第46話 祖霊

―――可愛らしい、赤いチェックの内装。所狭しと並べられたミニケーキを始めとしたスイーツ。ビュッフェスタイルというやつだ。ドリンクも、フルーツも可愛らしく並べられている。耳を劈くような女子高生たちの談笑。各々の取り皿には、クリームたっぷりのいちごケーキやらムースやらが雑に盛られている。これが、スイーツバイキングというやつなのか。




俺は、途方に暮れていた。




周囲の女子と同様にケーキやらフルーツやらを山盛りにして、ニコニコで戻ってきた縁ちゃん⋯は、まぁいいんだ。


「⋯お前は、何かダメだろう」


俺の正面でバカほど盛られたケーキにフォークぶっ刺して雑に食らっているのは、もはや玉群専属配達員の鴫崎だ。うら若い女子に満ちたこの空間で、俺たちのテーブルだけが明らかに異彩を放っている。


「何でだよ!?食べ放題なのに勿体ねえだろ!?大体お前、なにその皿。女子か!女子より女子か!!」


プリン1個とイチゴしか乗っていない俺の皿の事か。


「お前が十分過ぎるほど耳目を集めているこの状況で、これ以上悪目立ちしたくねぇんだよ⋯」


「この地味な皿のほうが悪目立ちするんじゃねぇの?」


言われて周囲を見渡してみると、確かにどのテーブルもどの皿も、欲望の赴くままにドカ盛にされている。常識的な盛り付けに留めた俺が悪目立ち⋯とんだ人外魔境だ。


「それにしても珍しいな、あの甘党がケーキバイキングに乗ってこないとはな」


俺と縁ちゃんは、密かに視線を交わした。




この『計画』は、縁ちゃんのたっての希望によるものだ。




事の発端は、『物忌み』明けに洞を訪れた縁ちゃんに、島津の剣術の話をしたことだ。


「あの人と、話せるんだ⋯」


玉群と奉の契約を切るつもり、と打ち明けられたのはついこの間。しかし玉群神社に張られた結界と、その内部に閉じ込められた戦場⋯そして二千年に渡って互いに食らい合い続けた魂、の名残を目の当たりして、色々と揺らいでいるらしいのだ。


「やっぱり、分かんなくなった」


自分のやってきた事は、自分の家系に連なる人間全てを『食われる』という惨い手段で死なせる手助けだったのかも知れない。だが子供たちを人柱にしてこの家を存続させ続けることが正しいとはどうしても思えない。契約を切り、玉群の犠牲になってきた子供たちの魂を解放するという考えは、間違っていないと思う。しかし。


「いつもここで思考が止まるの。⋯情報が少な過ぎる。契約を切ったら出てくる『あれ』は、本当に私たちを滅ぼす力が残っているのかな。そもそも、その⋯南条?の事を覚えているのかな。んん、南条の事を覚えてなかったとしても、結界を解くことが、何の関係もない人たちを死なせるようなことになるのかな」


「うぅむ⋯そればかりは、切ってみないことには、なぁ」


「お兄ちゃんもそう言う」


じゃあ、誰にも分からないことだ。


「でもさ、あの島津って人とまた話せるんだったら話は違うよね!最近まで、あの結界の中に居たなら、今あの中がどんなことになっているのか、あの人魂みたいなのは何なのか、もっと詳しく教えてくれるかも!」


―――希望的観測だな、とは思った。だが考えてみれば、島津は南条を憎んではいるが、血の繋がりがあるという理由で縁ちゃん自身を嫌っているわけではない。加えて一応『恩人』である俺の仲介と、食べきれない程の供え物があるのだ。話をする余地くらいはあるのではないか。






「あー、知らない?お兄ちゃん、ビュッフェが好きじゃないんだよ」


「へぇ、そうなん?」


「雑な甘味を大量に食いたくない、自分で取りに行くのも嫌だし、女連れが煩いのも気に障る⋯ってさ」


「生意気だなあいつ」


奉がついて来ないようにビュッフェの設定にしたというが、本当は自分が来たかっただけなんだろうな、と思う。となると引率は俺なわけで、懐へのダメージは甚大だが、この笑顔には代えられない。俺はこの子を一生甘やかすのだ。


「ねぇ、ここからどうすればいいの」


隣に座った縁ちゃんに肘で軽く突かれた。


「うぅむ⋯」


気軽にこの作戦に応じてしまったものの、俺も少し困惑していた。少し前、鈴の音と気配以外は認識されていない怪異に囚われかけた時、捧げ物をして手を合わせることで所謂『召喚』というのか、なんか呼び出せた。しかし彼は果たして『甘いもの供えて手を合わせる』という術式でホイホイ出てくるものだろうか。あの時はただ、俺たちの危機だったから現れてくれた、それだけなのではないか。


「⋯しかし現実問題、ここで鴫崎に突然武将になられても、普通に困るだろうなぁ」


「だね!⋯もしや、考えたくはないけど⋯」


ここが女子高生の巣窟という時点で。


「うん。⋯この作戦は悪手だね」


「あちゃー、やっちゃったね」


明らかに『やっちゃった』とは思っていない晴れやかな表情で、縁ちゃんはドリンクを取りに行った。あ、結貴くんは珈琲だよね!と気を利かせた辺り、この作戦は無効かもしれないと割と早い段階で気がついていたのだろう。これはもう、ただの奢りイベントだ。


残されたのは、ドカ盛のケーキを一心不乱に食らう大男と、明らかに付き合わされた俺。どうするんだこの状況。こんなことなら静流にも声を掛ければよかった⋯あ、いやしかし、実は縁ちゃんと静流はあまり相性が良くないようで、お互い関わり合いを避けているのだ。




「―――南条の姫は、細い体で中々の大食ではないか」




ぽつり、と鴫崎⋯いや、島津が呟いた。


「⋯⋯自動的に?」


どのタイミングで手を合わせようか迷っていたんだが!?


「此度の供物が余りにも豪盛で、気後れ申した。挨拶が遅れてあいすまぬ」


丁寧にフォークを置いて、島津が深々と頭を下げた。


「あぁ、いやいやちょっと待ってそういうの、悪目立ちするから」


「お、失礼仕った。青島ど」「珈琲持ってきたよ!」


島津の声に被さるように、縁ちゃんの弾むような声が響いた。俺達の間に珈琲を置かれた瞬間、島津がサッと珈琲を取った。


「やったー珈琲もらいっ」


―――は?


「あー、結貴君のだよ!」


「あははは悪ぃ、まぁ結貴は自分で持ってくるって!」


「もー、今日のスポンサー様だよ?⋯いいよ、また持ってくる」


「ごめんねー!」


軽い足取りで再びドリンクバーに向かう縁ちゃんを見送り、島津?鴫崎?が、ぽつりと呟いた。


「あの脚は一級品にござるなぁ」


「⋯⋯おい、どっちだお前」


「あいや失礼仕った。⋯今は、南条の姫に気取られるわけにはいかぬゆえ」


―――俺は静かに驚いていた。島津が鴫崎を模倣して、縁ちゃんに疑われることなく回避してみせたのだ。この時代、文化を理解して、鴫崎の言いそうな事、取りそうな行動を上手く利用して縁ちゃんを避ける⋯簡単な事ではない。この数ヶ月のうちに、彼はこの時代にほぼ完璧に順応していた。


「⋯どうして、彼女と話せないのですか」


驚いてはいたが、同時に安堵もしていた。どういうわけか縁ちゃんとの接触を避けているようだが、ひとまず俺が接触に成功したのだ。ならば今回の目的は半分は達成したようなものだ。


「南条だから、ですか?」


「あの娘は、知りたがっているのでござろう⋯」


『あの中』で何が起こっているのか、封印を解いたら何が起こるのか。そう言うと、島津は再び珈琲を啜り、じわりと表情を硬くした。


「どうにも⋯この黒い茶は慣れない⋯苦い、どうにも苦い」


「それ砂糖入れていいんですよ」


「あ、そうなの」


―――順応しているなあ、着々と。


「⋯縁ちゃんには、本当のところは伝えられないと」


苦味のせいだけではない、何とも言えない渋みが島津の顔に広がった。


「青島殿は、納得されているのか」


かつん、とカップを置き、真っ直ぐに俺を見る。俺が今まで曖昧に濁していた部分を見透かされるようで、思わず身じろいでしまった。


「某は納得していない。あのように幼気な娘が⋯」


―――あのような因果な家を継ぐ、などと。そう呟いて島津はカップに砂糖を注ぎ入れた。


「そもそも家内に男子が二人もありながら、一人は失踪、一人は人外。⋯相も変わらず、ろくでもない」


返す言葉もない。


「まだ幼い、ということは同感です、俺も。あいつら兄弟がろくでもないってことも」


正直、逃げた長男のことはよく覚えていないが、まぁ⋯ろくでもないだろう、多分。


「ただ、女子だから家を継げないというのは⋯少し、違うんです」


時代が違う。そして選択肢が他にない。


「跡継ぎに男子が多いのは今も同じだけど、女子も継げる。⋯というか、継がざるを得なくなるんです」


「―――何故」


「これは、奉に聞いた事なんですが」




『誰も継がないで、皆逃げたらどうなるんだ?』


そんな事を聞いてみたのは、確か中学生の頃だった。確か奉の兄が失踪した直後で、玉群家は大騒ぎになっていたのだ。


『それは嫁に行くなり、婿養子に出すなりして玉群の名を誰も継がないってことかい』


その頃はまだ、奉は玉群の実家で暮らしていた。子供を洞窟に住まわせると児相に通報されたりと面倒なことになるので、確か高校生になるまでは生活拠点は玉群の屋敷に置いていたと思う。だから俺も、奴が書の洞に篭っていない時は奉の部屋でだべっていた。くそ長い階段登らなくていいし、お菓子は豪華だし冷暖房完備で快適だった。あの頃は。


『そうだよ。兄ちゃんみたいに全員名前を捨てて逃げちゃえば、奉の契約ってチャラになるんじゃね?』


あの頃の俺はいいアイデアだと思ったんだが。


『俺は名前と契約している訳じゃねぇのよ』


心底興味なさそうに、奉は本に目を落とした。


『逃げた先であれ、俺は自動的に生まれるんだよねぇ。名前を変えても同じ。だから』


縁が家を継がず、何処かに嫁入りをしたとしたら、その嫁入り先に『奉』が発生する。そしてその家が『奉』が生まれる要件を満たせなければ、自動的に契約を切る。そして⋯




「恐らく、嫁入り先の家も、何も分からないまま滅びる⋯と、俺は理解していたのですが」


―――あの戦場に渦巻いていた、互いを食い合う人魂を目の当たりにしたことで、1つの可能性が俺の頭を離れなくなっていた。


「俺も、奉さえも失念していたんだ。この契約がとても古いものであることを。⋯千年を超える幽閉に、人の魂は耐えられず、その形を変えている。ならば、この契約を切ることで起こる災いは、俺が思っているのとは違うものになるのでは⋯ないですか」


「⋯成程」


カップを置いて、島津は軽く頬杖をついた。こういう仕草は太古からあったのだな、と場違なことを考えていたが、ふと徳川家康が何かの戦で敗走した時に家臣に描かせたという、頬杖をついた情けない似顔絵を思い出し、あぁ、あったなと思い直した。


「彼奴らが消耗していて、南条を滅ぼす力も、恨みも残っていないやもしれぬ、と」


そう言って、くっと唇の端を上げた。


「で、あれば、姫をこのしがらみから解放してやれましょうなぁ。だが」


一層、タチの悪い事になっているやもしれませぬ。そう呟き、彼はすっと目を瞑った。


「タチの悪い事に⋯?」


「永遠の戦場に閉じ込められた我らは、千年以上にわたって敵味方に分かれ、相喰んで来た。⋯敵と、味方を嗅ぎ分けて、敵だけを葬ってきた」


「嗅ぎ分けて⋯?」


「こう、目を瞑る。⋯それでも我らが居た暗闇よりもなお明るい。故に我らは既に、目を捨てた。気配や音、それに匂いで敵を嗅ぎ分けておりました」


そう、匂いで。この男は、恐らく⋯。


「俺、前から聞きたかったんです。奉を南条の子孫と見抜いたのはやはり⋯匂い、ですか」


目を瞑ったまま、彼は深く頷いた。


「⋯匂いといっても、体臭などではござらぬ。あの家にまとわりつく⋯そうさな、祖霊とでも言いましょうか⋯」


「祖霊⋯」


「南条の匂いがする魂⋯気配、とでも言い換えましょうかな、それが彼奴の神社を漂っている。⋯これは、今も彼の地で喰らい合っている『あれ』を引き寄せるでしょうなぁ」


ふっと目を開けると、島津は真っ直ぐに俺を見た。


「青島殿、恩人故申し上げる。もしあの姫が結界を切る事を選んだならば⋯姫を連れて、逃げなされ」


「逃げる⋯?」


「この土地から、でございます。正直に申し上げれば、『あれ』に果たして意思が残っているのか、某には見当がつきませぬ。だが間違いなく『匂い』は辿る。奴らは匂いを辿りながら、その道すがら行き会った全てのものを喰らい、南条に連なる⋯少なくとも、その匂いがするものを喰らうでしょうなぁ」


「―――逃げても、いずれ」


「それよ、『あれ』に意思が残っているのであれば、草の根を分けても探し回ることでありましょう。それだけ、我らの恨みは深い。しかし」




―――意思が残っていないのであれば。




「意思がなければ、私たちに関係ない周りの人達を喰らって、その後どうなるの」


「後ろを取られるとは⋯」


目を瞑ったまま、島津は口の端を上げて笑った。


「鈍ったものだな、某も」


彼の背後に、珈琲と山盛りのケーキを手にした縁ちゃんが佇んでいた。島津がうっすらと目を開け、振り向いた。


「聞いてしまったのならば仕方が⋯いやいや、一寸待たれい、姫よ。何を持っている!」


「何よ」


「先程取ってきた山盛りの皿が手付かずだというのに、またその様な山盛りの皿を!こ、こんな量の甘味を食せるものか、そのような細い身で!あなや勿体なし、はしたなし!!」


⋯島津さん?


「もーうるさいな!今日はコンプ目標なの!!あと写メも撮るし!!」


「こ、このような雑な盛りつけでインスタに上げて映えるとでも思っておるのか!?このまま年頃を迎えたとて、こんな様では輿入れ先にも不自由するわ!」


「ちょっと雑に盛ってある方がビュッフェ感があっていいの!おっさんが古いの!」


そう言い放って、山盛りの皿を少し乱暴に置くと、皿を縦に並べてスマホをかざした。⋯古いって、そりゃそうだよ。何年前のおじさんだと思っているんだ、縁ちゃん。俺は彼がインスタを知っているだけでビックリしているんだよ。


「⋯で、さっきの続き。『あれ』が意志を持っていないなら、近くにいる人を無差別に襲うの?」


ケーキの山にフォークをぶっ刺し、一口ずつ頬張りながら縁ちゃんが正面の島津を睨みつけた。


「知り申さぬ。⋯知っていたとしても教えぬ。其方が責めを負う必要はない!」


島津もケーキにフォークを突き立てて勢いよく頬張った。


「無論、こんな因果な家を継ぐ必要もなし!あの祟り神にでも押し付けてしまえ。女子は嫁に行って、子供と鞠でもついて平和に暮らすがよい」


「鞠なんかつかんし!⋯こんなの誰かが終わらせないと。ただ一人だとしても、子供を犠牲にして家を守らせるなんてもう嫌だよ」


そう言って少しつまんだケーキを、俺の皿に寄越す。⋯好きな味ではなかったらしい。


「なっ⋯食べかけを男子の皿に!?」


「もーうるさいなー!結貴君は食べてくれるもん!」


「青島殿、いつもこんな事をされておるのか!?」


―――だから、俺の皿は基本的にカラなのだ。どうせ食べきれない分をジャンジャン押し付けられるから。俺がそっと頷くと、島津は口角泡を飛ばして叫んだ。店内で。


「あぁああ、はしたなし!いぎたなし!」


「もーやだーこの人!質問にはろくに答えないし、文句ばっか言うし!」


「其方の行いが目に余るからだろうが!」


⋯その後彼らは、大騒ぎしながらケーキを平らげ、縁ちゃんの食べ残しが俺の皿に山積みされ続けたのだ。何のかの言って、仲が良さそうで結構なことだ。






「⋯まぁ、ちょびっとだけど、収穫はあったのかな」


鬱蒼とした森の端に、玉群本家の正門が見えてきた。家まで送る程の時間でもないが、少し話がしたかったのだ。


「甘いもので割とカジュアルに呼び出せることは分かったしな⋯」


あの後、島津は徐々に薄まり、鴫崎に戻って上機嫌で帰っていった。途中の記憶は確実に無いはずだが、あいつの中では整合性が保たれているのだろうか。


「最初に会った時にも思ったけど、なんか煩い人だねぇ」


⋯よく考えてみると君の所業も大概なんだが。いつもの事なので疑問にも思っていなかったが。


「だが善人だよな」


縁ちゃんは何も答えないが、何だかんだで島津が嫌いでもないのだろう。


「⋯祖霊、とかいったか。要は玉群の祖先、つまり諸悪の根源が目印として神社に在り続けている⋯封印を解かれた場合、その匂いを頼りに報復を受ける、ということは分かったな⋯」


「祖霊って、私たちを守るために居るわけじゃないのかな」


「彼らはそのつもりなんだろう。⋯皮肉だけど」


そう言うと、縁ちゃんは思案げに瞳を巡らせた。


「じゃあさ、祖霊が成仏していなくなったら、契約を解除出来るのかな」


「やめておいたほうがいい」


思わず、強い声が出た。


「なんで?」


「⋯勘としか言いようがないよ⋯だけど、今までのパターンを考えると、何となく嫌な予感がしないか」


「むぅ⋯」


この子が因習に逆らう度に、裏目に出る。だから俺はこの子の暴走を徹底的に食い止めるのだ。


「祖霊を除けばどうにかなるなら、奉がとっくにどうにかしてる。と思う。⋯あの中に封じられている彼らの状況をもう少し分かってあげられたら良かったんだが⋯」


「そもそも、分かろうってのが失礼だったかもね。⋯千年以上暗闇に閉じ込められて、お互い訳も分からないまま戦い続ける、死ぬ事も出来ない気持ちが分かるわけないよ」


人間同士だって分かり合えないのにね、と付け加えて、軽く頭を振った。


「そもそも、人間じゃん、あの人達」


「あの人達も、犠牲になった子供たちも。⋯それに、縁ちゃんもだ」


ふと、縁ちゃんが俺を見上げた。⋯大きくなったな。


「ここで起こっていることは神の御業でも天変地異でもない、人の業なんだ。⋯ずっと昔の。縁ちゃんが背負い込む必要なんてないんだよ、実際。逃げた兄貴を草の根を分けてでも探し出して押し付ける!見つからなけりゃ逃げる!くらいの軽い気持ちでさ」


縁ちゃんは少しの間黙っていたが、珍しく⋯恐る恐る、確かめるように口を開いた。




「―――もしもそうなったらさ⋯一緒に、逃げてくれる?」




数秒の沈黙が流れた。


俺は、どう思っているのだろう。


多分、そうだ。ずっと前からそう決まっていた。


「⋯逃げてやるよ」


「⋯うん」


「一緒に逃げてくれる奴がいなくて、どんなに頑張っても本っ当にどうにもならなくなったらな!!」


泣きそうな顔をする縁ちゃんの頭を、くしゃくしゃに撫でた。




―――この子がたった一人で泣いていたら俺は多分、俺が持つ何もかもを放り出して、この子の手を取る。




だから俺は、決めた。


縁ちゃんの『当たり前の日常』の為に。


俺の恋人との幸せな未来の為に。


俺は玉群の長男を、草の根を分けても探し出してこの因果な家系の全てを押し付けるのだ。






―――後日。


念の為、奉に神社に坐すという『祖霊』を祓うとどうなるか聞いてみたところ、大爆笑を浴びせられる羽目になった。


「竜巻の前の豆粒の如く消し飛ぶねぇ!!」


「⋯やっぱりな」


止めてよかった。えらいことになるところだった。


「恨みは結界の中のみにあらず。この一帯で群雄割拠していた豪族連中はそりゃあ⋯大層荒くれ者でねぇ。尋常ではない程の血が流れ、数多の家系が絶えたんだよ。⋯そんな地を治めた玉群の祖先が、善人だったとでも思うのかい?」


背負った恨みは20や30じゃねぇよ、と、さも可笑しそうに笑った。


「あの恨みをまともに受けた日にゃ、家系なんぞ五度は根絶やしにされるわな」


そう言って、すっと本殿の方を仰ぎ見た。


「離れられんのよ。⋯哀れなものだねぇ」


戦乱に散った祖先たちが『祖霊』として自ら望んで社に留まったのか。それとも死んでいった玉群の者たちは全て、祖霊として社に縛り付けられる宿命なのか。俺は聞けなかった。⋯聞きたくなかった。

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