第10章:あの夜と同じ微笑みで

夜の帳が降り、慎一は酒瓶を片手にソファへ沈んでいた。

テレビの音も、街のざわめきも、

耳には入らない。

結衣と別れてから、この部屋はただ広く、そして虚しい空洞になっただけだった。


グラスを置き、まぶたを閉じた瞬間――耳元で、囁くような声がした。


「…慎一」


その名を呼ぶ声は、あまりにも懐かしかった。

目を開けると、そこは自分の部屋ではなかった。

見覚えのある夜景が、カーテンの隙間から淡く滲んでいる。


「…玲奈…?」


振り返った先に、彼女は立っていた。

長い黒髪、雪のように白い肌。

あの頃と変わらぬ微笑み――けれど、

その奥には、底知れぬ暗さが潜んでいた。


「やっと会えた…」


玲奈はゆっくり歩み寄り、慎一の頬に触れる。

指先は温かく、確かな感触があった。


「俺…ずっと…お前のこと…」


言葉は途中で途切れ、胸の奥が熱くなる。

涙がこぼれそうになったそのとき、玲奈が小さく微笑んだ。


「私にもして…」


そう囁くと、彼女はためらいもなくワンピースを滑らせ、床に落とした。

月明かりに照らされた裸体は、

陶器のように滑らかで、慎一の視線を捉えて離さなかった。


慎一は衝動のまま、彼女を抱きしめ、ベッドへと押し倒す。

唇が重なり、舌が絡み合う。

玲奈の胸が激しく上下し、その鼓動が慎一の胸板に伝わってくる。


熱を帯びた肌と肌が重なり、鼓動が一つになるほどに近づく。

慎一は彼女の腰を抱き寄せ、

わずかな間を置いて――深く、静かに入り込んだ。


玲奈の背がかすかに反り、唇から短い吐息が漏れる。

その温もりと奥行きに包まれながら、

慎一はゆっくりと動きを刻み始めた。

触れ合うたび、互いの体温が絡み合い、境界が消えていく。


「…離さない」


耳元で囁くと、玲奈は強く背中に腕を回し、指先が慎一の背を這い、やがて爪が食い込んだ。

そのわずかな痛みが、むしろ熱を煽る。


熱が高まり、身体の奥から波が押し寄せてくる。

呼吸が乱れ、視界の端で月明かりが揺らぐ。

そして――二人同時に、深く沈み込む。


その瞬間、慎一の熱は、確かに玲奈の中へと注がれていった。

玲奈は小さく身を震わせ、

潤んだ瞳を閉じる。


現実のような感触に、慎一の胸が締め付けられる。


「俺…もう一度…お前と…」


玲奈は首を振り、静かに告げた。


「もういいの。全部…終わったから」


その瞳は、優しさと同時に、深い闇を湛えていた。

慎一はその視線から逃れられず、ただ抱きしめられるまま耳を傾けた。


「やっと…また一緒になれたね」


その言葉が胸の奥に染み込み、視界はゆっくりと闇に溶けていった。

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