」


 もしカグラと一緒に生活することになったら、文化の違いから教え込まなければいけないのだろうか。そうなると国際結婚どころの話ではない。


 就寝時、キミヒコとカグラは同じ部屋に入れられた。祖母から「変な気は起こさないでね」と釘を刺されるが、それなら別々の部屋にしてほしかった。

 カグラにベッドを譲り、キミヒコは床で眠ることにした。


「キミヒコ、まだ起きてるか」

「え? あ、うん、まあ」


 寝巻き姿のカグラが尋ねる。

 カグラの衣服は便利なもので、寝巻きにもなるらしい。


「今日は色々あったな」

「うん、ホントに」

「しかし、実に充実した一日であった。これで安心して故郷に――」


 目を閉じかけたその時、カグラが慌てて跳び起きる。


「本部へ連絡をしていない!」

「連絡?」

「ああ! 定期的に連絡するように言われていたのだが、この騒動ですっかり忘れておった!」


 鞄から通信機を取り出し、ボタンを操作する。すると、通信機から電子音が鳴り響く。

 キミヒコは不安そうに見つめていた。これで迎えが来たら離れ離れになってしまうのだろうか。

 だが自分のことよりも、カグラの無事を願うべきだ。


「よかったじゃん。これで帰れるんでしょ?」

「…………」


 カグラはきょとんとしていた。


「ん? どうしたの?」

「その手があったか!」

「気付いてなかったんかい!」

「本部へ連絡することしか考えていなかった。キミヒコのお陰で助かる! ありがとう!」


 きっと、これでよかったのだ。これから迎えが来て、カグラは無事に故郷へ帰ることが出来る。

 しかし、通信する気配が一向にない。

 カグラも別れるのが惜しいのだろうか。


「……連絡しないのか?」

「……キミヒコ……よく聞いてくれ」


 キミヒコはごくりと唾を呑む。

 覚悟は決めた。もう何を言われたって驚きはしない。


「通信機が……壊れた……」

「ええええええええ!!!」


 これにはさすがに驚いた。

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