第八章 恐怖のパンケーキ

 試行実験が続く中、ある日、疲れが溜まっていたぼくは、電車に揺られながらうたた寝をしてしまった。気づいたときには、見知らぬ誰かの夢を覗いてしまっていた。きっと同じ電車に乗っていた乗客の夢に違いなかった。

 しかも、その内容は、これからぼくが観に行く予定の映画の物語そのものだった。予告編に始まり、ストーリー、登場人物、そしてラストのどんでん返しまで、すべてをシアターで観てしまったのだ。

 由宇と待ち合わせていた映画館で、事情を話すと、由宇は驚きながらも面白がった。

「よし、じゃあその夢の中身と、映画がどこまで一致してるか検証してみようぜ」

「もう一回、同じ映画を観るのか。……やっぱりシアターって最悪」

 思わずため息が出る。

「まあまあ。実験だと思えば興味深い。夢で見たこと全部教えて。早く早く」

 由宇は瞳を輝かせて言った。

「観る直前の映画のネタバレを楽しみにするやつがあるかよ……」

 ぼくは大げさに嘆きつつも、話し始めた。

「この映画は『恐怖のパンケーキ』という超絶つまらん予告編から始まる」

 不機嫌を隠さないぼくに、由宇は笑いを漏らした。

「まあ、タイトルからして微妙な映画だな」

 ぼくは黙って頷き、予告編からエンディングにわたってシアターで観た中身をすべて由宇に伝えた。


 時間になり、予告編が始まった。

 交響曲のような荘厳な音楽が流れる中、宇宙空間に毒々しいタイトルが浮かび上がる。

 見るに堪えない内容に、会場の空気も明らかに冷え込んでいる。映画鑑賞の楽しみさえ奪う最悪なシアター。ぼくは八つ当たりするようにスクリーンを睨んだ。

 すると、夢で見た絶望的な予告編と一致したことで由宇ははしゃぐようにしてぼくのほうを見て言った。

「おい佐一、最っ高に面白いな、これ!」

 由宇の声が響き渡り、うんざりしていた空気が一変した。周りの人々の苦笑混じりのくすくす笑いが聞こえてきた。

 ぼくは口の動きだけで「黙れ」と言った。

 ……あれを本気で面白いと感じる感性だとは思われたくないな、といたたまれない気持ちになった。

 映像まで観ているぼくとしては、楽しいはずの映画鑑賞がただの確認作業と化していた。

 味のしないガムを噛んでいるようなもので、何とも言えない虚しさだけが残った。


 試行実験を重ねるたび、ぼくたちは『シアター』の輪郭を少しずつ理解していった。

 映像化される内容は直近に体験した出来事や、感情を強く揺さぶられた場面に偏っている。

 ぼくたちはその傾向に気づいた。

 つまり、オリジナルにとって「印象深く、記憶に残っていること」が優先的に再生される、ということだ。

 だからこそ、単なるファンタジーや空想ではなく、現実に即した、まるでドキュメンタリーのような夢ばかりが上映されるのだと、ぼくたちは仮説を立てた。


 やがて、由宇に対してシアターを仕掛けることにも慣れてきたころ、ぼくたちはついに、学校という公共の空間での実験に踏み切ることにした。

 選んだのは、午後の授業の中でも特に眠気に襲われがちな、昼食直後の時間帯だった。

 昼休みになると、由宇と実験の内容を確認した。

「次の授業でシアターを仕掛ける。前の授業は体育で皆疲れているから、最も居眠りが頻出するのは午後一のこの授業だ」

「公共の空間でシアターを試すなんて、大丈夫かな……」

 落ち着かなくて、自分の肩に手を置いてさすった。由宇は口の端を上げて言った。

「いつもふたりくらいは寝てるから気にするな」

 クラス委員が寝てていいのか、と思いつつ、あえてそこは突っ込まなかった。


 計画はこうだ。先生には申し訳ないが、退屈で静かな授業中に居眠りをする生徒が何人かいるのを見計らい、その流れに便乗して、ぼくと由宇も眠る。その上で、ぼくは由宇にのみ意識を集中し、ピンポイントでシアターを仕掛ける。

 教室という開かれた空間で、複数の人間が同時に寝ている状況下で、シアターがどう作動するかを検証するのが目的だった。

 数学の授業が始まった。担当の長野先生は薄いピンクのフリルブラウスでロングスカートといった服装だ。相変わらず可愛らしい格好をしている。

 授業が始まって二十分ほど経つと、居眠りをする生徒が出た。五分ほど経ち、さらにふたり突っ伏しているのを確認する。

 前の席の由宇が後頭部を軽くなでた。それが合図だった。

 ぼくは頬杖をつき、うつむいた。そして、いかにも考えているようなポーズで眠りに入った。由宇の夢は上映され、ぼくは通常通りシアターを体験できた。

 しかし、授業の後半、教室中に眠気が伝播したかのように、生徒の半数近くがぐったり眠り込んでいた。業を煮やした長野先生が、口を開いた。

「みんな、寝ちゃうなんてひどいよ……! 先生の授業、そんなにつまんない?」

 長野先生は目を潤ませてフリルの袖を掴み、今にも泣き出しそうな様子だった。一瞬、少女漫画のヒロインのように背景に花を背負っているかのように……見えた。

 ぼくはぎょっとして目を覚まし、顔を上げた。さすがの由宇も慌てた様子だった。それからみんなで先生に謝ったり、なぐさめたりしているうちに、ようやく場は収まった。

 授業では失敗したが、シアターの実験としては成功だった。この実験で得られた知見は大きかった。

「同じ空間に複数人が眠っていても、シアターを仕掛けるのはひとりなんだな」

 由宇は感心したように言った。

「うん、しかも狙った相手に絞れるってことだね」

 由宇はぼくの顔を見ながら口の端を上げた。

「画面分割してたくさんのオリジナルに同時接続できるのかと思った」

「……さすがに頭がショートするぞ」


 こうして外でも試行実験を行うようになり、次は何を試そうかと話し合っていたころ――思いもよらない事件が起きた。

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