第二章 映画部の五人とひとつの謎

 吉野先輩と別れた後、ぼくと由宇はビジネス街にあるファミレスへ入った。

 平日の午後一時を過ぎると、ランチタイムの喧騒は落ち着き、店内の人もまばらになる。そのため、お得な平日ランチを堪能し、ゆっくり話をするには絶好の場所だった。入口には『恐怖のパンケーキ 公開記念コラボキャンペーン』のポスターが貼ってある。

「さっきの吉野先輩の話、どう思う?」

 食事を終え、由宇はコーラを飲んで、満足そうに言った。

「映画部の脚本紛失事件のこと?」

「いや、キスアンドループのこと」

 ぼくは思わず飲んでいたアイスコーヒーでむせた。由宇は涼しい顔でストローをくわえている。

「……そっちなの?」

「いや、冗談だけど」

 由宇は口の端を上げ、いたずらっぽく目を細めた。

「なんかいろいろありそうだな、とは思った」

 大事な脚本がなくなったのは只事ではない。誰かの勘違いだった、なんてことで済めばいいのだけれど。

 由宇がグラスのストローを回すと、氷がカランと音を立てた。

「さて、シアターの話だけど、試験も終わったし、次の実験を開始したいところだよね」

「次の実験か。何か考えがあるの?」

「うん。今までは佐一の家とか学校とか、ごく近い距離で実験して、成功を重ねてきた。次は離れたところからシアターを仕掛けられるかを検証したい」

「それぞれ自宅にいたまま、ぼくが由宇の夢を覗けるか、ってことだね?」

「うん。駅三つ分くらいあるけど」

 物理的な距離があってシアターを仕掛けられるか、それは今まで試したことはなかった。

 ぼくは頷いた。

「よければ今夜、実験してみよう。もしうまくいかなくても自宅にいるなら、他の人の夢を覗くことはないと思うんだ。これができれば、佐一の負担も軽くなるよね?」

 自宅であれば実験後も浅い眠りながらも体を休めることができる。ぼくは納得した。

「で、これはできればなんだけど」

 由宇はぼくの目をまっすぐに見た。

「映画部の脚本紛失事件を解決しよう」

 ぼくは驚きのあまり、身を引いて椅子をきしませた。

「解決って、どうやって……?」

「まずは状況確認と証拠集め。あとは推論を重ねていき、真相を探る。それで解決すればよし。もしそれ以上の証拠が必要になったら……シアターを使う」

 ぼくは言葉に詰まった。

 それはつまり、意図的に他人の夢を覗くことに他ならない。由宇がオリジナルなら本人の許可があって夢を覗いている自負はあるが、まったく罪悪感がないわけではない。

 他人の心を覗く。それを考えると、ユキノちゃんの噂を聞いたときのような、あのまとわりつくような嫌な感じが蘇ってくる。

「そこは、そういう状況になったら考えさせてくれ」

 急に息苦しさを感じ、ファミレスの天井を見ながらなんとかそれだけを由宇に伝えた。

 由宇はぼくに少し顔を近づけ、

「佐一はためらいを感じるかもしれないけど、俺はそれがひとつの突破口になると信じている。もちろん苦しいし、辛い作業かもしれない。……それでもシアターを、他人のために力を使うんだ」

 そして、いつもの曇りのない笑顔になって由宇は言った。

「それは佐一にしかできないことだからな」

 シアターを他人のために使う、か。

 不思議だ。少し心が軽くなる。

 悪趣味のひと言で切り捨てていたこの力が、何かの希望のように少し輝いて見えた。

「……うん。そうだね」

 ぼくは思い切って口を開いた。

「そこまで言うなら、容疑者じゃないけど、オリジナルの対象者を絞ってくれないと。オリジナルが多いとぼくのほうが参ってしまう」

 照れくさくなってそう言うと、「もちろん」と由宇はうれしそうに即答した。


 ふたりで気分転換にドリンクバーコーナーへ行って、新たに飲み物を調達する。由宇はコーラでぼくはアイスコーヒー。カフェインの虜になっているふたりだ。

 ぼくはさっきまでの重苦しさをアイスコーヒーで流し込んだ。

「よし、ちょっと頭を整理しよう。事件の全体像を確認してみない?」

 由宇は鞄からノートを取り出し、ペンをくるりと回した。

「メモリは昨日の午前中のテストが終わったあとに部室に置かれた。なくなったことに気がついたのは、今日の昼だ。午後にはあの映画部のメンバーで脚本の最終確認をして、その後印刷所へ入稿する予定だった」

「メモリはスティック状の小さなもので、誰でも持ち出すことは可能だよね。……この時点でメモリの持ち出しは偶然か故意か、まだわからないな」

 ぼくは腕組みをして考える。

「まあ、勘違いって可能性もあるからね」

 由宇はスマホを取り出しながら、にやっと笑った。

「そう思って、吉野先輩の連絡先を聞いておいた。何かあれば連絡くれるって」

 そう無邪気に言った。

 あっさり学校の人気者の連絡先を手に入れるとは……由宇の抜け目のなさには驚かされる。変な下心はないと判断したから教えてくれたんだろうけど。田山が聞いたら、卒倒するぞ。

 思わず水を飲み、心を落ち着けた。

「……えーと、この事件の容疑者というか、オリジナルの候補も整理しておきたいよね」

 由宇は頷き、ノートに名前を書きだす。

「まずは映画部のメンバーだね。お馴染みの吉野アキ先輩。ラブコメSF映画『恋ループは止まらない!』の主演女優だ」

「吉野先輩とは今日初めて話したけど、明るいひとだよね。ちょっとおっちょこちょいだけど、親しみやすさがある。田山を始め、学校内にファンは多そうだな。だからこそ、あの映画の内容は揉めそうだよね」

 ぼくは吉野先輩の言葉を思い出して、眉を寄せた。

「吉野先輩のキスシーンなら話題性は抜群だけどね。そんな狙いを仕掛けているのかどうかは知らないけど、次に脚本担当の岩佐ひまり先輩。同じ二年の吉野先輩とは親しいみたいだね。脚本家を目指していて、今回の脚本はかなり気合が入っている」

 ぼくはへえ、と感心して呟いた。

 そんなに具体的な夢を持って、なおかつ行動に移しているのはすごいことだ。

「次に映画部の部長、澤中真人先輩。背が高くて、気さくに俺たちにも話しかけてくれていた。吉野先輩の彼氏役を演じるそうだ」

「ふうん、美男美女カップルって感じだね」

 少しがっしりして背の高い澤中先輩は、吉野先輩の隣に並んだら、さぞお似合いだろう。

「あと、吉野先輩が笠間ちゃんって呼んでいた女子が、笠間芽衣さん。俺たちと同じ一年だ」

「あのボブカットの子、同級生だったんだ。積極的にメモリを探しているように見えたな」

 里山くんにも意見していたし、笠間さんはしっかりした子に見えた。

「残るは里山智成くん。彼も同じ一年だ。気を利かせて印刷所へキャンセルの連絡をしていたし、フットワークが軽いよね」

「里山くん、ああいう連絡は手慣れている雰囲気だったね」

 ノートには映画部の五人の名前が書かれている。ぼくと由宇はその名前をじっと見つめた。

「もしシアターを使うとして、オリジナルの候補はこの五人ってところかな?」

 ぼくが由宇に話を振ると、

「可能性っていう意味なら、容疑者はもっといる。映画部顧問の高木先生、もしくは他の先生。かなり攻めた内容の脚本を快く思っていない可能性もある。でも本当にそう思っていたなら、口出しして止めさせるだろうし、データを盗むなんて考えにくいかな、と思う」

 ぼくは由宇の言葉に小さく頷いた。

 この学校は厳しいほうではないし、むしろ積極的な活動は歓迎されているような自由な雰囲気がある。うまく先生を説得すれば問題ないだろう。

「それと、田山みたいな吉野先輩のファン。何回もキスシーンがあるなんて知ったら、脚本を盗んででも阻止したいやつらはいるだろうね」

 由宇はそう言って、息を抜くように笑った。

 ぼくはその言葉に少し呆れつつ、

「さすがにそれはないんじゃない? 映画部以外の生徒が脚本の内容を知っているかなあ。知ったら荒れるだろうけれど」

「まあまあ、可能性の話だよ」

 と、由宇は楽しそうに手を軽くひらひらとさせた。

 ちょっと面白がっているな。

「あとは外部犯説。でも外部から誰か入ってくれば目立つだろうね。脚本をピンポイントに狙うのも現実的に考えれば不自然だと思う」

「無理矢理ひねり出せば、映画コンクールに出す他の学校の生徒が忍び込んで、とか考えられるけど。……やっぱり無理があるな」

 ぼくはそう答えて、ふう、と息を吐いた。

「さて、容疑者は出揃った」

 名探偵よろしく、由宇は顎に手を当て、人差し指をぴんと立ててみせた。

「犯人は誰だと思う?」

 かなりカジュアルに訊いてくるなあと思いつつ、ぼくは考える。

「探偵かよ。全員怪しくもあるし、全員怪しくもないって感じだな」

「それもそうだな……。今のところはここまでか」 

 と、由宇は軽く背中を伸ばした。

「まずは今夜、遠隔実験を成功させよう。うまくいけばいろいろと選択肢が増えるからな」

「そうだね」

 ぼくは少し緊張して頷いた。

 シアターの遠隔操作。これが成功すれば、何かが変わるのかもしれない。

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